昨夜、お世話になっている加盟店様のユーザー会に参加させて頂き「どうして環境の厳しい旭川に住んでいるのですか?」の質問の答えは、ここに生まれたから、でした。
もっともです。
住宅の研究者として、血肉になる情報をたくさん頂いたので、形にします。
20年以上出張の多い生活を続けていますが、カーナビ、携帯、インターネットの普及で段取りにかかる時間が大幅に短縮され、トラブルが起こった際の対応も圧倒的にスムーズになりました。
20年ほど前から4年ほど東京を拠点に仕事をしていましたが、当時は日本全国の地図と安宿の本を手に、少ない情報を頼りに活動していたことを思い出します。
現在では「分らない」ということはほとんどなくなり、グーグルマップさえあれば世界のどこでも迷わず行けるほど便利な世の中になりました。
でも、当時のことを良く思い出すと「それほど困ってはいない」ということに気が付きます。
当時はどうしていたのか?ということを今思い出すことで、何かしら役立つこともありそうです。
日本は看板がとても充実しています。
特に首都圏では、ネットに頼らなくても、看板通りに進むと目的地にたどりつける場合が良くあります。
看板を見上げ、良い姿勢で歩くのもたまに良いかも知れませんね。
シアトルについてきっと最後になりますが、郊外に行くと滝があり、なかなかの観光地になっています。
最終日の夜、この近くのカジノが併設してあるホテルで夕食を頂き、食後に一勝負です。
そうそう、ワシントン州は基本的に禁煙で、タバコを吸う場所などは一切ありません。
外で吸うにしても、建物の出入り口から何フィートか離れないといけないとのことで愛煙家には厳しい国ですね。
今回のメンバーでタバコを吸うのは私だけだったので、夜同室の社長が寝静まった頃、ホテルの外に携帯灰皿を持って一服するのが日課でした。
そうして吸っているとほぼ必ず「シガープリーズ」と少しやんちゃな感じの若者が声をかけてきます。
一本くらいくれても良いのですが、本気で話しかけられても厄介なので「ラストワン、ソーリー」と言ってあきらめてもらいます。
皆さんあっさり諦めるので逆に少々申し訳ない気持ちになったりしました。
一勝負に戻りますが、カジノは基本的に外国人向けなので、タバコが普通に吸えます。
私はそれほど多くタバコは吸いませんが、これは嬉しかったですね。
少額のスロットでちょこちょこ勝ったので、10ドルが160ドル少々に増えたところでやめました。
我ながらせこいです。
皆さんはそれなりに負けたようだったので、シアトル市内のホテルに戻ってから行ったバーでの最後の打ち上げで綺麗に消費しました。
とても納まりが良い、アメリカ最後の夜でした。
アメリカにそれほど興味があった訳ではないのですが、文化に触れる、と言った意味で大変勉強になった旅でした。
また機会を見つけてどこかに行ってみよう、と思う今日この頃です。
シアトルから船で30分少々の場所に「ベインブリッジ・アイランド」という島があります。
現在は一部道路で結ばれているので、日本で言えば淡路島みたいな島ですかね。
このベインブリッジはシアトル近郊に住む方々の憧れの場所で、住むことがステイタスになっているとのことでした。
移動日を除くと視察の最終日となったこの日は、ベインブリッジ高級住宅街の視察と言うことで車ごと船移動です。
ちなみに船先でイチャイチャしているカップルは良く見ると男同士でした。
何となく出鼻をくじかれた感もありますが、ベインブリッジの清潔感のある街並みや自然はとても魅力的でした。
雑貨屋なども時間を忘れそうなくらい面白いです。
昔、この島には日本からの移民が多く住み、島の発展に大きく寄与したそうです。
その名残が観光地として残っています。
戦争時、強制収容所に入れられた日系人は大変苦労したようですね。
英語の解説ですが簡単な英文なので比較的わかりやすいです。(それでもあまりわかりませんが・・。)
アメリカで日本人が残した歴史を知るとは思わなかったので、感慨深いです。
何かの本に「愚者は比較して一喜一憂、賢者は比較して己を知る」という言葉がありました。
愚者や賢者と表現するのは極端すぎる気もしますが、比較して一喜一憂するよりも、比較は己を知る為のもの、という考え方はとても心地よいです。
先日聞いた研修会で「過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる」という言葉を聞きました。
良く聞く言葉ではありますが、改めて聞くとしっくりきます。
どんなに前向きに生きている人でも、何かの拍子に落ち込んだり、分っていても気持ちを上げられないことがあったりします。
人は一人で生きて行くことはできないので、周りには暖かく見守ってくれている人が必ずいます。
でも、心底頼ってしまうと、その人がいなくなると倒れてしまいます。
暖かい眼差しに感謝して、自分の足でしっかりと立つ為に、自分で自分を強く厳しく育てることも必要です。
そんな時に手を差し伸べてくれるのは、些細な言葉だったりするのかも知れません。
自分にとって糧になる言葉、これからも集めて行きたいと思います。