雨宮家の資料 9 福男「「谷島屋タイムス」とその作品群」 1957年 20210201
「浜松ペンの会」という会で出した同人雑誌『麥 No.5』が手元にあります。「麥」という漢字を見て、ボクは読めなくて「きび」と読んでしまったのですが、国語辞典ではわからないのです。
しかたなく電子辞書の漢和辞典の手書きページで調べて読みは「ばく」、つまり「麦」だと判りました。現代人のボクとしては、雑誌のどこかに「BAKU」と書いて欲しいです。
発行は昭和32年、1957年7月20日、編集人は菅沼八十一さん。「浜松ペンの会」は、50ページに「会則」と「同人名簿」、32人の同人が載っている。
このなかを見ると、祖父福男さんの「「谷島屋タイムス」とその作品群」という文章が6ページから9ページまで掲載されています。
中身はいずれ全文紹介したいと思います。
さらに表紙裏の広告ページには左下に「林泉書房 浜松市新町91 電(呼出)2189 出張所・追分町市バス停前」という、うちの広告が載っています。
ボクが小学校高学年のころ、夏休みに静大工学部へ兄と虫取りに行って、その帰り、おばさんがやっていた追分の出張所に行って休んだ記憶がある。
この出張所がいつからいつまであったのか、現時点ではわからない。なんとか調べてみたい。
なお「いろりの火」という短いエッセイを書いている「栗原勝」さんは後の浜松市長さんと同一人物なのかは知らない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/da/1931f8a522bc0642dbfcd44af05e7181.jpg)
「浜松ペンの会」という会で出した同人雑誌『麥 No.5』が手元にあります。「麥」という漢字を見て、ボクは読めなくて「きび」と読んでしまったのですが、国語辞典ではわからないのです。
しかたなく電子辞書の漢和辞典の手書きページで調べて読みは「ばく」、つまり「麦」だと判りました。現代人のボクとしては、雑誌のどこかに「BAKU」と書いて欲しいです。
発行は昭和32年、1957年7月20日、編集人は菅沼八十一さん。「浜松ペンの会」は、50ページに「会則」と「同人名簿」、32人の同人が載っている。
このなかを見ると、祖父福男さんの「「谷島屋タイムス」とその作品群」という文章が6ページから9ページまで掲載されています。
中身はいずれ全文紹介したいと思います。
さらに表紙裏の広告ページには左下に「林泉書房 浜松市新町91 電(呼出)2189 出張所・追分町市バス停前」という、うちの広告が載っています。
ボクが小学校高学年のころ、夏休みに静大工学部へ兄と虫取りに行って、その帰り、おばさんがやっていた追分の出張所に行って休んだ記憶がある。
この出張所がいつからいつまであったのか、現時点ではわからない。なんとか調べてみたい。
なお「いろりの火」という短いエッセイを書いている「栗原勝」さんは後の浜松市長さんと同一人物なのかは知らない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/da/1931f8a522bc0642dbfcd44af05e7181.jpg)
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