雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月21日(土)の2 古墳神社や原発も自分のことも書きたい

2013年09月21日 21時16分41秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月21日(土)の2 古墳神社や原発も自分のことも書きたい…

 「古墳・神社・古代史」や「原発・放射能」だけに「特化」していない、「いろいろ書きまくる」ブログなので、それは、自分が男(「男」としてはあまり肉体を生かしていないですね)で妻の夫で娘の父で、なりそこないの自称「歴史学者」で、という自分の多面性を、すべてこのブログに反映させようという、ムリな要求ですね。

 でもムリな願いでも、少しは具体化したいと思ってます。もうすこし「古墳・神社・古代史」と「原発・放射能」を増やします。よろしく。

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 10月から則子さんも働きたいと、毎日、介護の仕事探しを始めました。ぼくが無給で(65才から国民年金5万円)、則子さんの現在の年金13万円では食べていけないので…。

 古代史・古墳・神社にしろ、現代史・原発・核兵器にしろ、自分の肉体的・精神的感覚を大事にして、考察・発言をしていきたいです。

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 来年は、長女が1月、出産

 4月に亡き母・光子さんの「7回忌」

 6月に妹の娘の、めでたい結婚式

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 来年の「鬼が爆笑」の話より、まず、今年を終わらせないと…なんと、あと3ヶ月です!

 


雨宮日記 9月21日(土) ゴミ捨て「中間まとめ」で喫茶店シーンへ

2013年09月21日 20時43分05秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月21日(土) ゴミ捨て「中間まとめ」で喫茶店シーンへ

 ゴミ(えっと本当は「ゴミ」ではないです、全部必要なんだけど、部屋の容量(キャパシティ)に限りがあるので泣く泣く「捨てて」いるだけです)を片付け始めて、数ヶ月。

 始めたのは…永年の仕事を終えて「無給」になった6月始めでしょうか…でもまだ加速できず、たぶん7月頃に家に来た長女の「片付いていないじゃないの」という「鶴の一声」で!

 則子さんが「ずっと私は言い続けてきたのに、長女の一言の方が、影響力あるのねえ」と感心したように言ってます。はい、そうなんです。

 あまり詳しく書くと、長女からクレームが来るので、詳しいワクワクする話は、聞きたい人だけ限定、オフレコです。

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 午前中、則子さんは、家の菩提寺の浜松市広沢「西来院」へ、父の代理でお彼岸のお参りに行ってきました。

 「ぼくも行こうか?」と行ったら、「駐車場が狭いので、車だと待ってしまうといけないから、私がバイクで行ってくるね」と、暗に(自分の部屋、片付けしていて!)

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 午後、久しぶりに(数ヶ月ぶり?)、上島の喫茶店シーンへ行きました。ほんとうに紅茶やコーヒーがおいしくて、ぼくが大好きなショパンやモーツアルトのクラシック音楽を流してくれる希有の喫茶店です。

 

 

 


雨宮日記 9月17日(火)~20日(金) 昨日も今日も明日も片付け

2013年09月21日 20時05分58秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月17日(火)~20日(金) 昨日も今日も明日も片付け

 なんと部屋の「片付け・物捨て」に熱中して、何日も「雨宮日記」を書くのを忘れていました。書かなくてもアクセスしてくれた「読者」の皆さん、ごめんなさい!

 ここ数日、夜、毎晩、「24時間無料で使える「こしの駅」」に車で行っています。「新聞紙」「新聞チラシ」「段ボール」「雑紙」を勝手においていける便利な場所です。

 それと家の近くの「曳馬協働センター」(3月以前の「曳馬公民館」)に不要になった「小型家電製品」を置ける「ぼっくす」があって、これも利用しています。

 以前のノートパソコン・デジカメ・ビデオカメラ・充電器など、一定の寸法以下のものなら昼間、自由に入れていけます。

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 今まで無差別に無条件に保存していた諸資料を「分別」して「残す」ものと「捨てる」ものに分け、アルバムに入っている写真プリントを全部引っこ抜いてアルバムごと、ネガごとに輪ゴムでひとまとめにして、アルバムは捨てます。

 南の部屋からぼくの資料はほぼ撤去し、不法「占領」状態を解消し「撤退」しました。そしたら「南の部屋」首相のN子さんが「南の部屋の資料・本も真ん中の部屋に移動させて」と要求してきました。一瞬、固まりましたが、しょうがない…少し移動「密約」を締結しました。

 「明日やる」と親に言った子が、明日になって親に「明日やるって言ったでしょ」と言われて「ボクは今日やるとは言わなかった。明日が来れば必ずやる!」と断言したという話を思い出しました。

 若かりしころ作ったハンコが出てきたので、写真をあとで掲載します。姓が「雨宮」じゃないって?「1971年×月××日」という本があるので、学生時代に作ってあったことはたしかです。どこで作ったか記憶にありませんが。

 最近はさすがに蔵書にこのハンコは押していません。あまりにもでかいし。押しちゃったら「ブックオフ」で売れないし…。

 でも、本ってほんとに困りますよね。自分が生きているあいだは、大事な本は捨てたくないし。則子さんや娘にとっては、ぼくが読んでいた本・集めていた本は、「それぞれにとっての価値」が違うから「大事な本」ではなくて「紙くず」ですし…。

 みんな、どうしているのかな?それとも、ぼくみたいに大規模な蔵書じゃないので、問題ないのでしょうか。ぼくは元々本屋の息子育ちで本好きな上に、20代半ばから父と本屋をやって…本屋をやめても引き続き本を買い続けて…20代からでも毎月平均5冊買っても、82-22=40年×5冊×12ヶ月=2400冊。

 則子さんが耳元で言いそうです「智彦くん、毎月5冊ってことは絶対にないよ!パンフも含めて絶対10冊!雑誌は別でね」

 今の蔵書を「本」だけでも数えよう、あるいは「蔵書目録を作ろう」なんていう「暴挙」は絶対にするつもりはありませんが…。