昨日の練習はライン。
今回はフレージングの確認や音量などを楽章ごとにチェック。
楽譜に落ちてるフォルティシモなど書き足したり(けっこうミスプリあるな;)など。
合わせてみるともちろん難しいのだけど、シューマンいいなあ、やっぱり。
今回の練習に向けて、交響曲全集を聴きなおしながら解説など読んだりしているが、聴くだけなら「春」の方が好きかもしれない。が、技術的には「ライン」のほうがまだ良かった、うん。「春」の3楽章などめっちゃ好きだけど難しそうだし;でもいつかまた機会があったら次は・・などと、「ライン」もまだ弾けてない内から次なる野望を燃やしたりして。
解説を読む。楽曲の難しいことは分からないので、作曲家自身の作曲の背景を読むほうが面白く感じてしまう。
シューマンが恩師の娘であるクララと熱愛の末結婚して、幸福なはずが徐々に精神を壊し2度の自殺未遂、最後は病院でクララに「おれは知っている」という謎めいた言葉を残し死亡。。。むー。
クララのお父さんはクララを第二のモーツァルトにしたかったみたいで彼女の楽才は相当なものだったみたいだ。それだけにシューマンとの結婚には猛烈に反対、かなりあくどい妨害もしたみたい。。。そうやって苦労して結婚したクララと8人の子供を授かったのに、晩期ではブラームスとクララの仲を疑って疑心暗鬼の中で死んでいったのだな。。。ちょっと気の毒な人生である。
物事には同じ事が二つの側面をもつことが多い。一方にとって良いことが一方にとって悪いという裏腹な事柄。
楽才に恵まれたクララという伴侶を得て、彼の創作活動や評論家としての活動は随分大きく発展しただろうと思う。なのに、一方で彼女に楽才があったがために、自分の存在価値を信じ切れなかった面もあるのではないか。特に恩師である義理の父が悪意をもって彼の作曲を批判したりするのも堪えたと思う。
精神を壊す芸術家というのは数多くいるが、私が真っ先に思い出すのは屈指のバレエダンサー・ニジンスキーの生涯。
彼の自伝を読んだことがあるが、後半から精神障害が文面にも如実に現れ始めているので、狂って行く人の心を文章で読むのは非常にコワかった。クララがシューマンの最後の方の楽曲や何かを棄てたというのも気持ちが分からなくはない。
たとえばよそおった狂気のような文章や絵などはホントには怖くない。稀代の奇書「ドグラ・マグラ」のように読んでいて頭がぐるぐるしてくるような、そういう作られた狂気ではない、真の狂気から書かれたものは読んでいて胸が痛くなるのである。それが華やかな光を放った天才であればあるだけ、その心の闇の深さを垣間見るようで。
話がだいぶそれたけども、そんなこんなで、シューマンをやるにあたって交響曲は全部聴いたが、今度はピアノ曲とかほかのも聴こうかな。
解説を読んだりもすべて通勤時の車の中で信号待ちでやるという例の方法だが;貧乏閑ナシなので、時間のやりくりするしかないのだった。
今回はフレージングの確認や音量などを楽章ごとにチェック。
楽譜に落ちてるフォルティシモなど書き足したり(けっこうミスプリあるな;)など。
合わせてみるともちろん難しいのだけど、シューマンいいなあ、やっぱり。
今回の練習に向けて、交響曲全集を聴きなおしながら解説など読んだりしているが、聴くだけなら「春」の方が好きかもしれない。が、技術的には「ライン」のほうがまだ良かった、うん。「春」の3楽章などめっちゃ好きだけど難しそうだし;でもいつかまた機会があったら次は・・などと、「ライン」もまだ弾けてない内から次なる野望を燃やしたりして。
解説を読む。楽曲の難しいことは分からないので、作曲家自身の作曲の背景を読むほうが面白く感じてしまう。
シューマンが恩師の娘であるクララと熱愛の末結婚して、幸福なはずが徐々に精神を壊し2度の自殺未遂、最後は病院でクララに「おれは知っている」という謎めいた言葉を残し死亡。。。むー。
クララのお父さんはクララを第二のモーツァルトにしたかったみたいで彼女の楽才は相当なものだったみたいだ。それだけにシューマンとの結婚には猛烈に反対、かなりあくどい妨害もしたみたい。。。そうやって苦労して結婚したクララと8人の子供を授かったのに、晩期ではブラームスとクララの仲を疑って疑心暗鬼の中で死んでいったのだな。。。ちょっと気の毒な人生である。
物事には同じ事が二つの側面をもつことが多い。一方にとって良いことが一方にとって悪いという裏腹な事柄。
楽才に恵まれたクララという伴侶を得て、彼の創作活動や評論家としての活動は随分大きく発展しただろうと思う。なのに、一方で彼女に楽才があったがために、自分の存在価値を信じ切れなかった面もあるのではないか。特に恩師である義理の父が悪意をもって彼の作曲を批判したりするのも堪えたと思う。
精神を壊す芸術家というのは数多くいるが、私が真っ先に思い出すのは屈指のバレエダンサー・ニジンスキーの生涯。
彼の自伝を読んだことがあるが、後半から精神障害が文面にも如実に現れ始めているので、狂って行く人の心を文章で読むのは非常にコワかった。クララがシューマンの最後の方の楽曲や何かを棄てたというのも気持ちが分からなくはない。
たとえばよそおった狂気のような文章や絵などはホントには怖くない。稀代の奇書「ドグラ・マグラ」のように読んでいて頭がぐるぐるしてくるような、そういう作られた狂気ではない、真の狂気から書かれたものは読んでいて胸が痛くなるのである。それが華やかな光を放った天才であればあるだけ、その心の闇の深さを垣間見るようで。
話がだいぶそれたけども、そんなこんなで、シューマンをやるにあたって交響曲は全部聴いたが、今度はピアノ曲とかほかのも聴こうかな。
解説を読んだりもすべて通勤時の車の中で信号待ちでやるという例の方法だが;貧乏閑ナシなので、時間のやりくりするしかないのだった。