馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

銚子市 ~ 笹川町・旭市・九十九里町 ~ 館山自動車道・東京湾アクアライン~

2012年09月14日 | ドライブ・旅行
「しまった!」と思った「旅館・大新」は、実は「大当たり!」だったのです。千葉と紀州(和歌山)とは、昔から「海の道」黒潮に乗った人々の交流があり、同じ地名がたくさんあります。白浜(安房郡、西牟婁郡)・勝浦(勝浦市、那智勝浦町)・田子(鋸南町、すさみ町)・野島(安房郡白浜町野島崎、御坊市)・めら(館山市布良、田辺市目良)などが有名です。沢口靖子の出世作となった85(昭和60)年のNHK朝のドラマ「澪つくし」は紀州湯浅から銚子に渡った醤油製造元の娘と漁師の恋がテーマでしたが、千葉の醤油のルーツは紀州だし、漁業にも紀州の影響が大きいようです。
 旅館・大新の近くには「ヤマサ醤油」「ヒゲタ醤油」などがありますが、「ヤマサ醤油」は和歌山の湯浅の浜口家です。このヤマサの幕末の当主が「稲むらの火」のモデルになった浜口梧陵です。
 大新の店番をしていた老婆(82歳)とそのような話をしていると、このお婆さんが現在12代目の当主だそうで、銚子の歴史などを教えてもらいました。銚子は日本で4番目の大都会だったそうで、そのため多くの著名人が銚子を訪れています。浜口梧陵と勝海舟は生涯の友であった事などを話していると、勝海舟がチョクチョクこの大新に来ていた、と言う話を教えてくれました。勝海舟は「投網」が趣味だたっだそうで、大新の3代前の当主が銚子でも有名な「投網」の名人で、その縁で海舟が大新に逗留したそうです。
 フロントの以前は恐らく「土産物」などを並べていただろうショーケースには、書類や雑誌、古新聞の束や色紙・・それに大学の研究紀要が雑然と詰め込まれています。色紙の中にはBIG NAMEもあり、大した「お宝」もあるようです。話を聞くと、筑波大学の先生や生徒が研究のため、この宿に逗留していろいろ調査をするそうで、かなりの大学院生がこの大新で「博士論文」を書いたそうです。研究紀要はその「お礼」として大学から送ってくるのだそうです。お婆さんは結構な学者で、話も面白く思いのほか楽しい宿でした。将に「大当たり」の宿でした。「銚子と文学者とのふれ合い」(銚子市教育委員会)をお土産に頂きました。 宿を出て近くの「円福寺」にある「銚子の五郎蔵」の墓に行きました。(冒頭の写真)
  
銚子の隣町「東庄町」、旧下総笹川村諏訪神社境内には「天保水滸伝遺品館」があります。また隣接した延命寺には笹川繁蔵墓・平手造酒墓・勢力富五郎碑などがあります。この笹川(東庄町)にはまだまだ天保水滸伝、特に笹川勢ゆかりの遺跡が沢山あります。そして利根川大橋(河口堰)があります。
「利根の川風袂に入れて 月に棹差す高瀬舟・・・」の名調子もコンクリートの大堰は無粋以外の何物でもありません。
笹川の隣は「佐原囃子が聴えてくらァ 想い出すなァー ・・」の佐原市で、また伊能忠敬が実家のあった所で、「地図の町・佐原」として「伊能忠敬記念館」があり、是非寄りたいところですが今回は時間の制約もあり残念ながら素通りしました。
市町村合併で歴史風土がイメージできない地名が増えましたが「旭市」もその例で、イメージも位置関係も全く分からない市町村名です。
前々からぜひ行きたいと熱望していた「大原幽学記念館」に行きました。周辺は整備されていて立派な公園になっていました。自刃の短刀 「難舎者義也」の実物が展示されていました。
東金ICから高速道に乗るため「九十九里町」に入り「伊能忠敬生誕の地」と「青木昆陽甘藷栽培の地」を見ました。
館山自動車道から東京湾アクアマリンで「海ほたる」へ。よくもこんなものを造ったもんだと・・・。ただ、一度は行きたかったので納得しました。
 大和市で知人と夕食をとり、相模原のホテルに日付の変わる少し前にチェックイン。翌朝は10時半まで爆睡。フロントからの電話で慌てて目覚める次第です。
これも走ってみたかった新東名。快晴で富士山が裾野から全景が見えました。何度か見た富士山ですがこれほどクリアに見たのも初めてです。開通以来人気の「駿河湾沼津SA]の眺望は最高で駐車場も列をなして時間待ちの状態でした。
そして、思いつきのドライブも5日目夜9時に我が家に辿り着きました。

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