雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮家の資料 9 福男「「谷島屋タイムス」とその作品群」 1957年 20210201

2021年02月01日 10時42分40秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の資料 9 福男「「谷島屋タイムス」とその作品群」 1957年 20210201

 「浜松ペンの会」という会で出した同人雑誌『麥 No.5』が手元にあります。「麥」という漢字を見て、ボクは読めなくて「きび」と読んでしまったのですが、国語辞典ではわからないのです。


 しかたなく電子辞書の漢和辞典の手書きページで調べて読みは「ばく」、つまり「麦」だと判りました。現代人のボクとしては、雑誌のどこかに「BAKU」と書いて欲しいです。


 発行は昭和32年、1957年7月20日、編集人は菅沼八十一さん。「浜松ペンの会」は、50ページに「会則」と「同人名簿」、32人の同人が載っている。


 このなかを見ると、祖父福男さんの「「谷島屋タイムス」とその作品群」という文章が6ページから9ページまで掲載されています。


 中身はいずれ全文紹介したいと思います。


 さらに表紙裏の広告ページには左下に「林泉書房 浜松市新町91 電(呼出)2189 出張所・追分町市バス停前」という、うちの広告が載っています。


 ボクが小学校高学年のころ、夏休みに静大工学部へ兄と虫取りに行って、その帰り、おばさんがやっていた追分の出張所に行って休んだ記憶がある。


 この出張所がいつからいつまであったのか、現時点ではわからない。なんとか調べてみたい。


なお「いろりの火」という短いエッセイを書いている「栗原勝」さんは後の浜松市長さんと同一人物なのかは知らない。






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