雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 4月28日(火)の2 新しく2人の表札をかけました

2015年04月28日 20時57分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月28日(火)の2 新しく2人の表札をかけました

 家の玄関の、昔からの○○家の表札の下に、新しくぼくと則子さんのペンネームの表札をかけました。

 ぼくは「雨宮智彦」、則子さんは「津和野ふき」です。則子さんのペンネームは「つわぶき」からの命名です。

 なんとなく本名でより、「雨宮智彦」で書く方が、思考を自由に展開・発展できるような気がします。不思議ですね。

 

雨宮日記 4月28日(火) 選挙後初めての裁判西部の会役員会

2015年04月28日 18時15分05秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月28日(火) 選挙後初めての裁判西部の会役員会

 午前中は、父の佐藤町診療所へ行くのに付き添いで、車で行く。

 午後は、浜岡原発永久停止裁判県西部の会役員会、久し振りに則子さん以外の6人が揃う。

 5月24日総会と中嶌哲演さん講演会の準備をする。ビラ確定。

 社会主義への「過渡期」についての考察をレーニン全集の中に探す。第38巻の「労働組合について、現在の情勢について、トロツキーの誤りについて」と「ふたたび労働組合について、現在の情勢について」は、哲学・弁証法についても触れていて面白いし、労働組合の役割も後に言われたこととは違った位置づけがれていて面白い。

 287ページ「運輸労働者全ロシア大会での演説 1921年3月27日」でその冒頭、「過渡期」について触れている。つまり「労働者と農民」が存在するなら「いつまでたっても社会主義にはならない」「社会主義は階級の廃絶を意味する」。

 レーニンは、ここでソ連「自称」社会主義であれ、中国「自称」社会主義であれ、労働者が、階級か存在する間は、まだ社会主義ではない、過渡期であると述べています。その通りだと思います。

 ソ連が「社会主義ではない」という議論は、ソ連が崩壊してから、日本共産党が初めて延べ、学者にも賛成する人が出て来たのでないでしょうか。社会科学者・歴史学者などのなかで、日本共産党の提唱より先にそういう規定を出して居た方がいるのでしょうか。

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 古代史、九州王朝説のネットでの最近の文献を探した。遺跡の最近の発見は面白い。