馬糞風リターンズ

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秋の丹波路をドライブ・・・彼岸花と松茸釜めし

2011年09月25日 | ドライブ・旅行
何時もの相棒が北海道から帰って来た。
お彼岸だし天気も最高なので「飛鳥の彼岸花」でも見に行くか、と高速に乗ると「工事渋滞」があるとの電光表示で方向転換。
能勢から亀岡~丹波路をドライブすることにしました。

 彼岸花は最盛期で、能勢の田園風景に入ると畔や土手に列をなして鮮やかな燃えるような紅の花が秋風になびいていました。
そう言えば彼岸花は田圃の畦道や水路の土手に群生しています。これには謂れがあるそうです。
彼岸花の分布は西日本中心で、自生北限は秋田県・山形県・岩手県だそうですが、山の中には見られず、主に人間の生活領域に分布しているとのことです。この様な植物を「人里植物」とよぶそうです。
 そもそも彼岸花は中国揚子江付近が原産地とされています。彼岸花が何故この様な分布をするのかについては幾つかの仮説があります。
(1)自然分布説・・・・日本列島とユーラシア大陸は陸続きでした。
(2)海流漂着説・・・・海流に乗ってぷかぷかとやってきたという説(ただし彼岸花の球根は塩分に弱い)
(3)史前帰化植物説・・縄文時代に「でんぷん」を得るために、大陸から持ち込まれた
(4)救荒~薬草渡来説・彼岸花が古典に登場するのが室町時代以降であり、それ以前の典籍には全く見られないことが、この説の根拠となっています。鎌倉時代に飢饉対策として中国から持ち込まれた。

 上記の様な仮説がありますが、僕が魅力を感じる仮説がもう1つあります。
水田の畦や墓地に多く分布するのは、彼岸花は全草毒素を持っていて特に鱗茎の毒をネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物が忌避、また土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐため人為的に植えられたためと言う考え方です。
 この考え方は日本の稲作起源とも密接に関係する仮説で非常に興味ある考え方です。

仮説の(3)(4)の食用としての彼岸花の利用についても面白い記録がありますがまたの機会に・・・。
彼岸花は日本の植物の中では、最も別名の多い花だそうで、ヒガングサ・ヒガンバラ・ヒガンユリ・ヒガンソウ・ヒガンポ・イチジバナ・イットキバナ・ソロイバナ・イッショバナ・アカノハナ・アカバナ・カジバナ・ヘイケバナ・マンジュシャゲ(曼珠沙華)・オミコシバナ・カミナリバナ・テンガイバナ・ハナビバナ・ハッカケクサ・ハッカケバナ・ハヌケグサ・ハミズハナミズ(葉見ず花見ず) ・・・・・・・このほかの別名、地方名などを数えると悠に3桁になる別名がある花です。

曼珠沙華はサンスクリット語 manjusaka の音写 と言われ「天上の花」という意味だそうです。
また「葉見ず花見ず」と呼ばれる所以は、彼岸は花が終わっても花には種は出来ません。彼岸花は花が咲いても種が出来ない徒花(あだばな)なのです。種も作らず花を終えてしまった後に起こることは、今まで一度も登場しなかった葉っぱが姿を現し伸び出すこと。葉っぱが出る時期には花が終わってしまっているので、彼岸花の花は葉を見ず、葉は花を見ずということになります。



「僕は運転する人、君はサービスする人」と別段話あった訳でもありませんが、僕が移動に関する事を全て負担する代わりに相棒は飲食などの経費をすべて負担すると云う暗黙のルールみたいなものが確立されています。
亀岡の郊外に「丹波名産」品食材を使用した料亭がありました。まだ、旬には早すぎるので地場産のものではないと思うのですが「松茸」料理の幟がありましたので、今季初モノの「松茸膳」を賞味しました。

この辺りの街道を「とうろう街道」と呼ぶそうです。(以前来た時にはそんな名称もありませんが・・)
丹波路には他に有名な「デカンショ街道」なるものもありますが、今回は左折して大阪に帰りました。