雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

新・本と映像の森 132 横井久美子『戦車は動けない』うた、1972年

2018年05月10日 15時45分02秒 | 本と映像の森


 新・本と映像の森 132 横井久美子『戦車は動けない』うた、1972年

 ボクも大好きな音楽家の1人、横井久美子さんの持ち歌の一つ。ボクの記憶違いで長い間、、自作自演だと思いこんでました。

 『戦車は動けない』は門倉訣(さとし)さん作詞で、青山義久さん作曲。2人のこと、門倉訣さんと青山義久さんのことは長くなるので、別に触れることにする。

 ボクが最初に横井久美子さんの歌を生で触れたのは、1974年~1975年頃(?)、たぶん名古屋市大高緑地で開かれた「愛知赤旗まつり」の時だ。それからずっと「横井久美子ファン」になった。

 この『戦車は動けない』は周知のように1972年の相模原戦車阻止闘争をうたった歌です。

 つい最近、神奈川に住むリラン・バクレーさんのドキュメンタリー映画『ザ・思いやりパート 2 希望と行動編』のなかで、バクレーさんのインタビューを長時間放映していました。

 だいたい、映画のとおりだと思いますが、同じ時期、神奈川県だけでなく、すくなくとも静岡県でも今沢・東富士で同じような行動があったこと、それは忘れてはならないと思います。

 1番は「戦車は動けない
  このまちの橋をわたって
  銃口をベトナムに
  子どもらをねらいうつ
   戦争は通さない
   戦車は動けない」

 2番では
  「このまちの夜をゆさぶり
  血のにおいをキャタピラに
  ベトナムをねらいうつ」と歌う

 門倉さんの詩は単なるイメージではなく、当時、相模原補給敞に運び込まれる戦車のキャタピラーには肉片や血がへばりついていたという、労働者のリアルな体験が反映されていると思います。

 (3番略)

 横井久美子さんのことは、また触れなければならない。

 

 


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