アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

もちろん自由

2008年10月24日 | Weblog
しかし、昨日の日記は怒りのあまり長々と書いてしまったが、冷静に考えるとその人が「うちのオケ」といいながら高い意識で周囲を下に見て批評的に何やかにや個人の日記で書こうと、それは自由なんだよな。
単に私が不快に思うってだけで。
しかも私は自分の(その本人も読む)日記でも何度か「そんなこと書かれたら私は面白くないし」ということまでも何度か書いてるのだが、それでもいつも同じ調子ということは、こちらが何をどう思おうと、その人はそれを書かずにはおれないということなのだ。不快だと書かれても同じように書くってよほど私が同じ団でやってる仲間としてさらには日記の読み手としてもその人には眼中にないのだろうな。そうでなければかなり失礼な話だもの。

もちろん音楽的に同じ素人とはいっても理解力の差や演奏技術の差も大きく、そういう人達からみれば、周囲の何も分かっておらず意識も低い人間を下にみて、あーあ、と思いながらも一緒にやってるなんてこと、どこのオケだってあるだろう。
私が目にしたり話したりしないだけで、他にも同じように感じながらやってる人だってそりゃいるだろう。
管楽器と弦楽器でも意識の差があって、前に管の人と話したら「音程どうにかしろー」とか「ホントに練習してきてるの」など厳しいことをたくさん言われたことだってある。でもそれは逆に面と向かってだし、精進します、はい、、という話なのでそれはしょうがないのだ。こっちだって、管のメインが出席率が悪かったりすると「ちゃんともっと来てよ」なんてことを言っちゃったことだってあるし。いい演奏をしたいと思って面と向かって厳しいことを指摘しあうのなんかはお互い様だし、それは悪いことじゃないと思う。

私がその人に不快なのは、わざわざそれを他のオケの人が読むために書いてる、みたいな感じがなんだろう。
演奏のことだけじゃなくて、運営的なことでも何かあったりして彼の主観でこうだったああだった、と書かれて(私から見るとそれこそ青臭い理屈だったりするのだが;)そっちのオケの人達がなんやかやと同調する様を見るのが腹立たしい。

ああ、もういいんだ、そういう人のことは。
好きにすればいい。

・・私が不思議なのはそんな感じなのに、なぜか「辞める」とは言わないというところ。休むだの辞めるだの口にすることはないわけではないのだが、こっちが「そうすればいいじゃないですか」というとそこで終わる。
普通、別に義理でもなんでもないのに無理にいる必要はまったくないのに、そこは不思議・・。単なる自己顕示なのか、と思ってしまうのは「私の気のせい」。

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