雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

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浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 1

2012年04月10日 14時15分43秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 1

 徳川家康さんは元は、松平元康さんといい、お父さんは松平広忠さん、お母さんはお大の方(かた)です。松平広忠さんは、父の松平清康さんの時代から岡崎城が拠点なので、家康さんも岡崎城で生まれました。

 生まれる前に、なかなかお大の方が懐妊しないので、懐妊祈願に夫妻で行ったのが、鳳来寺山です。

 家康さんが今川の武将として出陣していたときに、今川義元さんが桶狭間で織田に敗北し死亡、元康さんは独立し、まず最初に岡崎城の北にある松平の菩提寺・大樹寺に入り、それから岡崎城に入ります。

 そして、家康さんは、浜松へ侵攻してから武田を織田と共同で攻め滅ぼして、駿府城に住みます。そのあと、江戸城にとなるのですが、最後は駿府城で亡くなり、祀られたのが久能山東照宮です。

 これらの地点の緯度経度を並べると、以下のようになります。

 
 岡崎城 愛知県岡崎市康生町
     北緯34度57分22.71秒 東経137度09分31.7秒

 大樹寺 愛知県岡崎市鶴田町広元5-1
     北緯34度59分03.86秒 東経137度09分55.09秒

 鳳来寺山 愛知県新城市 標高695m
     北緯34度59分02秒 東経137度34分58秒

 ◎浜松城 静岡県浜松市中区元城町
     北緯34度42分42.39秒 東経137度43分29.67秒

 駿府城 静岡県静岡市
     北緯34度58分45.96秒 東経138度23分00.9秒

 久能山東照宮 静岡県静岡市駿河区根古屋
     北緯34度57分53.47秒 東経138度28分03.33秒

 ◎江戸城 東京都千代田区千代田
     北緯35度41分17.97秒 東経139度45分15.72秒

 つまり、北緯34度40分線の浜松城、北緯35度40分線の江戸城以外の6つは、全て北緯34度57分~59分の範囲に東西に並んでいます。

 つまり、家康さんは、こういう東西ラインの信仰、当時の「風水思想」に基づいて、聖なる地点として、駿府城や久能山東照宮を決めたようです。

 古代で有名なのは奈良のまんなかを東西に通る「太陽の道」=北緯34度32分線ですが、それいがいにもたくさんの「聖なるライン」があります。

 以下は「浜松と遠州の歴史 徳川・豊臣・織田の謎を解く基礎資料1(2012年04月09日 21時22分39秒 | 浜松と遠州の歴史)」のデータを参照してください。

 ① 九州の政治的中心である「太宰府」の真東に「宇佐神宮」があります。
 ② 天武天皇時代の政治的中心である飛鳥地方の真東に「伊勢神宮(内宮・外宮)」があります
 ③ 江戸城は、武田信玄のつつじヶ碕館(現在の甲府市)の真東にあります
 ④ 岡崎城から西へ35度線を延長していくと、清水寺・比叡山・平安京を通り、秀吉の伏見城・豊国神社を通ります
 ⑤ 織田信長の名古屋時代や安土城は、その他のラインと全くちがう北緯35度10分線です
 ⑥ 出雲大社・荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡・出雲の熊野大社・大山(だいせん)・伊吹山・岐阜城(一時期、信長さんが居住)・富士山などが同じ35度20分ラインです。

 つまり代々の松平家や成り上がりの豊臣家は35度線の信仰(当時の思想で言うと「結界」でしょうか)を尊重していますが、神も仏もない、おれが神だという織田信長さんは、そういう古来の信仰ラインと関係なく、自分の育った名古屋の緯度に安土城を築いています。

 まあ、だからこそ信仰のあつい明智さんに反乱をおこされたのかも、しれませんね。

 そのほか、斜めのラインも発見されています。

 ① 江戸城の真北にある日光東照宮は、富士山と久能山東照宮を結ぶライン上にあります
 ② 出雲大社と平城京と伊勢神宮は同じラインで結べます

 もっと個別に検討することが必要でしょうね。
 

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