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雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月30日(月) 田中美智子さんのブログ見ました

2010年08月31日 06時12分38秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月30日(月) 田中美智子さんのブログ見ました

 友人の「ヤマビコ」さんに「おもしろいよ」と言われて、元名古屋の革新共同衆議院議員の田中美智子さんのブログを見ました。

 いつも長々書く「雨宮日記」と違って、すごくシンプルなブログは、カルチャーショックでした。
 美智子さんが「短ければ短いほど、読んでくれるのよ!雨宮くん、わかった?」と言ってるような気がしました。
 はい、美智子おばあさま、わかりました。

 「自然と猫と私」でヒットします。
 ぼくが2○才のころ、ちょうど名古屋にいて、田中美智子衆議院議員当選もたいけんしました。
 なつかしいな。

 美智子さんは猫ですけど、我が家はウサギです。
 豆子も暑さで、ばてぎみです。

 

人間・心・集団の学習7 「仲間」の概念について

2010年08月31日 05時03分31秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団の学習7 「仲間」の概念について


 5月25日の「人間・心・集団の学習6 魂・人格の幸せとくらし・生活の幸せ」以来、3ヶ月ぶりのコーナーです。「雨宮日記」で書いてきた内容もありますが、すこしこのコーナーを開きます。

 「仲間」とは通常、同じ組織・同じ集団の構成員ということになりますか。「同じ仲間だろ?」という場合です。

 ぼくは自分の痛切な経験から、同じ組織の構成員=仲間という等式を否定したいと思います。
 つまり組織内で意見が違って論争をしているのに、「同じ仲間でなぜ仲良くできないのか」と公然と言われました。
 「仲良くする」ということと「論争する」ということは、ぼくは両立できると思うのですが、「ああ、仲良くすると言うことは論争しないで黙ってしまうと解釈する人がいるんだ!」とわかって、びっくりしました。

 じゃあ、誰が仲間か。
 ぼくにとっての「仲間」は、ぼくが決める範囲です。
 ですから、人によって、個人によって「仲間」の範囲は大きく違います。
 つまり、自己決定権ということです。

 ぼくにとってAさんが仲間でも、Aさんにとってはぼくは仲間ではない場合もあるでしょう。
 Aさんにとってぼくが仲間でも、ぼくにとってAさんは仲間ではない場合もあると思います。

 たぶんぼくの「仲間」の範囲は、他人より狭いだろうなと思います。
 つまり「厳選した」仲間です。
 
 ぼくにとって妻のN子さんは「旅の仲間」なのですが、もしN子さんにとってぼくが「旅の仲間」ではなかったら…怖いですね。
 
 すごく複雑な世界になりますが、「仲間」と「非仲間」という、黒か白かの単純バカの世界よりは住みやすいと思いますが、どうでしょうか。
 これもいろんな色調のスペクトルです。
 濃淡のない世界には、ぼくは住みたくありません。

 そういう意味では、もっと話を進めて、「仲間」か「非仲間」かというより「仲間度」30%とか、70%とか、そういうほうがいいかもしれませんね。
 もちろん、質的なものを量的な指標で図ろうというのは、無理な冗談です。