日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

お盆回想。

2015-08-12 22:14:03 | 日記
 久しぶりの大雨!
雨なんて、忘れていたけれど、
こうやってお盆を過ぎた頃から風の雰囲気が変わってきますね。

 お盆といえば、祖母が大きな家を仕切っていた頃は、
お盆前から子どもも大人も関係なく、それぞれにできる役割を与えられ大忙しでした。

 子どもだった私やいとこは、家中の廊下の雑巾がけ、仏壇や神棚の花活けを下げてくる、
庭を箒の目が通るように掃く、仏具を灰で磨く、盆提灯を組み立てるなどなどなど、
普段は触らないようなものは落とさないように、掃除しないとこはピカピカにと、
一日中、その気になって大忙しで働いていました。

 なかでも不思議だったのは、銅鏡で、
「これは昔の鏡よ。」といわれても、姿が鮮明にうつる訳ではなく、
「へんなのー」と思いながら、灰を使ってくるくる磨いていたのを覚えています。

 食事も、私のところでは「かいのこ汁」といい、
水煮の大豆を入れた具沢山のみそ汁と種までつぶした梅干し、煮物。
「ああ、なんか違うのが食べたいな。」とたった2日半くらいのことに、
一ヶ月同じものを食べているような錯覚に陥っていました。

 かいのこ汁も各家庭で様々で、
大豆をすりつぶしたようなものを入れる家やすこし砕いたくらいのものを入れる家もあります。
私が食べていたものは、丸いままの少し固めにゆでた大豆がそのまま入ったものでした。

 そして、夜のなると仏壇のある部屋やご先祖様をおむかえする部屋では、
盆提灯のあかりとろうそくだけで、なんとも幻想的な感じでした。

 広い部屋の隅は暗く、祖母に
「おじいさんやら帰って来といやっと~。」といわれ、
風鈴がなり、涼しい風が部屋にはいると「ああ、そうかもしれないなぁ~」と思いながらも、
少し怖い気持ちにもなったものです。

 今では、お盆も帰る訳ではなく、
そんなに忙しくしながらお盆の日を迎えていたことが、遠い昔話のようです。

 父も祖母もどれどれと帰ってくる準備をしているのかな。
私のところにも寄ってくれるかもしれないので、
呆れられないくらいには掃除に勤しもうと思います。
コメント
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