浜松台風情報 ② 9月15日(日)09時45分 雨は止んで小康状態
早朝、強雨だったようで、寝ていたのが雨の音で目が覚めました。
今09時45分は、雨は止んでいて、雲の隙間からすこし青空も見えます。
予報では、浜松がひどくなるのは台風が接近してくる、夜のようですが。
いま大雨がひどいのは関東地方のようです。
浜松台風情報 ② 9月15日(日)09時45分 雨は止んで小康状態
早朝、強雨だったようで、寝ていたのが雨の音で目が覚めました。
今09時45分は、雨は止んでいて、雲の隙間からすこし青空も見えます。
予報では、浜松がひどくなるのは台風が接近してくる、夜のようですが。
いま大雨がひどいのは関東地方のようです。
浜松台風情報① 9月14日(土)23時00分 まだコオロギが啼いています
まだ起きています。いま午後11時。予報では、南から台風の雲が北へ上がってきていて、そろそろ降り出しそうな感じですが、浜松市中区十軒町では、まだ降り出していません。
西側の窓の外で「りりりりりり」とコオロギが啼いています。鳴いています。
でも、大気が蒸し暑くい感じは、台風が接近して熱帯の空気が近づいているのを、みんな感じています。
予測では、これから雨が降り出して、いちど15日朝に「強雨」になりますが、それから夕方まで「弱雨」で、夜は「強雨」になります。
15日深夜からは台風が去っていく16日お昼頃まで「暴風」でしょうね。以上は、現段階での「予報」です。
Yahoo!の「天気」では、浜松市内はほとんど曇りですが、すでに雨が降り出したところもあるようです。
今回の台風情報① を終わります。いま23時11分です。次は、雨が降り出すなど、返歌があったら送信します。
雨宮日記 9月14日(土) 「資本論 第2部」講座でしたが明日は台風
夜は月1回の「資本論 第2部」講座でしたが、自分の認識のなかで、だいぶ進展がありました。最近、社会科学的なことは、あまり書いてないので、書ける余裕ができたら書きたいと思います。
☆
明日から2日間、台風が来そうで、しかも東海地方を直撃しそうな「大雨台風」なので、たいへんです。
さっき、次女は。日月休みなのですが、「わたし、買いだめしたよ」と言ってました。何があっても、自分の食料は確保したということでしょうか?きみは偉い!
夜中から降り出すという予報ですが,現在、午後10時18分、まだ、リリリリリリリ、とコオロギの声が聞こえていて、雨は降り出していません。
今回も、停電やパソコンダウンがないかぎり、このブログで、「台風速報」を浜松からお送りします。なにしろ、16日午前に、浜松付近を直撃しそうで、こわいです。
馬込川決壊しないでしょうね?
古代にも、大雨や地震で堤防の決壊がありました。天竜川の堤防の決壊もありました。古代から今まで,自然災害も、社会災害も続いています。
現代のこういう災害をまったく直視せずに、古代史の研究だけをしているわけにはいきません。古代人の苦闘を直視するなら、自分が現代人として苦闘しなければならないと思っています。
古代研究の比重は、もうすこし増やしたいとは思っていますが、古代から現代まで、宇宙から人類まで、ぜんぶひっくるめるボクのブログの意味は,少しはあるのではないかと思っています。
雨宮日記 9月13日(金) 浜松市議会本会議の傍聴と図書館へ「はだしのゲン」を借りに
市民として市政に関心を持たねばと、ちょうど浜松城広場の芝生の放射線問題で質問があるので、本会議の傍聴に行きました。
午後1時からなので30分前から受け付けます。則子さんと2人で受付に行ったら、ちょうど前の男性が「写真はいいんですか?」と聞いていて「携帯はだめですがデジカメならいいですよ」と市職員が言ったのでビックリしました。
ずっと録音も写真もダメと思い込んでいたからです。それで、いつも持ち歩いたけど、きょうは邪魔になるだけなので持ってこなかった一眼レフ型デジカメではなく、ポケットに入れていた小さなデジカメで撮影しました。あまり画像はよくないかも。
☆
1時間ほどで傍聴は終わり、その足で図書館へ。借りた本を2人とも返して、ぼくが「「はだしのゲン」予約したいんですけど」と言うと、職員(社員?)がパソコンを操作してくれて「中央図書館にはないんですけど、他の図書館の予約だと、いちばん少ない数で18人、多い数で30何人予約してますね」と言うので「来年、ほとぼりが覚めた頃、借りますね」ということになりました。
それにしても、「松江教育委員会」の功績(?意図してではないけど)は大きいのではないでしょうか。「良い本か、悪い本か」まず読まないと…といくのは、正しいことです。
誰かがどこかで「良い本か、悪い本か」決めるというのが一番悪い方法です。
ぼくは「良い本も,悪い本も、ふつうの本も、ぜんぶ子どもに読ませないと、正常な判断力はつかない」と思っています。「子どもに正常な判断力などいらない」という立場なら別ですけどね。
雨宮日記 9月12日(木) 則子さんは「せんたく」に…ぼくは「芝刈りに」…
則子さんは、昨日から、せんたく(「洗濯」ではなく職の「選択」に)、近くの福祉・介護施設の見学を始めました。
帰って来て言うのは、外見、同じような施設でも、中身は、それぞれ独自性があって、かなりちがう。「制服」があってビックリした施設もあった…。
ぼくとしては、この数年間の「地獄巡り」は終えて、せめて「煉獄」「地上」で働いて欲しいと思います。「天国」職場は、ありえないので、望みませんが。
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来年おばあさんになる則子さんが職探しの「川」へ「せんたく(洗濯ではなく選択)」に行ったので、来年おじいさんになるぼくは「芝刈り」いや「芝生刈り」?に行きました。
正確に言うと、浜松城公園の芝生広場の「放射能問題」で、環境市民団体「静岡県西部ゴミ環境問題ネットワーク」の代表として、共産党の市議と懇談に行きました。
いろいろ複雑な経過と、複雑な事情があって、数行では書けないので、また、きちんと執筆して、まとめをここに投稿するつもりです。
いまは、すみません、9月末の福島現地調査と、10月はじめの「核開発の歴史 原爆から原発へ」の講演準備で忙しいので、そのあと、10月になります。
雨宮日記 9月10日(火) ぼくは原稿書き…則子さんはオコゼ退治
ボクはかなり気を入れて、講義原稿書きでした。紙ゴミを捨てながら、文献をかなり分野別にまとめてきたので、かなり楽です。「圧力」も、今となっては背中を押してくれる嬉しい風でした。
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則子さんは、午前中は「絵手紙」?、いや「山頭火の会」?よくわかりません。則子さんは、きちんと言っていきますが、ぼくが記憶していないだけです。
ぼくは一人で出かける時、「行ってきます」くらいで、行き先は言わないときもあります。則子さんが「どこへ行くの?」と何気なしに(不審げにではありません)尋ねると、かならず「一緒に行く?」とボクが言うので、行き先を「職務質問」するのは減りましたね。
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午後、則子さんは「よし、オコゼ退治をするぞ!」と宣言して、重装備に身をつつんで、倉庫の前の育った「クスノキ」に巣くう「イラガの幼虫」退治をしました。
葉っぱの裏にいるんですけど、刺されると痛いんですね。
あわれ、クスノキは、ぜんぶ、葉っぱがなくなって太い幹だけになってしまいました。まあ、クスノキくんも、わが家の狭い土に根を張ってしまったのが運命の分かれ道でしたね。何年に1回か、こんな風に幹だけの哀れな姿になってます。
それでも、いつも、ここから小さな枝を出して、葉っぱを茂らせて「再生」していくのは、すごいです。今回も、わが妻・則子さんの暴挙に耐えて、クスノキくんが生き抜いてくれることを望みます。
雨宮智彦は、クスノキくんを応援します!がんばれ、クスノキ!
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哀れなクスノキの画像は明日、アップしますが、則子さんの「絵手紙」からアップします。
これ、ぼくも気にいってます。ぼくの大好きなトンボです。原発や古代史で忙しいですが、トンボなど生きものも、自分のだいじな。大好きな、自分を支えてくれる「現在・過去・未来」なんです。
雨宮日記 9月9日(月) 浜岡原発裁判第9回口頭弁論でした
今日は午後3時開廷で「浜岡原発永久停止裁判(浜松裁判)第9回口頭弁論」でした。午後2時から原告・支援者が集まるので、則子さんと「12時20分に家を出よう」と決めて、実際はもっと早く「そろそろ行こうか」と12時10分頃、家を出て遠鉄電車曳馬駅まで歩きました。
まだ昼間は暑いです。遠くに黒い雲が見えます。
24分の電車に乗って、遠州病院駅で降りて数分、地域情報センターのロビーに入ると、もう県内の遠くの原告・支援者が10人くらい座っていました。ごくろうさまです。
午後2時数分前、則子さんが鍵を借りて、ホールを開けました。ここでしばらく待って、打ち合わせをして、2時30分からの裁判所前での傍聴券抽選に備えます。
傍聴席60のうち、30枚は事前に原告でもらい1次から5次までのそれぞれの原告団に6枚づつ分けて、その人は抽選に参加せず、直接法廷へ入ってもらいました。
残った原告や支援者や向こう側(中電や国)の傍聴者も並ぶようです。向こう側も含めて、3列に並んだ抽選参加者はぼくが数えて69人でした。
午後3時に始まった法廷は、裁判官2名(裁判長以外)の交代にともなう弁論更新で、阿部弁護士が約10分、全体像をわかりやすく話してくれました。
そのあと、文書類の解釈などで裁判長から質問とやりとりがあって、次回を決めて閉廷。ぼくが事前の打ち合わせで「予測」した通り、ピタリ20分で終了しました。
原告側は、みんな「地域情報センターホール」に戻って「報告集会」。今日は第4次(浜松・湖西)が司会なので、ぼくが司会をすることになり、緊張しました。ほんとは、こういう司会は則子さんが最適任なんですけどね。
きちんとした報告は「浜岡原発永久停止裁判 原告団・弁護団・支援組織共同ブログ」でしますので、今日は省略。1時間を数分超えて終わりました。
かなり記者さんも来ていたので、明日の新聞が楽しみです。
暑い夏と忙しい9月初めが終わったので、やっと浜岡原発ブログの更新や浜岡裁判静岡県の会のニュース「希望 第3号」の編集に入ります。
9月末の裁判西部の会主催の「福島現地調査ツアー」の資料準備や、10月初めの西部の会連続学習会第3回で,ボクが講師の「核開発の歴史と被害 原爆と原発」の準備も始めました。
雨宮日記 9月8日(日) 夜は秋らしくなって虫たちが鳴き始めました
昼間は、まだ暑いのですが、夜は秋らしくなってきて、アオマツムシを始め、虫たちが鳴き始めました。
2階の「ボクと則子さんの部屋(則子さんは、まだ住んでません)でも、窓からリーリーりーと聞こえてきます。
安倍首相は、東京招致演説でとんでもないことを口走ったようです。調べて、きちんとレポートします。みんなで「抗議文」を出しましょう!
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写真は馬込川の堤防に咲いていた花。実際はもっとピンクですが、色がホワイトに飛んじゃってます。
雨宮日記 9月7日(土) 第2シリーズ原発学習会の第2回
今日の午後は、浜岡原発裁判静岡県西部の会主催で、第2シリーズ原発学習会の第2回でした。会の副代表の渥美邦夫さん(静岡大学工学部元教授)の「「除染」は幻想、原子力「発電所」は、海洋「熱汚染所」というタイトルです。
朝、タイトルの拡大コピーに近くのセブンイレブンへ。まあ、こんなもんかなあ…
会場は「曳馬協働センター(3月までは曳馬公民館)」で、家から近いので「則子さん、歩いていく?」と聞いたら「智彦くん、ムリよ!歩くだけで智彦くん、疲れて準備できないから車で行こ」と、ハナから拒否されました。
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渥美先生は、パソコン・プロジェクター持ち込みで、図表を駆使して、わかりやすい講演でした。
わかりにくい部分は、やはり、東電・政府が調査しないのか、調査しても公開しないのか、私たちには不明なところなんですね。
原子炉へ流れ込む冷却水が1日360トン、原子炉地下へ流れ込む地下水が1日400トンだそうです。だとすると原子炉から循環している総量が1日760トン無いと、その差が原子炉建屋から地下へ流出していることになります。ところが、その部分があいまいなんですね。
ボクは福島第1の1号機から3号機は、どれも「底の抜けたバケツ」状態になっていないか、疑っていますが、発表はありません。
いま、「汚染水」対策で出されている話は、① 原子炉から離された汚染水タンクの汚染水と、② 原子炉建屋自体の地下水汚染、この2つを両方とも解決する対策が必要だとおもいます。
そんな対策ができるか?できないでしょうね。たぶん。
だからこそ「絶望の国」であり、そこでどうやって「希望の国」を作れるか、ということでしょうね。
いまできる最良の汚染水対策は「未来の」、つまり「福島第1」以外の汚染水対策でしょうね。
いま、すべての原発を止めて、2度と動かさないこと、それが汚染水対策で、まず行うことです。
「再稼働反対」とは,ボクは言いません。漢字ばっかり使う運動は好きではありません。ぼくは「原発を2度と動かさないでください」と言います。
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曳馬協働センターへ行ったときに、リサイクルで,プリンターのインクと、以前に壊れたノートパソコンを所定の箱に入れてきました。
この家電リサイクルで、パソコンやデジカメや時計や、あとなんだっけかな、小さい家電をそこで処理してくれる事業は、非常にありがたいですね。
これは、浜松市をほめてあげたいですね。え?ボクだって、つねに浜松市をけなしているわけではないですよ。変なことをすればけなすし、いいことをすれば褒めます。
ただ、浜松市は、いいことをなかなか…してくれないので…ほめる機会がないんです…もっとほめたいんですけど…
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浜松市中区放射線情報 再開第2回 9月7日(土)午前9時20分、
雨宮家自宅2F屋内 0.038μSv/h
原発問題・放射線問題が「風化」しているという記事もあったので、「風化」しないための、ぼくたちの努力の1つとして、空間線量測定公開を再開します。
午後、原発学習会の曳馬協働センター2F303は、0.071平均でした。やはりコンクリの建物は「高い」です。
雨宮日記 9月6日(金)の2 昼間は袋井で親戚の告別式に行きました
則子さんも、まだ仕事を見付けていないので、ぼくの父方の親族で、父より1学年下の89才の方が亡くなったので、2人で電車ででかけました。
暑いので、浜松駅までタクシーで、浜松駅からJRで袋井駅へ。地図で見たら,袋井駅のすぐ南西にjあるので「袋井駅の南口へ下りて歩いて数分だな」と思っていたら、なんと、袋井駅には「南口」がなくて、北口しかありませんでした。
歩く道もよくわからないので、しかたなく、袋井駅前でタクシーに乗って「すみません…近いけど…セレモニアJAへ」と言ったら,運転手さんが、「みんな、あそこはわからないんですよ」と、車で大回りして、途中「帰りはこの地下道を通ってくればいいですから」と教えてくれました。
☆
最近の告別式は、故人の書や絵などの「作品」や、故人のスナップ写真を展示しています。ぼくらも準備しておかないといけないですね。
☆
お孫さんの「おじいちゃん」へのお別れの言葉があったり、心打たれる告別式でした。初めてあったみなさんとも、いろいろお話しして、帰って来ました。
疲れました。むしろ、「主催者」なら、あれをして、ここを考えて、臨機応変に則子さんと相談して…ぜんぜん疲れないけど、なにもせずにじっと待っているのが疲れるんだと思います。
雨宮日記 9月6日(金) 写真の「整理」を始めたら…
則子さんが「写真アルバムも整理して」と言うので(なお現代日本語に訳すると「写真も早く捨てて」という意味です)、プリントを入れて整理するフォルダーアルバムから写真を出して、内容でまとめて輪ゴムでしばり、アルバムは捨てる…という作業を始めました。
かなり「体積」は減りますね。1970年代後半から、カメラで写真を撮っていたので、30数年間のネガとプリントと、10年くらい前?からのデジカメ写真のパソコン内ファイルが残っています。
2015年完成目標の「平和年表」が一段落したら、「写真ファイル」を分野ごとにCDーRにして残したいのですが。
ネガだけのものはモノクロも含めて膨大にあるので、それはスキャナーで取り込めるかな、と思っています。
1979年2月11日の、2人の結婚式と新婚旅行の写真が出てきました。誰かが取ってくれた結婚式(自分で自分の結婚式の写真は撮影できませんね、残念ながら)のカラー写真(色あせてます)と、自分で撮った沖縄新婚旅行の写真(モノクロは色あせませんね、新鮮です)が出てきました。
これは「未来に残したい」「歴史的価値」とは思いませんが、娘たちが「見たい」という希望があれば、お見せしますけどね。
でも、この「労政会館」が今はすでにない(伊場へ移転してしまった)ことを考えると、写真としての「歴史的」価値はあるのかも?
☆
空間放射線量測定数値公開 再開第1回 2013年9月6日(金)午前8時40分
雨宮自宅2F南の部屋にて 0.041μSv/h (測定器機はつねに堀場PA1000)
本と映像の森 257の2 テレビアニメ「ワンピース」が「決戦の時」
今日2013年9月5日(木)も、夕方、5時25分からテレビアニメ「ワンピース」を見ました。これって、再放送?よくわからないです。
前回「地獄めぐり」の話で紹介しました。
海軍刑務所から海賊の囚人たちといっしょに脱獄してしまったルフィは、「兄」(血のつながった兄ではなく、お互いに「兄弟」のさかずきをかわしたという意味)のエースを救出に、なぜかいっしょになってしまったたくさんの海賊・能力者といっしょに処刑場へむかいます。
そこで、エースの「義父」、海賊「白ヒゲ」たちが海軍刑務所を襲撃するのに遭遇して、事実上の「共闘態勢」となります。
「巨神兵」みたいに、やたらと高エネルギーの光線でを発する、たくさんの能力者とちがって、麦わらルフィは、「ゴム人間」というだけで、やたら殴られたり、切られたりします。
海軍の「剣士」(名前覚えられないです。ごめんね!)は、ルフィと対決して、ルフィを助ける何人もの能力者達に邪魔されて、始めて気づきます。
「こいつの能力は、自分だけの能力ではなくて、他人に信頼されて、他人がルフィを助けたいと思う、そういう仲間をつくる能力なんだ」(セリフではありません。そういう思考を語っていたと言うことで…かんべんを)。
でも、感動しました。まるで『幻魔大戦』の東丈(あずまじょう)さん、みたいですね。
数回前で、処刑台で縛られているエースが変化するんです。それまで、「みんな来るな」「おれなんか助けるな、ルフィー来るな」と叫んでいたエースが、「生きるにしろ、死ぬにしろ、どっちでも満足なんだ」という意味のセリフを言うんですね。
つまり、みんなが自分を助けに来てくれた、その幸せ、自分が愛されて生きてきた、そのことを確認すれば、いつでも、今、死ねる!
海軍!おまえらが考えている、おれの処刑や、闘いの結果なんか、なんの歴史的意味もないさ、という、すごい達観。
ぼくが補足すると。エースの処刑を餌に、海賊白ひげ団を壊滅させようとした政府・海軍の陰謀も、歴史的には、何の意味もなく,歴史には、エースやルフィを助けようとした人々の善意だけが伝えられていくんです。
それにしても、「クマ」!、おまえは口から熱光線を吐いて、周囲を溶解させて、おまえは巨神兵か!
「母」ナウシカと対話した巨神兵「オーマ」は、ナウシカと会話して、人類を裁くくらいの「理性」は、あったぞ。
「オーマ」に比較して、ドスコイ!の「金太郎」男に操られるだけの「クマ」はなさけないです。果たして「クマ」軍団は…理性を取り戻せるのか?
どうみても、「ワンピース」のこの回は、宮崎駿さんの「ナウシカ」の「最終戦争」の影響を受けていると思います。
雨宮日記 9月4日(水)の2 これから深夜、遠州で大雨です!警戒を!
リアルタイム情報。
夕方、名古屋や三重県や岐阜県で降っていた大雨が、どんどん東へ移動してきて、いま午後10時06分、わが家では降っていません。秋の虫の声が聞こえます。
いま、ネットの降雨情報を見たら、これから浜松は振り出して、うしみつ時、午前2時から3時に、最大豪雨のようです。
もうじき浜松で降り出して、午前3時半頃に天竜側の東側、つまり磐田市付近?で南北の楕円形に、1時間80mm!という猛烈な雨になりそうです。
浜松も2時半過ぎから、30mm/h以上の大雨になると思います。
起きていないといけないかな?馬込川の決壊に警戒して…。
☆
リアルタイム情報は、もし雨がひどくて、ぼくの目が覚めてしまったら、また深夜発信します。
雨宮日記 9月4日(水) 2階の真ん中の部屋の「発掘」は順調に進行中
2人の部屋(だった…むかしは…)は順調に進行していて、土や遺物は出てきませんが、棚の中も含めて資料の発掘と調査が進行しています。
床面の3分の2くらいが露出しました。貴重な資料も発掘されて、ぼくの大学時代のメモや「日記」も出てきました。これは「銀河とタンポポ」の資料になります。
☆
今日は、午後、則子さんは湖西市新居図書館の「原爆と人間展」の片付けに、ぼくは「浜岡原発永久停止裁判静岡県西部の会」の事務局会議で、珍しく(ということもないですね)、2人別々にでかけました。
☆
昨日は埼玉県で「竜巻」、今日も栃木県で竜巻。
名古屋で夕方、異常豪雨…「200万人避難準備」って言ってもねえ…この辺もときどきにわか雨でした。これから少し降りそうです。
雨宮日記 9月2日(月) ちょっと体調悪いけど、宮崎駿さん引退!
体調悪いのはぼくで、引退すると表明してマスコミが大騒ぎなのは宮崎駿さんで、意味不明なタイトルですが。
ぼくとしては、宮崎さんも、まあ72才だし、引退したいのはいいんじゃない?と思います。次の作品を見たかったですけどね。
で、監督の引退記念に、2階の真ん中の部屋(ぼくの部屋というと、則子さんが怒るので)のドアに、昔、買ったナウシカのポスターを貼りました。これ、著作権違反にはならないですよね?なるかな?
なお、ぼくが大好きなのは「ナウシカ」のコミック版で、「なうしか」のアニ眼映画版ではありません。
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夕方から,何回か、埼玉県のすごい竜巻のニュースを見ていました。凄いですね、自然の威力って。地上と空中の温度差が40度以上になると竜巻になるのだそうですが、今日は、埼玉県越谷市に南方から熱気が吹き込んで34度、それに対して北から上空に零下6度の冷気だそうですから、ちょうど40度です。
「逃げる」よりも、部屋の雨戸をすぐ閉めたり、ガラス窓のない部屋に逃げたりしたほうがいいと思います。逃げる時間は、ほとんどないと思います。
☆
今日は、ちょっと体調悪かったですが、詳しく書くと、回り回って、則子さんに伝わって,心配されて「病院に行きなさい!」と命令が来るので、リアルには書きません。でも、「不具合」なのはほんとうです。
1回だけだったので、これまで、この20年間くらいに何回か、あったので、今回も,1回でおしまいならいいです。
しばらく、無理しないように、自重します。