四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

福岡の旅(2)平和台球場

2007-10-29 07:43:04 | 生かされて今日
 知将・三原監督のもと中西や大下、豊田や稲尾が大活躍した「西鉄ライオンズ」の平和台球場を尋ねたら、外壁だけの廃墟となっていてビックリして淋しい。外野があった地下から鴻臚館(こうろかん)の建物址が出土、発掘調査中の看板がありました。
鴻臚館とは七世紀ごろの外国使節を接待する迎賓館で、京都・難波・太宰府にも有ったらしいです。
 中西 太三塁手は高松一高の怪童で強打者でした。確か高松市民球場は「中西太球場」と呼ばれているはずです。私は新婚時代の三年を高松に住み、名門高松一高の近くに暮らしました。
地元福岡の王監督・ソフトバンク・ホークスはなんと、大阪名物だった山本監督、蔭山助監督の「南海ホークス」なんですよね。難波球場も消えました。光陰矢のごとし、諸行無常ですね。世の変遷、興亡の前にシンミリします。時の流れは永遠だ。

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