26.1.12
菊池神社。
ここは胴塚とも呼ばれ、首塚は六本松にある。
首塚は鳥居と墓碑。
鳥居扁額は菊池霊社。
ここ菊池神社は、拝殿、本殿の奥に、菊池武時公の墓がある。
「菊池寂阿公墓」と刻まれている。
周囲の玉垣は、明治二年創建後、改修を経て今日に至っている。
橋本八幡宮。
「きずな」の木がちょっと有名。
クスとマキが途中でくっついている。
福岡藩第三代藩主黒田光之の母の里であり、光之はこのあたりで生まれた。
光之の胎盤が埋められたと言い伝えがあり、祈念碑がたつ。
光之は、将来藩主になれるよう、橋本にあった八幡宮に祈願した。
そしてその祈願がかない、お礼に八幡宮を遷宮させ、三万坪の広大な敷地を与え、荘厳な社殿を現在の西新の地に築造した。
のち再度遷宮し、現在は西新からほど近い高取に鎮座する。
紅葉八幡宮だ。
現在の橋本八幡宮は、八幡宮がなくなった後の村の人々は紅葉八幡宮を遙拝していたが、やはり直接お参りするため、再建したもの。
紅葉八幡宮鳥居。
柱には、「貞享二年黒田光之奉納」、「昭和三年十一月再建」と刻まれる。
しかし、柱は境内に保存されている。
この鳥居をくぐり、階段を上る途中、頭山満の協賛金奉納の碑が立つ。
でかい。
8.8メートル、8.8トンだそうだ。
熊本出身の小職が、西南学院大学入学に伴って最初に福岡に住んだのが西新七丁目の男子寮(碧波寮)で、紅葉八幡宮の氏子区域。
次に住んだのが昭代三丁目。
西新七丁目と昭代三丁目の中間地点に鎮座するのが紅葉八幡宮。
昔からお世話になっている神社だ。
最後に愛宕神社。
学生時代、少林寺拳法のランニングで大学からここまで走り、このきつい坂を駆け上ったことが強烈な思い出だ。
愛宕神社境内に稲荷神社がある。
伏見稲荷大神と宇之目稲荷大神を祀る。
この宇之目稲荷大神、なんと煙草が好物とか。
梅ヶ枝餅より甘いあんこだった。
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