アマオケ活動記ブログ版

所属しているアマオケ(群馬シティフィル)での活動を中心に演奏会案内や練習状況など零します。

先回(10月19日)の練習

2011年10月24日 | Weblog
先回の練習は「未完成」とブラ4の1楽章の丁寧な練習。
しまった、「未完成」ほとんどさらってこなかったよ…と思いつつ参加;
なんせブラームスブラームスと言ってるもんで、、そんでやっぱ「未完成」はもうひといき好きになれない、いかんな~。

ブラームスが今世に生きていたら彼が指揮するコンサート聴きに行って、楽屋押しかけて握手してもらって一緒に写真撮ってサイン貰いたいくらい好きだ(単なるミーハーか;)あんな怖いひげ面のおじさんがこんな美しい濃密な曲、いぶし銀のような、熟成したワインのような曲を書いちゃうんだものなあ…
特に4つの交響曲はどれも本当に好きなので、ついこっちをなんとか少しでも自分の中で良いものにしたくて。
シューベルトの「未完成」もいい曲なんですけど、この曲が今世まで残ってる理由は2楽章で中断されてしまったことにこそ、むしろ何か作曲家への物語を感じたりしてるせいもあるのでは。。。。この中途感が若くして亡くなった作曲家の生き急いだ才能の片鱗を煌めかせるのかも。
私はどっちかというとシューベルトは歌曲の人だと思っているので(いや、まあ歌曲も大して聞いてないのですが;)
実は子供の頃すっごく好きでよく歌っていた「菩提樹」がシューベルトの作曲だったと知った時にはちょっと驚いたのでした。いい曲ですよ、「菩提樹」は。あと「魔王」とかも好きなので、この作曲家には私は交響曲よりは歌曲の方が魅力を感じるのでした。
しかし個人的な好き嫌いをいつまでも言っていないでなんとかしていかねばなりません;

SY先生にしてもS先生にしてもアマオケの我々に対しての練習はまずは大きな曲全体のイメージや流れの構築から入って、徐々に仕上げへと細かい部分への削り出しにかかるという感じです。
指揮者が違うとこの持って行き方がだいぶ違うんで、面白いなあ~~と思いながらいつも参加しております。どっちがいいとか悪いとか言いたいのではなく、違うから面白いし興味深いというだけのことなのですが。
なんとなく彫刻とかの方法の違いを想像するのです。
大きな木の固まりをざくざくと彫って輪郭を大きく彫りきって、そこからさらに細やかに表情を削って彩色する方法や、先に針金で芯を作ってそこに肉付けを大きく付けてさらにそこから細かく削って彩色する方法などが美術品でもいろいろありますけど、音楽にもそういう作り方の違いがあるのだな、と思ったりするわけです。

今は大きな肉付けまでおおよそついてきたので、細かい削る作業にかかっていて、それでどれだけ作品から全体の良い雰囲気、細かい表情が出せるか、美しい彩色が乗るか、などの段階に入ってきたように思います。
そういうのをイメージしているとけっこう楽しいです。

構築なので、ちぐはぐでなかなかはまっていかない寄席木細工を想像したりします。
部分的にスムーズに入って行かないのはなぜだ?どこかが出っ張りすぎて入るべき治まるべきところに入らないパートがあるから?
ここはすっと滑るように入れ込まれる、でもここはちょっと無理やり力づくで入れないと入らない、滑りが悪いのはフレーズの流れを押し戻すテンポ感に乗ってないパートがあるから?など想像してみます。
自分がこの曲の全体像の中でどの部分なのか、絵でみればどこの部分?彫刻ならどの部分?そうしたことを理解してそれにふさわしい音量やテンポ、アゴーギクを感じ取ること、そういうのを意識して弾けたら非常に面白い。
それには周囲の音を常に聴くこと、自分がそれに対してどう出ていくか常に意識することが必要なんだろうな~、なかなか弾くことにいっぱいで出来ないけどw
スコア見ながら曲聴いたり、時間作って出来るだけやりたいですね。
難しいことは分からないけど、まずは指揮をよく見て要求を感じ取ってそれに応えるにはどういうテクニックが要るのか考えて、できないことはどうやったら出来るか練習の仕方を考えること。

やみくもに楽譜に向かってもなかなかなので、何を意識して練習するかを考えてそこから練習する時期にきたようです。


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