雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社・地名 109 西区呉松町の亀塚古墳

2013年08月28日 21時39分56秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 109 西区呉松町の亀塚古墳

 舘山寺街道の「すじかい橋」信号を西へ曲がらずに、そのまま直進します。最初の信号「すじかい橋北」を左へ曲がると道が北へ曲がっていくので、最初の信号をまた左折、信号からバス停「深萩西」を越えて、距離でその2倍くらいのところです。

 南に用水池が見えます。道路の北側に、古墳らしい盛り土が見えます。東西が長いです。ただし、何の看板もないので、「まあ、たぶん、これだろう」と思います。

 このあたりでは貴重な前方後円墳ですから、看板くらい立ててほしいです(間違っていたら、ごめんなさい)。

 文献に寄れば亀塚古墳は、全長21m、後円部の高さ1.8m、前方部の幅推定9mです。

 「葺石と埴輪(円筒(Ⅴ式)・形象)」が確認(静岡県教育委員会『静岡県の前方後円墳』2001年による)。

 方位はどうみても東西で、しかも東向き。『静岡県の前方後円墳』で「方位 Nー85度ーW」とですから、東向きで、5度だけ北へそれているということです。5度ですから、それているというほどでなく、ほぼ「東向き」です。

 未発掘です。

 古墳時代後期前半(6世紀前半)の古墳です。

 「108」の「火穴古墳」は、ここからすぐ(東名高速をはさんで)近くですが、6世紀後半の古墳です。しかも、火穴古墳は円墳で直径22m、亀塚古墳は前方後円墳で長さ21m(削られているようですけど)と、長さが近いように見えるのは、偶然の一致か、なにか、古墳の作り方についての考えの一致なのでしょうか。

 同じ一族が数十年を経てつくった古墳ということもありえるでしょうか。

 いくつかネットを見ましたが、「埴輪なし」とかいう表現もありましたので、正確な文献を参照していただきたいと思います。

 則子さんと行きましたが、あたりの畑も、石ころだらけで古墳の裾の石ころも、これはたぶん周りの畑の石ころだよね?と話をしました。

 古墳の頂上に立っても浜名湖は見えないし、あまり眺望はよくありません。なぜ、ここに築いたんでしょうか?

 

 


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