『一休(いっきゅう)禅師は「私は耕さずして、ご飯を頂いている。織らずして、着物を着ている。いったい、私はもらいすぎている。これをどうつぐなえばいいのか。それを思うと、一時(いっとき)もじっとしてはいられない」と語っておられます。
この「いったい、私はもらいすぎている」という考え方が大事だと思うのです。
私たちは逆に「私はまだまだ十分に与えてもらっていない。不足だ」と考えがちですが、その心をちょっと切り換えるだけで、そこに感謝が生まれてくるのです。
その感謝が、まわりの人への思いやりになって、お互いに「ありがとう。ご苦労さま」と言い合えるようになっていくわけです。
おのれのごとくに他を思う心、それが仏教でいう慈悲心です。真の友情です。
人が「働く」のは、「はたを楽にする」ためだという人がいます。そういう心意気で働いていると、なによりも自分が楽しくなります。互いに持ちつ持たれつで生かされているのだという自覚から、慈悲心は生まれてくるのです。これこそ真の人間尊重でありましょう。』
庭野日敬著『開祖随感』より
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