雨宮家の歴史 父の自伝『落葉松』 Ⅱ 戦後編 46 一番はじめは
「ねえ、あしたは家へ帰りませんか?」
寝ていた家内が、突然むっくり起きあがって布団の上にかしこまって言った。
「家へ帰る?」
「ええ、私の家よ。ここは借りてるんでしょ?」
「借りてる?ここは俺たちの家だよ」
「誰が建てたのよ」
「俺に決まっているじゃないか」
「そんなこと、わたし一度も聞いたことないわ」
「地鎮祭から建前、みんなお前と一緒に来たじゃないか」
「わたし、何も知らないわ。わたしに黙ってやったのね、わたしは騙されたのかしら。新築にしては古いわね、中古を買ったのかしら」
私は二の句がつげなかった。この夜更けに家内と言い争っても仕方ない。
「うん、よしよし、あした帰ろうね。送っていってあげるから、今夜はもう寝よう」
「あした送っていってくれますか。それはどうも済みません」
あした帰るという言葉に安心したか、家内は寝床に入って眠ってしまうが、朝起きれば、昨夜のことは何もなかったような顔をしている。家内が帰りたいという言葉は、前に住んでいた松城町の家のことである。新しく引越してきた家に馴染めず、三十年以上住んでいた前の家が忘れられないのであろう。
「ねえ、今夜帰れないかしら。わたし電話をかけてみるわ。主人が心配して待ってるかも知れないから」
「電話?番号はわかるのか」
「ええ、五二局の八九三九番よ」
前の家の電話番号をちゃんと覚えているのには驚いた。しかし、今の新しい番号はわからない。私は居間へ行って、電話をかけたようなふりをして戻った。
「いくら電話をかけても出ないよ」
「どうしたのかしら、どこへ行ってしまったのかしら・・・・」
心配して待っているという相手は、家内の夫、即ち私のことである。
「お前の旦那はこの俺だよ」
「うそ言ってー」
「じゃあ、この俺は誰なのだ。敏雄は元気かな。この前の法事の時、一晩厄介になったが松雄、京子、昭子みんなお前の弟妹は元気だろうか」
「え?敏雄をご存じなんですか?どうして私の弟や妹を知ってらっしゃるのですか?」
「知らない筈はないじゃないか。俺はお前の旦那だよ。俺とお前は夫婦じゃないか」
家内は不思議そうに私を見つめていたが、「分からない」と寂しそうにひとことつぶやいた。
私は私であって、私でない奇妙なことになってしまった。
☆
玄関を出ると、隣のブロック塀越しに金木犀がよい匂いを放って、秋も深まってきた。電話で予約しておいた医療センターでの診察の日である。地方の予約治療で有名な、K先生の診断を受けるためである。医療センターは四〇年前、私の母の最後を家内が看取った病院である。その家内を連れて、私と次男の嫁の三人でタクシーで出かけた。
頭部のC・T検査のあと、別室でカウンセラーと机をはさんで、質問検査があった。私と次男の嫁は、補助椅子にかけてその模様を眺めていた。
最初に名前を訊かれた。白い紙に自分の名前を書いたが、斜めになっていてはっきりと読めなかった。
「あなたはどこで生まれましたか?」
「東京です」
「東京、東京のどちらですか?」
家内は考えていたが、すぐには出てこず、しばらくして「菊坂」と言いかけたので、私が「本郷の菊坂です」と助け舟を出して、アッ、いけなかったかと後悔した。
「ここの病院の名前はわかりますか?」
「分りません」
「お家の方に聞いてきませんでしたか?」
私は、医療センターに行く予定と家内に教えておいたが、余り警戒心を持たせてはいけないと思って、何度も言わなかった。
「ここは何県何市ですか?」
浜松市は分ったが、静岡県は分らなかった。
「あなたの具合の悪いところは?」
家内は、瞬発的に、間を置かずに
「頭です」と言った。
瞬間、私は胸に冷たい刃物を突きさされたようにドキリとした。家内はなんら変わりなく、平静な顔をしていた。
なんだ、ちゃんと分かっているじゃないか。それなのにどうして私をあわてさせるようなことを言うのだろう。
最後にK先生の診断があった。先生は、お手玉二つを家内に渡して「お手玉はやったことがあるでしょう、ちょっとやってみてごらん」と言った。
お手玉は夏休みに孫娘とやっていたが、先生の前では緊張したのかうまくできなかった。
総合結果は八点で、十点以下は重度の
痴呆で、もう後期に入っていて、施設への入居を考えた方がよいという。私はまだそんなに進んでいるとは思ってもいなかったのでショックであった。三才ぐらいの知能程度であるという。
その日の夜は、疲れていたがなかなか寝つかれなかった。家内も、うとうとしているようであったが、何か口の中でモグモグ、お経のようなものを口ずさんでいるようであった。私は聞こえる左耳をそばだてて聞いてみると、それはお手玉遊びの「数え唄」であった。昼間の診察の時、K先生より渡されたお手玉がうまく出来なかったのを気に病んでいるに違いなかった。
一番はじめは 一の宮
二は 日光東照宮
三は 佐倉の宗五郎
四はまた 信濃の善光寺
五つは 出雲の大社
六つ 村々鎮守様
七つ 成田の不動さん
八つ 八幡の八幡宮
九つ 高野の高野山
十で 処(ところ)の氏神さん・・
最後の方は、もう聞こえなかった。
( 「Ⅱー47 入院」に続く )
「ねえ、あしたは家へ帰りませんか?」
寝ていた家内が、突然むっくり起きあがって布団の上にかしこまって言った。
「家へ帰る?」
「ええ、私の家よ。ここは借りてるんでしょ?」
「借りてる?ここは俺たちの家だよ」
「誰が建てたのよ」
「俺に決まっているじゃないか」
「そんなこと、わたし一度も聞いたことないわ」
「地鎮祭から建前、みんなお前と一緒に来たじゃないか」
「わたし、何も知らないわ。わたしに黙ってやったのね、わたしは騙されたのかしら。新築にしては古いわね、中古を買ったのかしら」
私は二の句がつげなかった。この夜更けに家内と言い争っても仕方ない。
「うん、よしよし、あした帰ろうね。送っていってあげるから、今夜はもう寝よう」
「あした送っていってくれますか。それはどうも済みません」
あした帰るという言葉に安心したか、家内は寝床に入って眠ってしまうが、朝起きれば、昨夜のことは何もなかったような顔をしている。家内が帰りたいという言葉は、前に住んでいた松城町の家のことである。新しく引越してきた家に馴染めず、三十年以上住んでいた前の家が忘れられないのであろう。
「ねえ、今夜帰れないかしら。わたし電話をかけてみるわ。主人が心配して待ってるかも知れないから」
「電話?番号はわかるのか」
「ええ、五二局の八九三九番よ」
前の家の電話番号をちゃんと覚えているのには驚いた。しかし、今の新しい番号はわからない。私は居間へ行って、電話をかけたようなふりをして戻った。
「いくら電話をかけても出ないよ」
「どうしたのかしら、どこへ行ってしまったのかしら・・・・」
心配して待っているという相手は、家内の夫、即ち私のことである。
「お前の旦那はこの俺だよ」
「うそ言ってー」
「じゃあ、この俺は誰なのだ。敏雄は元気かな。この前の法事の時、一晩厄介になったが松雄、京子、昭子みんなお前の弟妹は元気だろうか」
「え?敏雄をご存じなんですか?どうして私の弟や妹を知ってらっしゃるのですか?」
「知らない筈はないじゃないか。俺はお前の旦那だよ。俺とお前は夫婦じゃないか」
家内は不思議そうに私を見つめていたが、「分からない」と寂しそうにひとことつぶやいた。
私は私であって、私でない奇妙なことになってしまった。
☆
玄関を出ると、隣のブロック塀越しに金木犀がよい匂いを放って、秋も深まってきた。電話で予約しておいた医療センターでの診察の日である。地方の予約治療で有名な、K先生の診断を受けるためである。医療センターは四〇年前、私の母の最後を家内が看取った病院である。その家内を連れて、私と次男の嫁の三人でタクシーで出かけた。
頭部のC・T検査のあと、別室でカウンセラーと机をはさんで、質問検査があった。私と次男の嫁は、補助椅子にかけてその模様を眺めていた。
最初に名前を訊かれた。白い紙に自分の名前を書いたが、斜めになっていてはっきりと読めなかった。
「あなたはどこで生まれましたか?」
「東京です」
「東京、東京のどちらですか?」
家内は考えていたが、すぐには出てこず、しばらくして「菊坂」と言いかけたので、私が「本郷の菊坂です」と助け舟を出して、アッ、いけなかったかと後悔した。
「ここの病院の名前はわかりますか?」
「分りません」
「お家の方に聞いてきませんでしたか?」
私は、医療センターに行く予定と家内に教えておいたが、余り警戒心を持たせてはいけないと思って、何度も言わなかった。
「ここは何県何市ですか?」
浜松市は分ったが、静岡県は分らなかった。
「あなたの具合の悪いところは?」
家内は、瞬発的に、間を置かずに
「頭です」と言った。
瞬間、私は胸に冷たい刃物を突きさされたようにドキリとした。家内はなんら変わりなく、平静な顔をしていた。
なんだ、ちゃんと分かっているじゃないか。それなのにどうして私をあわてさせるようなことを言うのだろう。
最後にK先生の診断があった。先生は、お手玉二つを家内に渡して「お手玉はやったことがあるでしょう、ちょっとやってみてごらん」と言った。
お手玉は夏休みに孫娘とやっていたが、先生の前では緊張したのかうまくできなかった。
総合結果は八点で、十点以下は重度の
痴呆で、もう後期に入っていて、施設への入居を考えた方がよいという。私はまだそんなに進んでいるとは思ってもいなかったのでショックであった。三才ぐらいの知能程度であるという。
その日の夜は、疲れていたがなかなか寝つかれなかった。家内も、うとうとしているようであったが、何か口の中でモグモグ、お経のようなものを口ずさんでいるようであった。私は聞こえる左耳をそばだてて聞いてみると、それはお手玉遊びの「数え唄」であった。昼間の診察の時、K先生より渡されたお手玉がうまく出来なかったのを気に病んでいるに違いなかった。
一番はじめは 一の宮
二は 日光東照宮
三は 佐倉の宗五郎
四はまた 信濃の善光寺
五つは 出雲の大社
六つ 村々鎮守様
七つ 成田の不動さん
八つ 八幡の八幡宮
九つ 高野の高野山
十で 処(ところ)の氏神さん・・
最後の方は、もう聞こえなかった。
( 「Ⅱー47 入院」に続く )