馬糞風リターンズ

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「よさこい節」・・・純信とお馬さん

2024年04月28日 | 大衆演芸

当ブログは高知県には何度となく行っています。仕事での出張もありますが、高知県には「奈路」と云う特有の地名があります。それに興味を覚えて高知県ほぼ全域を走り回りました。当時は気付かなかったのですが高知県内には「純信・お馬」ゆかりの地がこんなに沢山あるとは思いませんでした。

  

純信・お馬の恋の始まりの地は五台山竹林寺です。竹林寺の脇坊に妙高寺があったそうです。純信はこの妙高寺の住職でした。妙高寺跡は現在牧野植物園になっています。竹林寺の東参道入口に鋳掛屋・大野新平宅があったそうです。この鋳掛屋の娘が「馬」ことお馬さんです。お馬さんがお寺に洗濯物などを届けるなどの用事で出入りするうちに純信と恋仲になったのが事の起こりです。一説によるとお馬さんは当初「わりない仲になったのは純信ではなく学僧であった慶全」であったと言われています。お馬さん17歳、純信37歳、慶全の年齢は不明ながら若い学僧との記録から20台と思われます。年齢からしても恋のお相手としては慶全のほうが自然であろうと思われます。純信の下にいた修行僧の慶全は純信により追放されてしまいます。純信が慶全を追放したのは恋のさや当てからなのか、慶全から純信にお馬さんの心変わりがあったのか?その辺りの事情はよく分かりません。なお、慶全は実在の人物で大月町柏島出身。

さて、有名な「はりまや橋で坊さん簪買うを見た」です。坊さんが簪を買った店は「橘屋」と云う小間物店なのだそうです。「橘屋」は元々戦国時代、土佐の武将・国吉五左衛門幸親で長曾我部に仕えたり、豊臣秀吉四国征伐後土佐の領地に戻っていたが関ケ原の合戦では西軍に組し、敗北し下総に落ち延びていたが大坂夏の陣に豊臣方に参戦しこれまた敗北し土佐に戻った武将が遠祖である。国吉甚左衛門親綱から8代目の子孫・伝兵衛は麹の製造や回漕業を営み成功し、名字帯刀をも許されました。天明8年(1788)高知城下はりまや橋東側南詰に小間物商「橘屋」開きます。

「純真お馬逢引の岩」


 はりまや橋袂の小間物屋橘屋で簪を買ったお坊さんは純信か慶全か?一般には純信がお馬さんにプレゼントするために買った、とされています。これは当時高知では純信とお馬の道ならぬ恋仲が大きなスキャンダルとなり衆人の注目を集めていたからでしょう。しかし、本当は、慶全がお馬の気を引こうとして簪を買ったんだけどその事で寺を追放され、その腹いせに「かんざし買ったのは純信だ」と言ったことがたちまち高知城下に噂が広まりとの説もあります。
 兎にも角にも純信とお馬の恋仲は高知上下では公然の秘密となり、追い詰められた純信はお馬を連れて京都に駆け落ちを決行することになります。
→つづく




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