家と人、自分や仕事について

仕事で訪れる各地のこと、家のこと、自分の考え方など、出来る限り発信して行くつもりです。

メディアリテラシー

2016年07月15日 | 考え方

世の中には、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などにインターネットも加わって、とにかく情報が氾濫しています。

氾濫する情報の中から本質を見極める力を「メディアリテラシー」と言うそうです。

ヨーロッパでは子供の頃からメディアリテラシーの教育があるらしく、日本は遅れている状況とのこと。

あるアンケートで、新聞に書いてある情報を信じますか?と聞くと、日本人はほぼ信じる、ヨーロッパでは半分以上の人が信じないと答えるようです。

「情報は曖昧だ。鵜呑みにしてはいけない。」という教育が行き届いているようですね。

日本人は少々怖い状況で、新聞、テレビはもちろん、誰が書いたかわからないインターネットの口コミ情報なども信じてしまう傾向があります。

情報はできるだけたくさん、違う角度のものを仕入れて、より重要な物事であれば自ら取材をして、しっかりと本質を見極めることが大切ですね。

インターネットで見た情報を即座に発信して、枝葉がついて広がって、とんでもない情報として広がっていることが良くあります。

公的なメディアとして認知されているNHKでさえも誤報を流すことがあります。

誤報に国民が気付き、バッシングが起きると訂正、場合によっては謝罪をするのですが、気付かずにいるとそのまま放置されることがほとんどです。

テレビであれば視聴率、新聞雑誌であれば売上が重要になるので、情報が偏るのはある程度仕方がないと理解して「また大げさな報道しているな~」「随分偏ったことを言ってるぞ・・・」「このメディア酷過ぎる!」としっかり気づいて監視できれば、報道のされ方はもっと変わっていくのではと思っています。

マスコミが一斉に同一のことを報道すると、それを鵜呑みにした国民ほとんどが袋叩きのように一個人を袋叩きにする、そんな魔女狩りのようなことがここ最近続いています。

あまり愉快なことではないです。

情報は情報でしかないと割り切って、真実は別にあると疑ってかかることも時には大切だと感じます。

メディアリテラシー、磨いて行こうと思います。


苦手なことは極力減らす

2015年07月17日 | 考え方

人にも物にも仕組みにも、良いところもあれば悪いところもありますよね。

極悪人であっても、必ず良いところはあるし、善良な人でも、悪いところの一つや二つは必ず(?)あります。

そう考えると、好き嫌いは、相手方の問題ではなくて、こちら側がどこに視点を置くかの問題になります。

子供の頃、トマトの酸味やナスの食感、ピーマンの苦みが苦手だったのですが、大人になって「これを好き!」と言っている人の気持ちになって食べていたら、いつの間にかその酸味や食感、苦みが好きになっていました。

「この人無理」と思っていても、この人のことが好きだと言っている人の気持ちで接してみると、好きになるまでは行かなくても、嫌いではなくなることはできました。

ただ、好き嫌いではなくて「許せない」ということもあるので、全てを受け入れる必要もないと、ゆる~く考えることも大切だと思っています。

人が成長する上でもったいないことは、嫌いだ、苦手だ、ダメだ、と決めつけて放置してしまうこと。

その時点でその部分の時間(成長)は止まってしまいます。

人でも物でも仕組みでも、知っていて損はありません。

自分自身を少しでも生きやすくする為には「苦手は極力減らす」という行為が大切だと思う、と言ったお話でした。


写真は北斗市にあるトラピスト修道院。

男子修道院は日本に二か所しかありません。

ここに入ることだけは絶対に無理、と頼まれもしないのに勝手に思う今日この頃でした。


一石を投じる

2015年02月19日 | 考え方

一石を投じることは大変意義のあることです。

でも、一石を投じるだけであれば投じない方が良いことの方が多い気もします。

投じた後の波紋を維持してどう広げて行くか、がとても重要です。

人は一度受けた穏健は継続的に受けたくなるものです。

継続できない穏健であれば、そのように伝えることが大切です。

「その瞬間だけ頑張る」という行為は、後々自分や自分の所属するチームを苦しめます。

きっと正解なのは「続けられることのみを伝えること」とっても難しいことですね。

少人数ですが、そのような志で努力し、困難に立ち向かう人がいます。

そのような人を人として応援したいと心から思います。

私もそのように生きて行きます。


言葉の受け渡し方

2015年01月28日 | 考え方

言葉は経由する人のアレンジでいろいろと変化して行きます。

例えば「体調が悪いので会社を休みます。」と会社に連絡を入れたとします。

電話を受けた人が上司に

「○○さんから体調が悪いので休みを取らせて頂きますと連絡がありました。心配ですね・・・。」

と伝えるのと

「○○さん、なんか声は元気そうでしたけど、体調悪いから会社休むと連絡入っていましたよ。」

と伝えるのでは、報告を受けた上司の印象が全然違うことがわかります。

いろいろな人を見ていると、好き嫌いで受け渡す言葉のニュアンスを無意識的(意識的だとすると人としてちょっと・・)に変化させる人が多いことに気が付きます。

言葉を経由する人との人間関係によって言葉のニュアンスが変わることは理解できるのですが、どんな場面でも受け取った言葉は少しだけプラス側で渡したいし、渡して欲しいと願っています。

その人を経由することで言葉がマイナス側に曲がる、ということは、付き合いが長くなれば当然わかってしまいます。

その印象は決して良いものではないし、その印象を回復させるには多くの時間が必要になります。

自分を言葉が経由して行くとき「少しだけプラス側」を意識することは自分や自分の所属する組織にも良い印象を与えます。

あまりにも美化してプラス側に曲げすぎることも問題なので、バランスもしっかり意識したいところです。

これは意識だけで出来るのでそんなに難しいことではないですね。


写真は先日の出張帰りに撮った函館の街。

もう少し天気が良ければ良かったのですが、形がわかって良い感じです。


色眼鏡

2015年01月19日 | 考え方

20代の頃、相手先の会社規模が大きかったり、打合せ相手が著名な方だったりした場合、どうしても構えたり、緊張したりしていた記憶があります。

30代の頃、人によってこちら側が勝手に色眼鏡をかけて印象を決めつけてしまうことは良くないと気が付いて、社会的地位や役職、性別、年齢、規模などで態度はもちろん心や言葉も変えない様に意識して話すようになりました。

色眼鏡を外すことで、相手の本当の色が見えやすくなった気がします。

感情的にならない、高圧的にならない、人の話を聞く、決めつけない、無理を言わない、駆け引きをしない、という決まったスタンスでお話をしていると、理解して同様のスタンスで話し、考え動いてくれる人と、「こいつは怒らないから大丈夫」とラクをしたり、なめてかかってくる人のだいたい二つのパターンに分かれてきます。

そのことで人との関わり方が明確に判断できるので「なめられないように取り繕う」よりも、少しなめられやすい雰囲気でいる方が「本質がわかる」場合が多いことに気が付きます。

写真は先週末行った弊社ユーザー会の模様です。

なんだかんだと言いながら、結果良い方々に助けられ生きていることに気が付いた40代の夜でした。

これからは今まで培った多くの経験を生かして、しっかり結果を残すことができればと思います。


空気が読める人

2015年01月16日 | 考え方

子供の頃はとても臆病で、いつも人の顔色を見ていたような気がします。

人の顔色を見続けていると、次第に人の考えていることがわかるようになっていきます。

世の中で「空気が読める」と言われる人はそのような経緯をたどっている人が多いのだろうと思っています。

空気が読めるということは良いことばかりではありません。

荒れることがわかるので「無理をせず流れに任せる」という傾向があります。

一般的にはこれで良いのかも知れませんが、流され続けて辿りつく先が良い場所であるとは限りません。

方向が良くないと気が付いた時、流れる場所を変えるか、流れそのものを替えなければならない時があります。

流されることに慣れ過ぎると、これはなかなかできないことです。

でも、悔いのない人生を歩むためにはどこかで覚悟を決める必要があります。

覚悟を決めたら、あとはしっかりと足を踏んばって、流れに逆らってでも自分の思う道を進んで行くのみです。

「空気が読める」ということは「人の気持ちがわかる」ということとほぼ同じなので、この特性を武器にするには、悪い空気になることがわかっていても「時にはそれをする」ということに慣れる必要があります。

これが出来たら、あとはしっかりと本質を見極めて、良いと信じる方向に進み続けるのみです。

自分の意志で進む道から見える景色や感じる風は、それがどんなに過酷であっても心地よいと思えるはず。

自分で自分の人生に最高得点を付けられるように、これからも進んで行きます。


期日前投票

2014年12月10日 | 考え方

今週末は出張なので市役所に行き期日前投票を行ってきました。

期日前投票は、住所、氏名を記載して、当日投票に行けない理由を項目から選ぶだけの簡単な手続きで行うことができます。

投票日に仕事や旅行などに出かける場合などはとても便利ですね。

「投票する人がいないから選挙に行かない」

「誰に入れて良いかわからないから選挙に行かない」

というお話を良く聞きます。

気持ちはわかるのですが、投票率が下がると、組織票を持っている候補者が有利になって

「努力しなくても当選する」

「当選しても努力しない」ということになりかねません。

新聞や演説などをバランスよく見聞きして、それでも投票したい人がいない場合は「白紙で投票する」という選択肢もあるようです。

そうすることで、組織票で当選した政治家も白紙投票が多いという結果になると「市民全体に認められた訳ではない」というプレッシャーになるようです。

そして「投票して当選した政治家がその後どうしたか」をチェックすることも大切ですね。

公約に記載されている事項が行われていない場合は、次回の選挙では当選させてはいけない人、ということになります。

投票する政党も同じですね。


何となくですが、日本の良さが少しずつ失われているような気がするので、良いものは良い、悪いものは悪いとしっかりと主張して行きます。


看板を見上げて歩く

2014年11月13日 | 考え方

20年以上出張の多い生活を続けていますが、カーナビ、携帯、インターネットの普及で段取りにかかる時間が大幅に短縮され、トラブルが起こった際の対応も圧倒的にスムーズになりました。

20年ほど前から4年ほど東京を拠点に仕事をしていましたが、当時は日本全国の地図と安宿の本を手に、少ない情報を頼りに活動していたことを思い出します。

現在では「分らない」ということはほとんどなくなり、グーグルマップさえあれば世界のどこでも迷わず行けるほど便利な世の中になりました。

でも、当時のことを良く思い出すと「それほど困ってはいない」ということに気が付きます。

当時はどうしていたのか?ということを今思い出すことで、何かしら役立つこともありそうです。

日本は看板がとても充実しています。

特に首都圏では、ネットに頼らなくても、看板通りに進むと目的地にたどりつける場合が良くあります。

看板を見上げ、良い姿勢で歩くのもたまに良いかも知れませんね。


糧になる言葉

2014年11月05日 | 考え方

何かの本に「愚者は比較して一喜一憂、賢者は比較して己を知る」という言葉がありました。

愚者や賢者と表現するのは極端すぎる気もしますが、比較して一喜一憂するよりも、比較は己を知る為のもの、という考え方はとても心地よいです。

先日聞いた研修会で「過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる」という言葉を聞きました。

良く聞く言葉ではありますが、改めて聞くとしっくりきます。

どんなに前向きに生きている人でも、何かの拍子に落ち込んだり、分っていても気持ちを上げられないことがあったりします。

人は一人で生きて行くことはできないので、周りには暖かく見守ってくれている人が必ずいます。

でも、心底頼ってしまうと、その人がいなくなると倒れてしまいます。

暖かい眼差しに感謝して、自分の足でしっかりと立つ為に、自分で自分を強く厳しく育てることも必要です。

そんな時に手を差し伸べてくれるのは、些細な言葉だったりするのかも知れません。

自分にとって糧になる言葉、これからも集めて行きたいと思います。


おまじない的なもの

2014年09月08日 | 考え方

北斗市はすっかり秋です。

これから一日一日冬が近づいてくると思うとなぜか少しさみしくなりますね。

でも、冬が終わると春が来て、また暑い夏が来ると考えると、過ぎてしまう冬を楽しもう!と元気になったりします。

不思議なもので、気持ちの浮き沈みは考え方一つだったりします。

とんでもない試練や困難があっても「死にはしない」と開き直ることができれば頑張れたり、どうでも良い小さなことでも「もうダメだ」と思うとトコトンダメになったりします。

「だったらいつでも前向きに」と書くのは簡単ですが、実行するのはとんでもなく大変だったりします。

そうやって揺れ動いて、分っているのにできない、それで良いのだと思います。

諦めずにそんなことを繰り返しているうちに、気持ちを切り替えることができるコツや言葉、おまじない的なものを見つけることができるのだと思います。

そのおまじない的なものも歯が立たないことが起きたりします。

するとまた、そこを乗り換えることができるおまじない的なものを探す、の繰り返しです。

いつかは「死んでしまう」という試練もやってきます。

その時に、ちゃんと私らしくいられるように、おまじない的なものをアップデートして行きたいと思います。

写真は洗車機で洗車中。

なぜか子供の頃から好きです。

車以外もいろいろと綺麗になった気分になって、私のおまじない的なものの一つです。


月に行く

2014年09月06日 | 考え方

「月にはロケットを使えば行けます」と今言うと「そうだね」と言われます。

でも、50年前に同じことを言えば「お前はバカか」と言われます。

STAP細胞のこともきっとそのレベルの話で「ロケットを使うと月に行ける」とまず思うことが大発見です。

その後、その大発見にもとずいて研究を進め、月にロケットで行くために必要な様々な計画、実験、失敗、検証を繰り返して、何十年もかけて膨大な犠牲を払って最終的に月にたどりついたのです。

まずは思うこと、そしてその可能性をできるだけ明確に示すこと、それが大学で言うところの論文なのでしょう。

この「できる限り明確に」の考え方の精度が論文としての評価です。

実際に月に行けるかどうかなど、ずっと後の話で良いのです。

論文を見て「う~ん、この月の写真は別の人が撮ったやつだろう」とかの指摘はどうでも良いことです。

「月に行く」その発想が化学のスタートです。

「月に行く」と真剣に考える人に悪い奴なんているのでしょうか。

「あいつ月に行くなんてバカだよね」という人とどちらが魅力的かなんて、比べる意味もありません。

現在世の中にあふれている論文のように、すでにあるものの裏付け研究も必要ではありますが、この世にない発想、まったく新しい感性を潰すようなことはして欲しくない、そう思うだけです。

今の日本は大丈夫か?と思うことが多いです。

「月に行く」死ぬまでそんな感覚で生きて行こうと思います。


それぞれの考え方

2014年08月19日 | 考え方

営業マンは営業マンとして、技術者は技術者として、経営者は経営者としての見方があって、それぞれが尊重されることが望ましいと考えています。

営業マンは「売る為に」にウェイトを置いた考え方をするべきで、技術者は「より良いもの」にウェイトを置くべきです。

両方の意見を聞いて最終判断は責任を持って経営者が行います。

少人数又は一人の場合でも、それぞれの見方、それぞれの考え方を経て最終判断を下すというプロセスが最終的な間違いを予防する一つの考え方です。

経営者は間違った判断をしてはいけないので「売る為に」の意見や「より良いもの」の意見が、フレッシュでかつ正確かを判断しなければいけません。

思い入れや個人の感情などは取り除く必要があります。

営業マンが「より良いもの」を創造したり、技術者が「売れる為に」を考えることは悪いことではないですが、役割以外の考えに偏りすぎると社内や組織内の情報バランスが崩れてしまいます。

技術者には余計なことを考えずにより良いものを作ることができる環境を、営業マンにはその商品をより多く売ることができる状況を整えることが重要です。

「営業マンの言うのであれば許されることでも、技術者がそれを言ってはいけない。」という場合も、その逆も当然出てきます。

それぞれの立ち位置を尊重しあえることが大切だとすると、結局それができる個々の人格や人柄が大切、という結論に行きつきます。

さて、今日もゴシゴシ人柄磨いて行きましょう。


良くない作用

2014年08月11日 | 考え方

感情的になりそうだったので少し間を開けて書いていますが、科学者の笹井さんが亡くなりました。

日本の化学の大きな損失です。

社会人として何か間違いを犯したわけではないのに苛めの標的にされて、自分よりも悪くないのに更に強く標的とされている部下の小保方さんを守ることができなくて、無念だったのだと思います。

笹井さんも小保方さんも知り合いでもなんでもありませんが、どこからどう見ても責められることはしていないのに、どうして総力を挙げて攻撃されているのか疑問です。

前にも書きましたが、今回の問題は発表した論文に間違いがあっただけです。

しかもその間違いは軽微だったので、様々な審査をすり抜けてメジャー雑誌で取り上げられました。

論文そのものが得た功績は大変なものです。

あまり報じられていませんが、現在発表されている多くの論文を細かく精査すると、小保方さん程度の間違いは星の数ほどあるので、いちいち罰していては化学の進歩は止まります。

きっと最初は小保方さんの成功に嫉妬した何者かの小さな告発だったと思うのですが、今の日本の中にある何かとても良くない作用が働いて、今回のことが起きてしまいました。

日本は島国で外からの接触(圧力)が極端に少ない国です。

その分情報に純粋で、間違った方向でも進んで行ってしまう怖さを感じます。

外のこと、内のこと、いろいろな角度からよーく見て考えて、今の状態を見た時に見えてくることがあります。

そして、言葉の力で人は死ぬ、ということを知らなくてはいけません。

言っている側は当たり前だと思っていても、捉える側には暴力以外の何物でもないということがあります。

科学者にとって「改ざん」とか「偽装」という言葉が人格の全てを否定する破壊的な言葉であるように、人によってそれぞれ暴力と捉える言葉は違います。

世の中に影響力があればあるほど、気を付ける必要があります。

まずは自分自身から背筋を伸ばして行きます。


休むこと

2014年07月23日 | 考え方

出張カバンの大きさは出張の長さによって変えています。

一日二日だとこちら、

もう少し長いとこちら、

もっと長いとこちらになります。

以前は大きめのカバンを常に使っていたのですが、すぐに壊れていました。

使い分けるようになってから随分と長持ちするようになった気がします。

靴なんかでもそうですが程よく「休ませる」ことが長持ちの秘訣のようですね。

物も人も元気に長持ちさせるには「休むこと」も大切なのだと実感します。

しっかり仕事をしいてしっかり休む、心掛けて行きます。


怖い世の中です

2014年04月10日 | 考え方

仮に、ハイブリッドカーを開発したのでプレゼンを行うこととします。

この開発の胆はエンジンをモーターでアシストして燃費を向上させる技術なので、タイヤだったりハンドルだったり、既存技術の部分はコピペをして資料を作りプレゼンをしました。

これ、改ざんでしょうか。

論文は書いたことがないので詳しいルールはわかりませんが、化学技術は文学や音楽と違って、既存技術の中や先に発見があることが多いので、論文には当然共有部分が多く存在するように思います。

この部分はコピペで良いのでは、というより、いちいち書くことは時間の無駄のようにも思います。

そもそも今回ミスとされている映像部分が何を示しているのか解って報道している人はどの程度いるのでしょうか。

専門家と言われる人がいろいろとコメントしていますが、後から出てきて問題点を探るほど楽な仕事はありません。

ライバルを駆逐するチャンスでもあるので一石二鳥かも知れません。

今回問題になっているのは提出された論文のはずなのに、昨夜のニュースや今朝の新聞にも、STAP細胞の存在を立証できず・・みたいなことが書いてあります。

説明が不十分、という言葉も並びますが、研究者としての将来を考えた時、あの時あの場所でどこまでのことが言えるでしょうか。

研究を止められている状態で「STAP細胞を証明せよ」ということは、飛行機を取り上げられたパイロットに「飛んで見せろ」と言っていることと一緒で、苛めと言っても良い酷い状況です。

今はぐっと我慢して、いつかは倍返し、ですね。

それにしても何とも怖い世の中になったものだと、最近思うことが多くなりました。

道を踏み外さないように、志を持って進んで行きたいと思います。