goo blog サービス終了のお知らせ 

雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮智彦哲学経済学メモリー 5 20200215 哲学の学習4 「発展」と「展開」 その2 20100104

2020年02月15日 20時04分02秒 | 過去現在のメモノート


雨宮智彦哲学経済学メモリー 5 20200215 哲学の学習4 「発展」と「展開」 その2 20100104

 
「哲学の学習4 「発展」と「展開」その2
2010年01月04日 03時56分51秒 | 人間・生命・宇宙
 1月1日に書いた「哲学の学習3 「発展」と「展開」」の続きです。

 「弁証法」の例証として、植物が種から芽が出て、葉が出て、花が咲いて、実が成るとという例が書いてあるテキストもあるのですが、これは弁証法の「発展」の例にはなりません。

 なぜなら、たしかに「非可逆的変化」「不可逆的変化」であっても、これは遺伝子(DNA)に事前にプログラミングされた変化であって、「発展」ではなく「展開」と名付けるべきものです。

 「発展」は決して出発点に戻りませんが、生物の遺伝子の「展開」は有性生殖の動物で言うと精子と卵子の会合から始まって幼生からこども・大人になって、必ず精子・卵子に戻ります。戻らなければ、生物は存在できないからです。

 つまり同じ環境の下で、同じような生物がそこに適応して繁栄しているのです。

 マルクスさんの『資本論 第1巻』で言うと、市場経済と商品生産から「貨幣」が出てくるのは、必然的な「展開」の過程です。商品が発生すれば貨幣は出てきます。

 しかし、その後、「貨幣」が出てくれば「資本」が発生するかというと、これは必然的「展開」の過程ではありません。マルクスさんが『資本論』で何回も述べているように、これは「ここがロードス島だ!ここで跳べ!」という、必死の飛躍の過程なのです。跳んでも失敗して「資本」になれない場合が世界史では、多々あったのではないでしょうか。
 
 資本主義社会から社会主義社会に転化する「革命」も、必然的「展開」ではなく必ずしもそうならないという偶然性を含む「発展」ではないかと考えています。

 つまり、資本主義社会(たとえば現代日本)から社会主義社会に「転化」するのは、生物のた根から親への「必然的過程」ではなくて、偶然性や、滅亡したくないならどうしたらいいかという必死の「ここで跳べ!」という思考も、そこに大きく作用するのではないでしょうか。

 生物の進化の場合も同じだと思います。たとえば、中生代の恐竜ワールドから、新生代の哺乳類ワールドへの転換は、偶然の隕石落下を含みながら、必然的な、かならずそうなるというのではなく、偶然性も含んだ、かなり未来決定の幅のあることだろうと思います。

 さらに思考を続けていきます。」



雨宮智彦哲学経済学メモリー 4 20200214 哲学の学習3 「発展」と「展開」 20100101

2020年02月14日 15時57分55秒 | 過去現在のメモノート

雨宮智彦哲学経済学メモリー 4 20200214 哲学の学習3 「発展」と「展開」 20100101


「哲学の学習3 「発展」と「展開」
2010年01月01日 19時36分24秒 | 人間・生命・宇宙

 弁証法哲学では「発展」はきわめて重要なキー概念だと思います。発展とは、たとえば青木書店発行、森宏一さん編『哲学辞典 第4版』(1987年)の「発展}の項目(p376)ではこう書かれています。

 「変化の一形態であるが、この変化の特徴は一義的な方向をもつことである。」とし、「単純なものから複雑なものへ、低い段階から高い段階へと移りいく変化である」としている。これは正しいと思う。

 さらに「発展はたんなる量的変化ではなく、古いものが新しいものへという質的に変わることで生じる変化である」とし、その後に、重要な点を青木版『哲学辞典』は指摘していると思います。

 すなわち「繰りかえされる変化ではなく、新たな段階にのぼりいくのであって、円周をめぐる繰りかえしの変化にくらべると、変化するものがふたたび変化の出発点にもどり、またそこから始まるのではなく、変化の終点は最初の出発点より高いところにある。そしてこの高いところの出発点からつぎの変化の過程をはじめる。そこでたんなる円周上の変化とちがってラセン状に変化する」としている。

 これは正しいのですが、ここでいう「発展」ではないことろの「繰りかえされる変化」「円周をめぐる繰りかえしの変化」という概念が規定されていません。

 そのことを、生物学者の井尻正二さんは『ヘーゲル「大論理学」に学ぶ』}(築地書館、1980年)の「Ⅲ 展開と発展」(P79~p135)で、ヘーゲルが『大論理学』の第3巻「概念論」で展開した「発展」は、生物の系統発生(=進化)を述べたのではなく、生物の個体発生を述べているのであることを指摘しています。

 さらに、井尻さんは、混同されている生物進化における「発展」と、生物の個体発生とを区別し、個体発生のような。低いところから高いところへ、単純なものかた複雑なものへの場合で、かつ循環的で円周的な、出発点に戻る変化を「展開」とすることを提案しています。
 
 不可逆的・非可逆的な変化のなかで、出発点に戻る「展開」と、出発点に戻らない「発展」とを区別することは、きわめて重要な指摘だと思います。このことを考えていきます。

(2010年1月1日投稿)」



雨宮智彦哲学経済学メモリー 3 20200213 哲学の学習2 高村著「ヘーゲル『小論理学』を読む1&2」 20091208

2020年02月13日 14時40分42秒 | 過去現在のメモノート
雨宮智彦哲学経済学メモリー 3 20200213 哲学の学習2 高村著「ヘーゲル『小論理学』を読む1&2」 20091208

 
「哲学の学習2 高村著「ヘーゲル『小論理学』を読む1&2」
2009年12月08日 04時10分49秒 | 人間・生命・宇宙

 ヘーゲルさんと言えば、代表作は『大論理学』と『小論理学』ですが(ぼくが言っているだけかも知れませんが)、これを読むのはきわめて難解です。
 「有」「無」「成」から始まるやつです。

 それで、いい逐条の解説書が欲しいのですが、『小論理学』のいい解説書だと思う本が出版されました。高村是(よし)あつさん著、広島県労働者学習協議会編『ヘーゲル『小論理学』を読む1&2』一粒の麦社、2009年9月10日発行、の2冊です。
 (すみません、著者の「あつ」の漢字が出ません。)

 さっそく買い求めたところ、『小論理学』の本文の前の異常に長い「序文」「序論」「呼び概念」をきちんと開設してくれています。なんと、全4冊を予定しているうち、この2冊が全部、「序文」「序論」「呼び概念」の解説です。

 現にこの部分は、岩波文庫、松村一人さん訳の2冊本『小論理学』の上巻の322ページのうち255ページを占めている部分です。
 ぼくの買ったのは1982年1月第32刷ですから27年前、まだぼくが……才の頃ですね。

 高村さんの解説をたよりに、ぼくも27年間放っておいた小論理学を少し読み進んでみたいと思います。

 一粒の麦社は、電話 082-231-6170 です。

 なお、さっき、岩波書店のホームページにアクセスしてみましたが、文庫も、ヘーゲル全集も、いま品切れ状態です。
 岩波書店に「再版して!」と呼びかけませんか?

 人類の知的「世界遺産」が読めないなんて、おかしいですよ。

 誰か、ヘーゲルさんの全著作を、正確に、わかりやすく日本語に翻訳して、誰でもいつでもアクセスできる「ヘーゲルHP」を作ってくれないかな?」


雨宮智彦哲学経済学メモリー 2 20200212 哲学の学習1 ヘーゲル『小論理学』の「哲学」規定 20091205

2020年02月12日 20時13分04秒 | 過去現在のメモノート

雨宮智彦哲学経済学メモリー 2 20200212 哲学の学習1 ヘーゲル『小論理学』の「哲学」規定 20091205

 すみません。実際にボクのブログの過去を見返した人には退屈でしょう。でも、ボクとしては過去の歩いてきた道から出発するしかないので。

 これからしばらくは過去メモリーを探索することが続きます。

「哲学の学習1 ヘーゲル『小論理学』の「哲学」規定
2009年12月05日 04時27分47秒 | 人間・生命・宇宙

 哲学とは何でしょうか、といきなり聞いてみても、誰も答えてくれないので「わからないときはまず辞典」というわが親の教え(親の商売は本屋さん)に従って辞典を見てましょう。

 手元にある青木書店の『哲学辞典 第4版』で「哲学」を引くと、その冒頭に「自然および社会、人間の思考、その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学であり、したがって全体としての世界についての見解をしめす世界観である。また論理学および認識論をそのうちにふくんでいる。」(p321)と書いてあります。
 
書いてあるから正しいというわけではありませんが「自然および社会、人間の思考、その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」という規定は、ぼくとしては共感します(それが真実かどうかはまだ未定)。

 なぜかと言うと、結論の押しつけや定義集ではなくて「知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」という角度です。

 ところで、哲学と言えばヘーゲル、ヘーゲルと言えば哲学の、ヘーゲルさんはどう言っているでしょうか。
 岩波文庫版のヘーゲル『小論理学(上)』の「エンチクロベディーへの序論」では、こう述べています。

 「意識は、時間からすれば、対象の概念よりも表象の方を先に作るものであり、しかも思惟する精神は、表象作用を通じまた表象作用にたよってのみ思惟的な認識および把握に進むものである」(一、p61)
 「哲学はまず一般的に言って、対象を思惟によって考察することと定義されうる。」(二、p62)
 「感情、直感、要求、意志等々の諸規定性は、それらが意識されているかぎり、一般に表象と呼ぶことができる。したがって一般的に言って、哲学は表象を思想やカテゴリーに、より正確に言えば概念に変えるものだと言うことができる。」(三、p65)

 つまり、哲学は対象の表象を思惟によって考察し、カテゴリーや概念に変えることだというのです。

 ヘーゲルさんのここでのこういう規定にはぼくは賛同します。ところが、『小論理学』『大論理学』の実際の本文を読むと、最初から「有(存在)」「無」「成」などの概念から概念へ自動進行していくように読めます。
 これはどういうこと?

 こういう疑問から哲学の自主勉強を始めます。」



雨宮智彦哲学経済学メモリー 1 20200211 人間・心・集団1 ヒトは自分の「物語」なしには生きられない 20091128

2020年02月11日 19時00分10秒 | 過去現在のメモノート


雨宮智彦哲学経済学メモリー 1 20200211 人間・心・集団1 ヒトは自分の「物語」なしには生きられない 20091128

 「古代史メモリー」と同じような過去メモリーを記録し直していきます。過去に書いたことは忘れちゃってるので。たとえ稚拙ではあっても、まさしく自分で書いたもの。

 まるっきり無駄ではないと思いますけど。


「人間・心・集団1 ヒトは自分の「物語」なしには生きられない
2009年11月28日 05時21分24秒 | 人間・生命・宇宙

 最近、感じたことを書きます。
 どんなヒトでも、自分の生まれてきて・生きている意味、存在価値、なぜ自分は今を生きているのかという確認無しには生きていけないと思います。
 そういう確認がなければ、ヒトは絶望して「自分には生きていく価値がないんだ」と自死に至るしかないのではないでしょうか。
 そういう自分の生きている意味を「自分の物語」と呼びましょう。
 
 そんな物語などいらない(と思う、たぶん)、トンボや蝶々やアメーバと人間の違いでしょうか。
 もしぼくの大好きなモノサシトンボに自我があったら、ごめんね。

 ヒトは自我を持ってしまい、宗教とか哲学とか世界観とか、自分の存在価値を確認してくれる「物語」が必要なのだ、と思います。
 
 この雨宮智彦のブログ、「哲学・思想・文化・人間」はそういうヒトの側からと、哲学・思想・科学の側からと両方から考えていきたいと思います。

 雨宮智彦は、宗教を否定しません。
 雨宮智彦にとって、宗教は必要ではありませんが。

 それはヒト(「ヒト」とは、人間の1人ひとりの個体を指します)にとって必要な自分を保つための「物語」=安全装置の一つではないでしょうか。

 それが宗教であれ、哲学であれ、科学であれ、世界中のヒトが、お互いを相互尊重しながら、生きていくのが21世紀の世界の姿なのではと思います。]

 

 

過去現在未来のメモリーノート 75 ヘーゲルの「運動」について 20191218

2019年12月19日 21時55分36秒 | 過去現在のメモノート

 

過去現在未来のメモリーノート 75 ヘーゲルの「運動」について 20191218

 このごろ哲学者ヘーゲルにこっている。というより、ヘーゲル『大論理学 第1巻』の用語索引をつくることに、わけあって熱中している。まだまだ長くかかるが。その過程で気づいたこと。

 ヘーゲルは「客観的観念論者」です。「唯物論」ではありません。唯物論的論法は1%もないはずです。

 ところが「運動」「物質」などの言葉があるじゃありませんか。どういうこと?

 ボクが読んでいるのは「寺沢恒信/訳『大論理学 1』以文社、1977年」です。この本は初版の訳本ですぐれています。

 この本のp154、167、168、169、171、202に堂々と「運動」とあります。

 つまり、これは「物質の運動」ではなくて「概念の運動」「精神の運動」のことだと思います。ついいうっかり「物質の汚染」はあるかも知れませんが、どうやって識別するのか。

 もっと読み込んでみますが、基本線はこれでいいように思います。

 


過去現在未来のメモリーノート 74 『新版 資本論 1』新日本出版社、2019年 20191113

2019年11月13日 17時36分44秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 74 『新版 資本論 1』新日本出版社、2019年 20191113

 11月になってやっと手に入れた『新版 資本論 1』。

 まず表紙に「カール・マルクス 日本共産党中央委員会社会科学研究所監修」と書いてある。というより、それしか書いてない。あれっと思って、奥付けを開くと、やはり「監修者 日本共産党中央委員会社会科学研究所」としか書いてない。

 おかしいなあ。訳者はいったい誰なんだろうって思う。この著者はカール・マルクスさんで日本語にするためには訳者が当然いります。

 日本語訳者のいないドイツ人の本なんてありえない。

 以前のボクが使っている新日本上製版は「資本論翻訳委員会訳」でたくさんの学者の集団翻訳で作られました。

 上製版の「凡例 Ⅱ~Ⅵ」にそれが訳者・協力者全員の名前をあげて書かれています。1997年のことです。

 今回の新版では、こう書いてある。

 「新版『資本論』の改定作業は、日本共産党中央委員会社会科学研究所によっておこなわれた。研究所からは、不破哲三、山口富男、卜部学、小島良一が、監修と改定の作業にあたった。本訳書のもとになった新書版の刊行にあたっては、研究所の委嘱により翻訳のための委員会が組織され、多くの研究者の参加と協力を得た。新書版および1997年12月に刊行された上製版(5分冊)の訳出・編集体制については、それぞれの版の「凡例」を参照いただきたい」(「凡例 Ⅴ」)

 つまり新訳ではなく前作をそのまま使っているのだ。

 現に、2つの版を読み比べてみると、ほとんど前のままで「監修」したところだけ改定している。

 だったら以前の版の訳者名を明示するべきだったと思う。それが前訳者への礼儀というものだろう。

 著作権の関係で不可能ならば新訳にするべきだったのではないかと思う。監修者さん、そう思いませんか。

 まだ『新版 資本論 1』も読み切ってはいない。おもしろそうなところがあったら紹介していくつもりです。

 


過去現在未来のメモリーノート 73 真理がわれらを自由にする 20191110

2019年11月10日 10時26分22秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 73 真理がわれらを自由にする 20191110

 「真理がわれらを自由にする」は国立国会図書館に掲げられた有名なことばです。ボクは歴史学者羽仁五郎さんの本で知りました。

 現在、東京本館の目録ホールの図書カウンターに日本語で「真理がわれらを自由にする」と刻まれ、ギリシャ語で同じ文章が刻まれているようです。

 このことばの出自は、1948年(昭和23年)に国立国会図書館法が起案されたころ、羽仁五郎さんが参議院議員で参議院図書館運営委員長だったので法律の作成に参加、前文に「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」と書かれたことによるものです。

 羽仁五郎さんは戦前の1920年代(かな?)にドイツに留学、ドイツ留学中にフライブルグ大学図書館で目にした銘文がもとになっているそうです。

 これはキリスト教の「ヨハネ福音書」のなかの言葉です。ボクは昨日、福音書(岩波文庫)を読んでいて、この言葉を見つけました。

 「多くの人がイエスを尾信じた。すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留っておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」」(p308、ヨハネ8・30~32)

 キリスト教徒の中には、この言葉の意味が変わってしまったことで抗議している人もいます。全体がそうであるかは知りません。「ヨハネ福音書」から「国立国会図書館法前文」へ、「あなた達を」から「われらを」へ転換したことで「真理の意味」が変わってしまったんですね。

 それは意味はそうだと思います。でも意義はボクは正しいと思います。

 


過去現在未来のメモリーノート 72 コードネーム  20191108

2019年11月08日 11時03分01秒 | 過去現在のメモノート

 

過去現在未来のメモリーノート 72 コードネーム  20191108

 最近、令丈ヒロ子さん著の『パンプキン ー 摸擬原爆の夏 ー』(講談社青い鳥文庫、講談社、2019年6月15日、新書版、121ページ、定価本体660円)という児童文学を読んだ。

 そのなかにこういう文章がある。主人公の小学5年生の少年少女の会話です。

 「「パンプキンにしろ、ファットマンにしろ、ふつう爆弾にそんな名前つける?」
 「わからんなあ、アメリカンジョークちゅうやつちゃうか?」
 「アメリカンジョークて!おもしろく爆弾落とされたら、たまらんわ!」
文句を言いながら、次々出てくるパンプキンについての説明を読む。」(p28)

 パンプキンというのはアメリカが日本で落とした長崎原爆と同じ大きさと形と重量の通常爆弾。つまり摸擬原爆のことです。

 アメリカ軍はこれをパンプキン(かぼちゃ)と名前をつけていたのです。これは「アメリカンジョーク」でも「ニックネーム」でもないと思います。

 広島原爆を「リトルボーイ(小さな少年)」、長崎原爆を「ファットマン(太った男)」というのも同様です。

 これはアメリカ軍の正式の名称「コードネーム」です。

 今、ネットで「コードネーム」を検索すると「第1回 基本的なコードネームを理解しよう - ヤマハ」とか「楽典:コードネーム」という音楽の和音の「コードネーム」、英語で書くと「chord name」というのが出てきます。これではありません。

 もうひとつの「コードネーム」、英語で書くと「code name」、こっちです。「コード code」は映画「ダヴィンチ・コード」のように「暗号」のことです。

 たとえばボクの手元にある小山仁示/訳『米軍資料 日本空襲の全容 マリアナ基地B29部隊』(東方出版、1995年)では、のB29の「作戦任務番号第185号 日付 1945年5月28日」まで「コード名」がついている。

 この日のコード名は「スターベイション(Starvation)№17」。5月29日以後は「コード名」がついていないのはなぜか研究したい。

 つまりコード名というのは作戦内容が通信や文書で敵に漏れないように、聞いてもなんだかわからない名前をつけた軍事的なものだと思う。任務のあいまにおもしろがってつけたようなニックネームではけっしてない。

 同様のことはアメリカの核実験の1つひとつに名前をつけているのもそうだと思う。

 たとえば1954年3月1日のビキニ水爆実験を「ブラヴォー」というように。まだ、それが「コードネーム」だというアメリカ側文書をボクは見たことはないが。

 「コードネーム」についての叙述は不完全だと思う.第二次世界大戦中のアメリカ軍の日本軍飛行機へのネーム付け、戦後のNATO軍のソ連軍飛行機へのネーム付けの問題も含まれると思う。

 まだ未完。 20191108

 


過去現在未来のメモリーノート 71 「社会主義」研究 2 井尻正二「スターリンを正しく批判できるのは」

2019年09月13日 16時03分22秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 71 「社会主義」研究 2 井尻正二「スターリンを正しく批判できるのは」

 「新・本と映像の森 298」で紹介した「井尻正二『科学の階級性ー続科学論』築地書館、1973年」の中の「地質学の根本問題 」(原著昭和27年、増訂版昭和33年、1958年)の注釈に書かれていたことを引用する。

 「3-イ・スターリン「弁証法的および史的唯物論について」1938年。<以下、本文で述べる弁証法的唯物論の要綱は、前記のスターリンの労作から引用したものです。
 ところが、その後1956年にスターリン批判がおこなわれ、わが国でもそれ以後、“いわゆるスターリン批判”がさかんです。
 くわしいことは、小著の目的をはなれるので何も申しませんが、わが国でおこなわれていいるような、いわゆるスターリン批判の本質は、弁証法的唯物論の修正主義がその大部分である、というのが私の結論です。
 スターリンを正しく批判できるのは、政治的にも、経済的にも、哲学的(理論的)にも、スターリン以上の実践をして、氏以上の実績をつみあげた者にかぎる、と信じています。
 したがって、ここに引用したスターリンの労作は、いまなお光り輝いていますし、すくなくともその論旨が、いわゆるスターリン批判論者のそれよりも簡明である点に学ぶべきだと思います。>」
 (井尻正二『科学の階級性ー続科学論』築地書館、「地質学の根本問題」p91)

 以下は、ボクの注釈【 1~5 】つき。

 「3-イ・スターリン「弁証法的および史的唯物論について」1938年。<以下、本文で述べる弁証法的唯物論の要綱は、前記のスターリンの労作から引用したものです。
 ところが、その後1956年にスターリン批判がおこなわれ、わが国でもそれ以後、“いわゆるスターリン批判”がさかんです。 【 1 だから井尻さんは日本でのスターリン批判には反対なのだろうと感じる。3度も「いわゆるスターリン批判」という言葉を使っている。 】

 くわしいことは、小著の目的をはなれるので何も申しませんが 【 2 この注釈3自体を書くべきではなかったのではないか。「何も申しません」と言いながら「私の結論です」というんを言い切っているのは科学者の言葉では無くて宗教者の信条告白だろう 】 、わが国でおこなわれていいるような、いわゆるスターリン批判の本質は、弁証法的唯物論の修正主義 【 3 スターリンこそマルクスを「修正」しっている「」だと思う 】 がその大部分である、というのが私の結論です。

 スターリンを正しく批判できるのは、政治的にも、経済的にも、哲学的(理論的)にも、スターリン以上の実践をして、氏以上の実績をつみあげた者 【 4 「スターリン以上の実践をして、氏以上の実績をつみあげた者」とは共産党の偉い幹部しか「スターリンを正しく批判」してはいけないということだろう。 】 にかぎる、と信じています。

 したがって、ここに引用したスターリンの労作は、いまなお光り輝いていますし、すくなくともその論旨が、いわゆるスターリン批判論者のそれよりも簡明 【 5 スターリンがマルクスを単純化したことにボクは異論はない 】 である点に学ぶべきだと思います。>」
 (井尻正二『科学の階級性ー続科学論』築地書館、「地質学の根本問題」p91)

 文章を読めばわかるように1956年のフルシチョフによるスターリン批判以後に書かれている。

 「新・本と映像の森 296」で扱った「泊次郎『プレートテクニクスの拒絶と受容 新装版』東京大学出版会、2017年」によれば泊次郎さんは「第3章」の注(60)で「『地質学の根本問題(増補改訂)』(地団研、1958年)で『地質学の根本問題』(1952年)で引用したスターリンの『弁証法的と史的唯物論』の一節に注釈をつけ」と書き、以下、この注釈を引用している(p112~113)

 ところが井尻正二著『科学論 下』(国民文庫、大月書店、1977年)に載せられた「地質学の根本問題」(p63~118)ではこの注全体が消されてしまっていいる。

 すくなくとも科学者であるなら、その重要な部分をなぜ消すのか、検討と結論の表明が必要だろうと思うのです。


過去現在未来のメモリーノート 70 東京は安全か?

2019年09月02日 11時24分22秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 70 東京は安全か?

 8月31日午後7時のNHKニュースだったと思う。「東京は世界一安全」というようなニュースをやっていた。来年の東京オリンピックに向けたチョウチン記事だろうと思った。

 しかし翌日になってから気がついた。「何も関東大震災の9月1日の前日にこの記事を流すとこはないじゃないか」。

 ちょっと手持ちの本を探してみたら藤田千枝編『暴力の世界地図』という小さな本があった。

 p34「自然災害に「自然災害のときの大都市の危険度」という図がある「東京・横浜」は世界の大都市に比べて2倍以上危険度が大きい。「東京・横浜は世界一、災害に弱い都市だ」と大書してある。(根拠は朝日新聞2003.8.19記事、ミュンヘン再保険会社ホームページ)。

 地震と火山の巣の日本列島。「絶対安全」なんて言えない。

 


過去現在未来のメモリーノート 69 元木昌彦さん「ジャニーズの暗部に触れないメディアの罪」から

2019年08月26日 10時01分35秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 69 元木昌彦さん「ジャニーズの暗部に触れないメディアの罪」から

 7月9日、ジャニー喜多川さんは亡くなった。

 ジャーナリスト元木昌彦さんがネット「PRESIDENT Online」に「ジャニーズの暗部に触れないメディアの罪」(2019/07/23 17:00)というタイトルで評論を書いている。

 副題の「少年たちへの"性的虐待"という事実」が主要なことだが、もう1つ興味深いことを書いているので紹介する。

 元木昌彦さんは、こう書いている。

「戦後、再び、ジャニー喜多川はアメリカへ行って、高校に通いながら、リトルトーキョーでショーを手伝っていた。その頃、美空ひばり、笠置シズ子、服部良一らと面識を持ったといわれる。米国籍だったため米軍に徴兵され、ジャニーは朝鮮戦争にも従軍している。

彼の知人によれば、「江田島にあった米軍兵学校で韓国語を学んだ。通訳として従軍したらしい」。再び日本に戻ったジャニーは、米国大使館に勤務して軍事顧問という肩書も持っていたそうである。

そうした経歴から、CIAのスパイ説が出てくるのだろうが、ジャニーズ取材歴50年で、『異能の男 ジャニー喜多川』(徳間書店)を出した小菅宏は、『文春』でこう話している。

「不躾とは思いつつ、ジャニー氏に『CIAのスパイだったの?』と尋ねたことがある。本人は『米国の情報機関で働いたことはあるけど、それ以上はノーコメント』と打ち切った。ことアイドル像については多弁な彼も、自身の過去には口を閉ざしていた」

これについては、これ以上の情報がないので触れないが、ジャニー喜多川を論じるなら、彼の性的嗜好とCIAスパイ説は避けては通れないと思う。」

 興味深いことである。引き続き追っていきたい。

 

 


過去現在未来のメモリーノート 68 意識と認識と精神

2019年08月19日 12時14分37秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 68 意識と認識と精神

 「意識」「認識」「精神」は、違う言葉である以上、似てはいるが違うものだと思う。

 たぶん「意識」は「認識」より広い。「認識」は「意識」より狭い。「精神」は「意識」と同じものかな。

 「認識」は「言葉」と関連したものかもしれない。

 ところが普通の辞書を見ても、新日本出版社の科学的社会主義の『新編 社会科学辞典』を見ても、違いが書いてない。

 「認識論」と「存在論」の違いさえ書いてない。

 ボクは「唯物論」の立場だが、「意識」「認識」「精神」の解明が急務と思う。

 何か書いてある文献を見つけたら書きます。

 


過去現在未来のメモリーノート 67 「社会主義」研究 1 ニコライ・ネフスキーさん

2019年08月08日 13時09分58秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 67 「社会主義」研究 1 ニコライ・ネフスキーさん

 「社会主義」研究を始める。これは長く続く学習になると思う。第1回は「「社会主義」研究 1 ニコライ・ネフスキーさん」。

 ニコライ・ネフスキーさんは日本でも有名なロシア人の民俗学者。古代史でも、その名前は前に沖縄と関連して聞いたことがある。

 地質学者の故湊正雄さんの『アイヌ民族誌と知里真志保さんの思い出』(築地書館、1982年)には「1929年にレニングラード大学にむかえられ、妻と娘のエレナも1933年にソ連に入国がかなえられた。しかし、1937年から1945年の間に「個人崇拝によってもたらされた専断の犠牲となって」、ゆえなくして逮捕され、シベリアで処刑されたらしい。夫人もこのときに殺されたらしい」(p144)と書かれている。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にはこう書かれている。

 「1937年10月4日、日本のためにスパイ活動を行ったとして妻とともに逮捕され、翌月レニングラードにおいて夫妻は「国家叛逆罪」により粛清(銃殺刑)された(スターリン粛清)。」

 『ウィキペディア』には、没年月日は「1937年11月24日(45歳)」と書いてある。

 湊正雄さんの1982年の叙述では「1937年から1945年の間に」となっている。

 『ウィキペディア』には、次のように書かれているので、たぶんこの加藤さんの1976年に出た初版本が湊さんの種本だと思う。

 「加藤九祚 『天の蛇 ニコライ・ネフスキーの生涯』河出書房新社, 1976、完本版 2011。初版(大佛次郎賞受賞)で、没年を1945年と記載したが、その後の関係者への調査で1937年であることが判明。新版では「死の真相」解明と、遺族(長年の交流がある)や関係者らのその後を増補した。」

 ボクは、スターリン弾圧=大量殺人については、あまり詳しくない。いろいろ学んでいきたい。

 35人殺した京都アニメ事件。ではスターリンは何人殺したか?

 


過去現在未来のメモリーノート 66 参議院選挙比例代表の得票結果 20190728

2019年07月28日 10時24分11秒 | 過去現在のメモノート

 

過去現在未来のメモリーノート 66 参議院選挙比例代表の得票結果 20190728

 7月21日投票の参議院選挙比例代表の得票結果です。

 現在の政治状況を一望できるのが選挙です。選挙=政治ではないのですが。政治がよく
見えるのが選挙だと思います。

 自由民主党  1771万1862票 35.4% 19人
 公明党 653万6336票 13.1% 7人
 日本維新の会 490万7844票  9.8%  5人 2856万

 国民民主党 348万1053票  7.0%  3人
 立憲民主党 791万7719票 15.8%  8人
 社民党 104万6011票  2.1%  1人
 れいわ新撰組 228万0764票  4.6%  2人
 日本共産党 448万3411票  8.9%  4人 1921万

 NHKから国民を守る党   98万7885票  2.0%  1人

 与党3党の合計 2856万、58.3%にたいして野党5党の合計 1921万票、38.4%です。

 「NHKから国民を守る党」は与党に入れた方がいいような気がしますが、まだ今からです・
 
 以下4つは、得票率1%以下の小政党です。

 安楽死制度を考える会 26万9051票  0.5%
 幸福実現党 20万2278票  0.4%
 オリーブの木 16万7897票  0.3%
 労働者党 8万0055票  0.2%

 以前との比較は次回にやりたいと思います。