
遠州の遺跡・寺社 67 磐田市竜洋町の万葉石碑「遠江白羽の磯と…」
2月12日に則子さんと車で天竜川を渡り、竜洋町の「なぎの木会館」に行った時に、なぎの木会館の庭にあった万葉石碑です。
「遠江白羽の磯と 贄(にへ)の浦と 合ひてしあらば 言(こと)も通はむ」
原文「等倍多保美 志留波乃伊宗等 ニヘ乃宇良等 安比テ之安良婆 己等母加波牟」
万葉集「巻二十」の4324首で、作者は「右一首 同郡丈部川相」とあり、「同郡」というのは前首(4323)で「防人山名郡丈部真麿」とあるように「山名郡」のことです。
山名郡(やまなのこほり)は古代の郡で、今の磐田市の東南部と袋井市の南部のあたりです。つまり、防人として出兵した山名郡の丈部(はつせかべ)川相(かはい)さんが作った歌です。
問題は「白羽(しろは)の磯」と「贄の浦」ですが。「しるは」は「白羽」でいいとすると、この竜洋町には石碑の建っている場所から西南に1kmくらいで竜洋町白羽という地名があります。
ところが、ネットで検索するとわかるように「白羽」の候補地が、御前崎市白羽、磐田市竜洋町白羽、浜松市南区白羽、浜松市北区三ヶ日町白羽と4カ所もあります。
この歌の解釈は2種類あって、白羽の磯と贄の浦は遠く離れていて、もし近くにあったら、妻と会話が通じるのに、というのが一つ目です。この場合は、作者は白羽の磯か、贄の浦か、どちらかにいるはずです。
解釈の2つめは、作者の目の前に隣接して見える白羽の磯と贄の浦のように、近くにいれば、妻と会話が通じるのに、という解釈です。この場合は白羽の磯と贄の浦は間近にないといけません。
この「謎とき」、解決は、また別途書きます。
これまで紹介した遠州の万葉歌碑は以下の通りです。遠州と三河くらいは全部行きたいと思っています。