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簀子神社??福岡家庭裁判所

2010-01-08 20:53:48 | 神社

小職は、「温故知新」という言葉が好きだ。
歴史に学ぶことが、現在に、そして将来に生かされるからだ。
密かに「有限会社温故知新」という休眠会社も持っている(笑)。

そこで、特に郷土史の研究に力を入れつつあるが、現在の研究テーマは「福岡市中央区に鎮座する神社」だ。
道祖神等はいったん対象外として「社殿」を有する神社に限定している。
社殿の規模については、極めて小さいものも対象だ。

基本は「現地調査」。
由来記等は当然確認する。
場合によっては、現地聞き込みも行う。
さらに、文献確認も。
主な参考文献は次の通り。

<江戸時代>
『筑前国続風土記』、『筑前国続風土記附録』、『筑前国続風土記拾遺』(貝原益軒ほか)
『筑前名所図会』(奥村玉欄)
『筑前町村書上帳』(青柳種信)
<昭和>
『福岡県神社誌』
『式内社調査報告第24巻』
『大日本名所図録図絵』

戦前は、神社には社格があった。
格が高い神社に与えられた社格が「官国弊社」で、具体的には次の通り。
※カッコ内は、福岡県内の該当神社

・官弊大社(香椎宮、宗像大社、筥崎八幡宮)
・官弊中社(太宰府天満宮、英彦山神宮)
・官弊小社(住吉神社、志賀海神社、竈門神社)
・国弊大社(高良大社など)
・国弊中社(福岡県該当無し)
・国弊小社(福岡県該当無し)
・別格官弊社(福岡県該当無し)

以上の通り、福岡県内には社格が高い神社が多い。
官弊小社は全国で5社しかないが、そのうち3社が福岡県だ。
国弊大社も全国で6社しかない。
(官弊大社は、戦前は全国〔当時の朝鮮、台湾、樺太、パラオ等を含む)60社以上あった)

ちなみに、伊勢神宮は神社界の頂点のため社格はない。
「伊勢神宮」という呼称も便宜上の言葉で、正しくは「内宮」と「外宮」だ。
内宮・外宮は、「ないくう・げくう」と濁らずに読む。

官国弊社の下の社格は、次の通り。
※県社、郷社のカッコ内は福岡市内の神社
※村社カッコ内は福岡市中央区内の神社

・県社(紅葉八幡宮、鳥飼八幡宮、櫛田神社、警固神社、光雲神社、菊池神社)
・郷社(月隈八幡宮、鷲尾愛宕神社、姪浜住吉神社、飯盛神社)
・村社(若宮神社、小烏神社、水鏡天満宮、平尾八幡宮)
・無格社

県社は福岡市民なら知っている神社だろう。
菊池神社は七隈に鎮座するが、戦前は「忠臣・菊池武時」は歴史上のヒーローだった関係が強い。
郷社も参拝者がかなり多い神社だ。

村社となると、かなりの多くの神社が指定されている。
中央区の村社では、水鏡天満宮が有名だ。

最後の「無格社」。
これは「格が無い」のではなく、「無格社」という格だ。
無格社に該当する神社は、『福岡県神社誌』にも無格社として神社名が紹介されている。
現在小職が調査しているのが、この「無格社」及び無格社として登録がない福岡市中央区の神社だ。

『福岡県神社誌』は、昭和10年代の書籍で、当時の社格が掲載されている。
無格社は、神社名・御祭神名の他、番地のない所在地が当時の地名で記載されている。
現在の中央区域内の無格社のほとんどは、現在の神社と照合してあたりをつけた。
しかし、ただ1社「簀子神社」だけが謎だった。

本日、福岡市中央区役所に出向き、担当者に確認したところ、やはり不明。
しかし!
その後わざわざ電話連絡をいただいた。
現在どうなっているかわからないが、場所としては「福岡家庭裁判所」の場所に該当するとのこと。

福岡家庭裁判所は、曰く付きの場所だ。
戦前は「長宮院」という寺院があった。
江戸時代は、黒田藩二代目忠之が大阪で「采女」という遊女を気に入って連れ帰ったが、栗山大膳らに反対されて家臣に与えたところ、その家臣が熱を上げ、本妻(お綱)そっちのけとなってしまった。
結果的には本妻は狂乱して薙刀をふるって夫に一太刀浴びせようとするが達せず、福岡城の東御門で息絶えた。
その後この門は祟りをなすことに...「お綱門」と呼ばれるようになる。
それから城を取り壊す際にもお綱門は祟るから壊せず、長宮院にそのまま移築されたという。

話を戻すが、その福岡家庭裁判所、近日中に祠等がないか確認に行きたい。
区役所職員さんに感謝!


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