核実験・核兵器生産被害ー世界のヒバクシャはいま <後編>
第6章 世界で
■中国核実験
中国政府は、自国の西の端の砂漠ロプノールに、核実験場を建設し、1964年10月、最初の核実験をおこなった。
■核兵器事故
グリーンランドでは水爆を積んだアメリカ空軍のB52が墜落、核弾頭の核物質が飛散しし、兵士が汚染した。
アメリカは空母タイコンデロガから (未完)
■原子力潜水艦沈没事故(未叙述)
第7章 アメリカ本土で
■ネヴアダ核実験場
アメリカでは、1951年ネバダ州の砂漠に核実験場がつくられ、地上での核爆発直後に兵士を爆心地へ突入させるような無謀な演習もおこなわれた。
被爆した兵士、アトミック・ソルジャーは25万人にのぼった。
ラスベガスから車で北西に約1時間、砂漠地帯のハイウエーの右側にネバダ核実験場がある。約3200平方キロ、東京都の約1.6倍の面積を持つ。
実験場入口には、いまも「命が惜しければ黙れ(Your safety depends upon your silence)」と看板が掲げられている。
ネバダでは、51年1月27日から92年まで41年間に地上地下合わせて1100回以上の核実験が行われた。
実験地は地下核実験のあとが陥没して、穴だらけとなり、地球上とは思えない光景が広がっている。
ネバダでの核実験は南西からの風の時におこなわれた。実験場の南にラスベガス、西にロサンジェルス、北西にサンフランシスコなどの大都市があるためだったが、放射能は、北から北東に流れ、ネバダ州・ユタ州・アリゾナ州を汚染し、アメリカ全土に放射能は広がった。
数百キロに及ぶ汚染地域に住んでいる人々を、「ダウン・ウィンドウズ(風下の人々)」と呼ぶ。被曝した市民は、ユタ州とアリゾナ州で75万人を越えている。
1965年頃から、白血病やガン、奇形児や流産など異常出産が多発した。幼児死亡率も上がり、若者のガンが多発している。
ネヴァダ実験場の130マイル(約200㎞)東のユタ州セント・ジョージに住むプリシラ・エンベイさんは、義母、実父をガンで失い、長男を生んだ後、3度流産を繰り返した。
核実験と病気との関連に気づいた人々は被害補償のため裁判に訴えた。1990年には「核被曝者補償法」がつくられたが、補償が受けられたのはほんの一部にすぎず多くの被曝者は無視されたままであり、先住民の調査はまったくおこなわれていない。
■全米の核兵器施設
全米の核兵器施設は20ヵ所、250工場にのぼり、労働者は約11万人にのぼる。これらの核兵器工場の多くが環境の放射能汚染、労働者・住民の健康障害を引き起こしている。
アメリカの北西部、ワシントン州に世界最大のハンフォード核兵器工場は1943年から建設され、長崎プルトニウム原爆《ファット・マン(太った男)》もここで作られた。
1944年のB炉稼働から13年間に53万キュリーものヨウ素131がまき散らされていたことが、やっと86年になって公表された。これはチェルノブイリ原発事故でのヨウ素131の放出量に近い。
1949年には放射性物質を故意に放出する極秘実験さえおこなわれていたことが明らかになった。
水爆の起爆装置を作るコロラド州ロッキーフラッツでは、88年秋、3人の従業員が高度に汚染された部屋に入って被曝したことが表面化して、工場は緊急閉鎖された。ここは何度もプルトニウム汚染を引き起こし、89年6月にはFBIの強制捜査をうけた。
核弾頭用のプルトニウム、トリチウムを生産するサウスカロライナ州サバンナリバー工場では、過去28年間に30件の事故があったが、事故は大統領にもエネルギー省長官にも伝えられていなかったことが発覚した。
広島原爆「リトルボーイ」を生み出したテネシー州オークリッジ核兵器工場前で、1989年8月6日、住民約1千人の反核集会が行なわれた。オークリッジは、アメリカの核開発を担う心臓部で「シークレットシティ」の異名を持っている。
第8章 核保有と核脅迫(未叙述)
■アメリカによる核脅迫
■密かな核兵器保有国ーイスラエル、パキスタン、インド
■核兵器を廃棄した南アフリカ
第9章 核実験被害者は連帯する
このような核実験・核工場の被害にたいして、もう核実験はやめよ、核兵器工場を閉鎖せよ、住民を救済せよと世界中の核被害者たちが声を上げている。
いま、世界の核被害者の連帯が始まっている。
1987年9月26日、第1回核被害者世界大会がアメリカ合衆国・ニューヨークでひらかれ、30ヵ国300人が参加した。
1992年原水爆禁止世界大会には、世界各地の核実験被害者が参加し、広島・長崎の原爆破壊のすさまじさや、自分たちの犠牲がけっして「国を守るため」ではなかったことの認識をあらたにし、連帯を深めた。
1992年広島宣言は「半世紀にわたる核兵器開発と核実験は、深刻な放射能汚染と自然破壊をもたらしてきた。核戦争は最大の地球環境破壊をもたらしてきた。われわれは、環境問題に深い関心をよせている人びととの共同がさらに発展することを期待する。
…世界各地の核兵器の実験・製造・演習などの核軍備競争の被害の実態を調査し、その事実を世界につたえ、被害の根絶と補償をもとめるたたかいをともにすすめよう!」とよびかけた。
世界の核実験・核兵器工場被害者が数百万人にのぼることが明らかになった1993年春、日本原水協はマーシャル、ネバダ、米兵士、セミパラチンスクの核実験被害者を招いて「国際シンポジウム」を13都市で開いた。のべ3600余人が参加して、核兵器保有国政府の非人道的犯罪が明らかにされ、「核兵器と人類は共存できない」ことが参加者の確信となった。
参照文献
[書籍]
『原爆被害と核実験被害 資料と証言』原水爆禁止日本協議会.1993年2月26日.34P.¥200.
「人間を虫けらのように…衝撃の核被害報告<原水禁’92世界大会>」(『文化評論 1992年10月号=№381』P108ー138)
中国新聞「ヒバクシャ」取材班『世界のヒバクシャ』講談社.1991年4月22日.430P.¥1800.
広河隆一『沈黙の未来 旧ソ連「核の大地」を行く』新潮社.1992年2月20日.222P.¥2600.
ジョレス・A・メドベージェフ、梅林宏道訳『ウラルの核惨事』技術と人間.1982年7月30日第1刷ー1984年9月1日第2刷.286P.¥2300.
ダニエルソン著、渕脇孝一訳『ムルロア コン・ティキ号がたどりついた死の環礁』アンヴィエル.1980年8月30日.308P.¥1800.
ロベルト・ユンク、菊盛英夫訳『千の太陽よりも明るく 原子科学者の運命』文芸春秋新社.1958年5月15日初版ー7月20日3版.385P.¥320.
非核の政府を求める会編『核軍拡の経済学』大月書店.1989年5月15日.222P.¥1400.
高知県ビキニ水爆実験被災調査団編集『今も生きているビキニ問題』高知県ビキニ水爆実験被災調査団.1987年8月1日発行.104P.¥800
高知県ビキニ水爆実験被災調査団編集『ビキニの実相 あなたの町にも水爆被災船』高知県ビキニ水爆実験被災調査団.1991年8月1日発行.40P.¥400.
『ビキニの海は忘れない』平和文化.¥1500.
『海光るとき』民衆社.¥1500.