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馬糞風リターンズ

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「世界計量記念日」 50歳から4万km(地球1周)を歩いた男。

2014年05月27日 | 雑学

前回、1mを決めるためにフランス革命の真っ最中、2人の天文学者ドランブルとメシェンがダンケルクとスペインのバロセロナ間1075kmを歩いたことを書きました。彼等は子午線の長さを測定し、北極から赤道までが1万kmとしその1万分の1を1mとしました。と云う事は地球1周は4万kmと言うことになります。
同じ頃、地球の東端の小さな島国に、同じく子午線の長さを正確に求めようと4万kmを歩いた男がいました。
謂うまでも無くその人は「伊能忠敬」です。
 当ブログは一昨年の秋、千葉県を周遊した際伊能忠敬生誕の地などを尋ね彼の生活した空間を体感してきました。
 
日本全土を踏破し完成した日本地図は先進西洋のそれよりも精密であったと評価されています。当時の日本の文化、知識、技術レベルの高さは非常に高いものであったようです。明治維新後の急速な欧化政策を受容できたのもこの日本国内のレベルの高さがあったからこそのことです。後進国への技術移転が難しいことが問題になっていますが、その最大の原因は受容国の教育・知識水準の低さにあるとされています。
  
「一人ごち」サンのブログに「日本人は何故英語が苦手かと言う理由を書かれていました。それによると、日本には既に西洋文明で使用する術語や概念を理解する日本独自の言葉があった、と言うことのようです。
 最近、三浦朱門などが幕末・維新期の日本の文化・知識レベルの高さを強調し、西洋文明礼賛に異議を呈し「日本礼賛」を強調しているようです。これが行き過ぎると怪しげな国粋主義に行き着くので要注意!
 話が横道にそれましたが、伊能忠敬の生き方が注目されるようになったのは井上ひさしの長編小説「四千万歩の男」です。
 伊能忠敬は「 一 身 に し て 二 生 を 経 る 」と語っています。一人で 二つの人生を生きることのようです。井上ひさしは「 人 生 二 山 説 」と言っているようです。団塊世代が定年退職の時期を迎へ、定年後の生き方が話題になっています。「第2の人生」「人生の楽園」「サンディー毎日」などなど・・・・・。

 伊能忠敬は「隠居の慰みとは申しながら、後世の参考ともなるべき地図を作りたい」と言っています。一見、現在のサラリーマンの定年退職後の「第2の人生」リタイアー後の「生甲斐」「人生の楽園」捜しのように思いがちですが、忠敬は「地図を作りたい」がために家督を譲り「隠居願」を無理やり認めさせたのです。
 世の中の多くの人が「サラリーマン」人生を送るようになりました。サラリーマンには定年退職があります。彼等はサラリーマン時代を「現役」といい退職後を「第2の人生」と言います。良い悪いを言っているのではありませんので誤解の無いように。このようなサラリーマンの人生譜は理解できないでもありませんが、余りにも他動的ではありませんか。
 内田樹と鷲田清一の対談で(「 大人のいない国」だったと思うのですが・・)「競技場でレースをしている人たち・・・」「競技場でのレースは、ルールがあり・・」「安全が確保された環境での競争・・」と言う意味のことが書かれていました。所が、人の一生は限られた人達だけで競争できる訳でもなく、安全が保障されている訳でもありません。ましてレースの終わりが分かっている事もありません。そんな人の一生を、サラリーマン的人生譜で生きようとする事自体に大きな人生の齟齬があるような気がします。
 定年退職が無い職業の人は沢山います。また、サラリーマンであっても全く組織に帰属意識の無い人もいます。人生、一生、第1も第2もあるはずが無い・・。年齢なども関係ない・・。ただただ、一生を如何に満足のいくように送るかが問題です。

「昨日なつかし 今日たのもしや 明日の分からぬおもしろさ」






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