馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「奥の細道」とムシ(昆虫)雑話。

2019年04月19日 | 昆虫・ミツバチ

「奥の細道」で芭蕉は五〇句を詠んでいます。この五〇句の中にムシを詠んだ句が三首あります。旅程の順で紹介しますと、鳴子・尿前の関(しとまえのせき)=宮城県大崎市(旧・鳴子町)では

「ノミシラミ馬も尿する枕もと」

この句では蚤、虱、馬の放尿と云った凡そ詩心とは縁遠いものが詠み込まれています。この句の季語は「蚤」で、歳時記では「夏」となります。芭蕉、其角、一茶、子規、・・・など結構多くの俳人が詠み込んでいます。当ブログのような無風流な木石にはノミ、シラミはおろかハエなど不快害虫に風流を見出すことなどは思いもよりません。衛生害虫と云う対象物に詩情が無いのではなく、詠み手の心の貧困が詩情が生まれないようです。「やれ打つな蠅(はへ)が手をすり足をする」一茶の名句があります。

山寺・立石寺(山形県山形市)

 

閑さや岩にしみ入蝉の声


芭蕉が山形県の立石寺で読んだものですが、山形出身の歌人・斉藤茂吉が「アブラゼミ」だと言う説を唱えると文芸評論家・小宮豊隆は「ニイニイゼミ」説を唱え、セミ論争が文学界で起こりました。岩波書店の社長・岩波茂雄がこの論争に決着をつけようと当時の名立たる文人を集めて議論をしたそうです。小宮豊隆は「ニイニイゼミ」説は「閑さ、岩にしみ入るという語はアブラゼミに合わないこと」、「元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となり、アブラゼミはまだ鳴いていないこと」を理由にしていました。そこで、斉藤茂吉は翌年、芭蕉が句を詠んだのと同じ時期に立石寺に行くと、確かに「ニイニイゼミ」しか鳴いていなかったことから、この論争は「ニイニイゼミ」で決着したそうです。また、この句で鳴いているセミの数が論争の対象になっているようなことも聞いたことがあります。
この句は、セミ論争以外にも「閑さや」の読み方にも論争があるそうです。「閑さや」=しずさや OR しずさや、「しすけさや」か「しすかさや」皆さんはどちらだと思われますか・・・・?

山形のセミと言えば西沢周平の名作「蝉しぐれ」があります。文四郎と福が聞いた「蝉しぐれ」は「何ゼミ」だったのでしょうか?
第三首目は小松(石川県小松市)

むざむやな 甲の下の きりぎりす

和歌、俳句の世界では「キリギリス」は「コオロギ」とされています。難しい議論はさて置き、五・七・調の世界では「コオロギ」は四音、「キリギリス」は五音、となると使い勝手が五音のキリギリスの方が良いからとも言われています。この小松でのこの句は、謡曲「実盛」の故事が背景にあります。日本では昭和三〇年代以前には農村では「虫送り」と云う民俗行事が各地でありました。「虫送り」は多くの所では「実盛送り」「実盛さん」などと呼ばれていました。
当ブログは若かれし頃、この「虫送り」(実盛さん)を随分と調査したことがあります。社会学者、民俗学者の視点では分かり難い事を昆虫学の視点で調べればまた違った事柄が沢山あります。横道にそれましたが・・・。




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