午前中スーパーでうぐいすあんぱんを買って川沿いの道を桜のアーチを抜けて歩く。
桜まつりで珈琲とクッキーを買ってこっそりうぐいすあんぱんと一緒に食べる。
今年も桜を見ながら珈琲を飲めた。
帰ってホグウッドのベートーヴェン交響曲全集を聞き郵便を待つ。
ホグウッドはひそやかな眩しい感覚。
クロネコメール便で送られてきた200円の竹田青嗣の本を読んで陽水の歌詞は何か考える。
迷宮的な歌詞が織りなす明滅する幻像、シュールな詩情と日常の断片が交錯する
眩暈に似た感覚、支離滅裂なわからない歌詞が確信的な独自の世界を作り出している。
先日会った友人はいわき、仙台、秋保温泉、石巻に旅行に行った話をしていた。
表向きなにごともなかったように整然としているが
河で山がえぐれていたり、住宅街がまるごとなかったり、
空き家が散見されたりすると言う。
昨日は桜のアーチを抜けて花見をした後、
何とか舎というお洒落なカフェに立ち寄ってきた。
珈琲とスコーンを食す。
古い木の造りやいい感じの照明が手作り感のある店内を作り出す。
良い空気感に触れることができた。
最近陽水の「積み荷のない船」の歌詞が気になっている。
3月1日の深夜、テレビで見てからのことだ。
積み荷のない船の歌詞が時代と妙にシンクロしている。
沈みゆく船底からの風景は魚の目で見た角のない窓
という短歌を備忘録的に書いておいた。