遠州の遺跡・寺社・地名 137の5 五輪塔は「木寺宮康仁親王」のお墓?
龍雲寺のお墓を登っていくと、裏山の中腹に五輪塔があります。下から、地・水・火・風・空を表わしていますが、14世紀後半の南北朝内乱の時代のものと考えられています。
高さ130センチで、安山岩製。上から2番目の「風輪」だけは後の花崗岩製。梵字(サンスクリット)は、この五輪塔では、丸い「水輪」の四方にのみ刻まれている。
後二条天皇の皇子である木寺宮康仁親王のお墓と伝えられています。
遠州の遺跡・寺社・地名 137の5 五輪塔は「木寺宮康仁親王」のお墓?
龍雲寺のお墓を登っていくと、裏山の中腹に五輪塔があります。下から、地・水・火・風・空を表わしていますが、14世紀後半の南北朝内乱の時代のものと考えられています。
高さ130センチで、安山岩製。上から2番目の「風輪」だけは後の花崗岩製。梵字(サンスクリット)は、この五輪塔では、丸い「水輪」の四方にのみ刻まれている。
後二条天皇の皇子である木寺宮康仁親王のお墓と伝えられています。
遠州の遺跡・寺社・地名 137の4 これが水琴窟です
地上で聞く音は、ポタ、ポタなのに、写真に見える竹筒に耳をつけて聞くと、カーンという金属的な、とても澄んだ音が聞けます。
数年前かな、北森鴻さんの小説、たぶん『うさぎ幻化行』で、この「水琴窟」を初めて知ったのですが、実際のリアルな音を聞けて感激です。
遠州の遺跡・寺社・地名 137の2 龍雲寺の「小堀遠州」風の石庭
小堀遠州は、桃山時代~江戸時代の、芸術家で、「石庭」で著名です。この庭は、現代の芸術家がつくった「小堀遠州」風の石庭です。
小堀遠州を知るには、コミック「へうげもの」を読むのがいちばんだと思います。
遠州の遺跡・寺社・地名 137 入野の龍雲寺 その1 かなり古そうな山門
「寺社」とタイトルはなっていますが、興味は「神社」の方が強いので、滅多に「寺」は紹介しません。今日は、則子さんが休みで、「午後、ちょっと石塔見に行かない?」と声を掛けたら、最初は「忙しいからだめ」と返辞だったのですが、あとで「午後4時までに帰って来ればいいよ」というので、午後、出かけました。
龍雲寺は、名前のとおり、「龍神」信仰と関係在りそうですが、そのあたりは、まだよくわかりません。知り合いの志都呂町に住むYさんの話では、「龍雲寺のすぐ上のお寺が龍禅寺」だそうです。
山門の横の解説文によれば、南北朝時代に、天皇の皇子がこの地に派遣され宮を構えた跡地が「龍雲寺」だそうです。
この南北朝内乱では、遠州地方は「オール南朝」、「反北朝」、別の言い方でいうと時の権威である「天皇家反対」です。
もちろん、この地も、鴨江寺も、大平城も。井伊谷城も、すべて滅亡するのですが、そういう反逆の精神は、いいですね。
話がいろいろ発展するのですが、書ききれません。明日までかかると思います。
遠州古代史の本 『浜松市文化財ブックレット7 はままつ石塔めぐり』浜松市、2013年3月28日発行、A5版、64ページ、定価は?
昨年春に浜松市が発行した本ですが、きちんと紹介していなかったので、ここでアップします。今日は、これを見ながら、入野の龍雲寺に行ってきました。
このブックレットは、、浜松に残る鎌倉時代から江戸時代の「石塔」をその基礎知識とともに、それぞれの石塔を紹介しています。
第1章 石塔の種類と構造
第2章 中世の石塔 注)南北朝時代も含みます
第3章 戦国武将にかかわる石塔
第4章 江戸時代の領主と石塔
雨宮日記 6月10日(火)の2 それでは白い百合も見てください
「白百合」というと、ぼくの好きなのは宮沢賢治さんの「ガドルフの百合」(ネット上の「青空文庫」で読めますが、ちょっとルビがうるさいです)と、歌曲「北上夜曲」でしょうか。
1番は、こうでした。
「匂い優しい白百合の 濡れているよなあの瞳
想い出すのは 想い出すのは 北上河原の月の夜」
あるいは「立てば芍薬(しゃくやく)、坐れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合の花」 ‥‥ ①
その変奏曲で「立てばビヤ樽、坐ればタライ、歩く姿はドラム缶」 ‥‥ ②
①、② とも、脳にこびりついていますが、いったい、いつ覚えたのか、原典は何なのか、まったく分かりません。
誰か、出典、原作者を知っている方、ぜひ教えてください。
雨宮日記 6月10日(火)の1 6月は百合(ゆり)月かな?
今日は、一日中、忙しくて、やっと午後9次49分、やっと則子さんと2人で帰って来て、パソコンを開き、撮影して小サイズに変換した写真ファイルをブログの画像ファイルに吸い込みました。
すぐそこの家の駐車場に、オレンジの百合が咲いています。「青い地球とオレンジの花」の表紙に使おうかな。