雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社 67 磐田市竜洋町の万葉石碑「遠江白羽の磯と…」

2012年04月14日 14時35分39秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 67 磐田市竜洋町の万葉石碑「遠江白羽の磯と…」  

 2月12日に則子さんと車で天竜川を渡り、竜洋町の「なぎの木会館」に行った時に、なぎの木会館の庭にあった万葉石碑です。

 「遠江白羽の磯と 贄(にへ)の浦と 合ひてしあらば 言(こと)も通はむ」

 原文「等倍多保美 志留波乃伊宗等 ニヘ乃宇良等 安比テ之安良婆 己等母加波牟」

万葉集「巻二十」の4324首で、作者は「右一首 同郡丈部川相」とあり、「同郡」というのは前首(4323)で「防人山名郡丈部真麿」とあるように「山名郡」のことです。

 山名郡(やまなのこほり)は古代の郡で、今の磐田市の東南部と袋井市の南部のあたりです。つまり、防人として出兵した山名郡の丈部(はつせかべ)川相(かはい)さんが作った歌です。

 問題は「白羽(しろは)の磯」と「贄の浦」ですが。「しるは」は「白羽」でいいとすると、この竜洋町には石碑の建っている場所から西南に1kmくらいで竜洋町白羽という地名があります。

 ところが、ネットで検索するとわかるように「白羽」の候補地が、御前崎市白羽、磐田市竜洋町白羽、浜松市南区白羽、浜松市北区三ヶ日町白羽と4カ所もあります。

 この歌の解釈は2種類あって、白羽の磯と贄の浦は遠く離れていて、もし近くにあったら、妻と会話が通じるのに、というのが一つ目です。この場合は、作者は白羽の磯か、贄の浦か、どちらかにいるはずです。

 解釈の2つめは、作者の目の前に隣接して見える白羽の磯と贄の浦のように、近くにいれば、妻と会話が通じるのに、という解釈です。この場合は白羽の磯と贄の浦は間近にないといけません。

 この「謎とき」、解決は、また別途書きます。

 これまで紹介した遠州の万葉歌碑は以下の通りです。遠州と三河くらいは全部行きたいと思っています。

遠州の遺跡・寺社2 遠江「若倭部」の万葉歌と木簡 2009年11月21日 00時06分31秒 

遠州の遺跡・寺社 45 中区の三日月稲荷神社内の万葉「引馬」歌碑 2011年01月14日 13時45分09秒 

遠州の遺跡・寺社 47 浜北・あらたま公民館の万葉石碑 2011年02月01日 05時44分34秒


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