28日、4組の仲間&その周辺居住者11名がホストの広瀬さんのコンダクトのもと秋の里山での楽しい体験をしました。詳しくは4組HP・掲示板でご覧下さい。
ホストの広瀬さんは豊中高校から大阪大学建築工学コースに進まれ、大手建設会社で活躍、多くの実績を残されたそうです。
お話ではUSJ建設の総指揮をとられたそうです。偶然にも今回一緒に参加した同級生の仲田さんが勤務していた高島屋の物流基地の建設も手掛けたそうで、当時仲田さんは高島屋側の責任者で広瀬さんは建設会社側の責任者だったそうで旧知の仲と云う事が判明しました。
世の中には驚くような学識・博識の人がいるものですが、ホストの広瀬さんはその学識・博識に加えて行動力をも兼ね備え、更にたぐい稀なリーダーシップまでお持ちの才人です。
社会の風潮として自然環境保護が叫ばれ、またモノだけではない心の豊かさを見つめ直そうとする傾向があります。
TV番組でも「人生の楽園」とか「となりの人間国宝さん」などが人気になるのもその左証かも知れません。
そんな風潮から「里山の保全」「棚田を守る運動」「間伐材の利用」「ビオトープ」・・・・・などなど多くの自然環境問題に関心が集まり、活動に参加する人も増えているようです。
ただ、生意気を言うようですがマスコミなどが伝えるこれらの運動は、僕の感覚からすると「ちょっと違うんじゃない」と云う印象のものが多いのです。それは、きっと問題意識の出発点に「認識不足」あるいは「認識間違い」があるからだと思います。
ホストの広瀬さんから問題が出されました。「里山とは」と云う質問です。
残念ながら誰も答えることができませんでした。
広瀬さんによると「里山とは、農民が薪などの燃料、堆肥とする広葉樹の落ち葉を採集する集落、人里に接した山林」だそうです。そしてそのような「里山」は日本独特の存在なのだそうです。(韓国とイギリスの一部に似た存在があるそうです)
この様に広瀬さんの行動には明確な理論背景があるように見受けました。
「里山」の定義は案外漠然としています。環境省なども「里地里山とは」として一応の見解を出していますが、明らかに明瞭さに欠ける説明です(環境省は「里地里山とは」というパンフレットを出しています。インターネットでも閲覧できると思います)
里地・里山更に里道など法律でも規定のない用語があります。
何となくイメージはできるが適格に把握できないまま「里山を守ろう」としても、実は全く無意味な行動をしている場合があるかもしれないのです。或はとんでもない誤解をしていてヒステリックに「自然破壊反対」なんて叫んでいる御仁もいるようです。
現在的な意味での「里山」の概念は森林生態学の巨人・四手井綱英の提起によるものだと思います。
四手井綱英の京都大学の研究室からは多くの逸材が輩出され、特に生態学をベースに民族学に進んだ学者が沢山います。
定年間際で突然病死したアフリカ民族学の碩学Fさんも京大森林生態学出身の逸材でした。
「木を切ると文明が滅びる」と言われます。
現在は不毛の砂漠地帯である中近東も古代にはレバノン杉の鬱蒼と茂る大森林緑地帯だったそうです。そのレバノン杉を住宅、燃料、造船に利用するために伐採した、やがて回復することなく砂漠化してしまったそうです。
かの地には「メドウサ」と云う「目玉」の信仰があります。この信仰は森林の豊かな地に存在するもので日本では「邪視紋」などと言われるものです。中近東の「メドウサ」は森林が豊かであった当時の名残です。
また、モアイ像で有名なイースター島は、現在灌木1本すら生えていない島だそうですが、モアイを作っていた頃は森林に覆われていたそうです。その森の豊かな恵みで信仰に明け暮れモアイを制作し、その運搬材料として木材を伐りだし、森は無くなり、文明が滅び、モアイだけが残ったそうです。
話しが大きく逸れてしまいましたが、ついでにホスト広瀬さんが何度も口にした「ライジング」と云う言葉です。池の魚が昆虫などを食べようと水面に浮き上がる或は跳びあがる行動の事だそうです。
恐らく広瀬さんは食物連鎖から里山の生態系の話しをしたかったのではないかと思いました。
何度か「ライジング」と云う言葉を発せられましたが、鈍感な我々はそこまで気付かなかったようです。
茶室「遊子庵」庵主・広瀬さんの千利休への造詣の深さを思い知らされました。
他の方々はいざ知らず野人で無粋な僕などは入り込めない深遠な世界でした。
でも、楽しい1日でした。ありがとうございました。
ホストの広瀬さんは豊中高校から大阪大学建築工学コースに進まれ、大手建設会社で活躍、多くの実績を残されたそうです。
お話ではUSJ建設の総指揮をとられたそうです。偶然にも今回一緒に参加した同級生の仲田さんが勤務していた高島屋の物流基地の建設も手掛けたそうで、当時仲田さんは高島屋側の責任者で広瀬さんは建設会社側の責任者だったそうで旧知の仲と云う事が判明しました。
世の中には驚くような学識・博識の人がいるものですが、ホストの広瀬さんはその学識・博識に加えて行動力をも兼ね備え、更にたぐい稀なリーダーシップまでお持ちの才人です。
社会の風潮として自然環境保護が叫ばれ、またモノだけではない心の豊かさを見つめ直そうとする傾向があります。
TV番組でも「人生の楽園」とか「となりの人間国宝さん」などが人気になるのもその左証かも知れません。
そんな風潮から「里山の保全」「棚田を守る運動」「間伐材の利用」「ビオトープ」・・・・・などなど多くの自然環境問題に関心が集まり、活動に参加する人も増えているようです。
ただ、生意気を言うようですがマスコミなどが伝えるこれらの運動は、僕の感覚からすると「ちょっと違うんじゃない」と云う印象のものが多いのです。それは、きっと問題意識の出発点に「認識不足」あるいは「認識間違い」があるからだと思います。
ホストの広瀬さんから問題が出されました。「里山とは」と云う質問です。
残念ながら誰も答えることができませんでした。
広瀬さんによると「里山とは、農民が薪などの燃料、堆肥とする広葉樹の落ち葉を採集する集落、人里に接した山林」だそうです。そしてそのような「里山」は日本独特の存在なのだそうです。(韓国とイギリスの一部に似た存在があるそうです)
この様に広瀬さんの行動には明確な理論背景があるように見受けました。
「里山」の定義は案外漠然としています。環境省なども「里地里山とは」として一応の見解を出していますが、明らかに明瞭さに欠ける説明です(環境省は「里地里山とは」というパンフレットを出しています。インターネットでも閲覧できると思います)
里地・里山更に里道など法律でも規定のない用語があります。
何となくイメージはできるが適格に把握できないまま「里山を守ろう」としても、実は全く無意味な行動をしている場合があるかもしれないのです。或はとんでもない誤解をしていてヒステリックに「自然破壊反対」なんて叫んでいる御仁もいるようです。
現在的な意味での「里山」の概念は森林生態学の巨人・四手井綱英の提起によるものだと思います。
四手井綱英の京都大学の研究室からは多くの逸材が輩出され、特に生態学をベースに民族学に進んだ学者が沢山います。
定年間際で突然病死したアフリカ民族学の碩学Fさんも京大森林生態学出身の逸材でした。
「木を切ると文明が滅びる」と言われます。
現在は不毛の砂漠地帯である中近東も古代にはレバノン杉の鬱蒼と茂る大森林緑地帯だったそうです。そのレバノン杉を住宅、燃料、造船に利用するために伐採した、やがて回復することなく砂漠化してしまったそうです。
かの地には「メドウサ」と云う「目玉」の信仰があります。この信仰は森林の豊かな地に存在するもので日本では「邪視紋」などと言われるものです。中近東の「メドウサ」は森林が豊かであった当時の名残です。
また、モアイ像で有名なイースター島は、現在灌木1本すら生えていない島だそうですが、モアイを作っていた頃は森林に覆われていたそうです。その森の豊かな恵みで信仰に明け暮れモアイを制作し、その運搬材料として木材を伐りだし、森は無くなり、文明が滅び、モアイだけが残ったそうです。
話しが大きく逸れてしまいましたが、ついでにホスト広瀬さんが何度も口にした「ライジング」と云う言葉です。池の魚が昆虫などを食べようと水面に浮き上がる或は跳びあがる行動の事だそうです。
恐らく広瀬さんは食物連鎖から里山の生態系の話しをしたかったのではないかと思いました。
何度か「ライジング」と云う言葉を発せられましたが、鈍感な我々はそこまで気付かなかったようです。
茶室「遊子庵」庵主・広瀬さんの千利休への造詣の深さを思い知らされました。
他の方々はいざ知らず野人で無粋な僕などは入り込めない深遠な世界でした。
でも、楽しい1日でした。ありがとうございました。