四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

歌人・永田和宏さんの講演

2012-02-13 09:38:02 | 生かされて今日
 「人生を生ききるということ」をタイトルに永田和宏さん(六十五才)が次に登壇されました。
氏は京都大学名誉教授の科学者で宮中歌会始選者、朝日新聞歌壇選者、「塔」主宰の歌人。二年前に亡くなった女流歌人河野裕子氏の夫君です。寺山修司短歌賞、若山牧水賞、読売文化賞、文部科学大臣賞、斎藤茂吉短歌文学賞、紫綬褒章、山本健吉文学賞など受賞されています。
大胆に話を要約するならば、ガン等で自分の余命を宣告をされても、「自己の人生を肯定する」、「死ぬまで自分らしく生きる」、「最後まで好きなことをして逝く」ことだと。
 ○恩師・市川博士の往き方
   もう教える機会もない死の床でも、日常と変わらずボロボロになっている外国の科学書の勉強をされておられた。感謝を告げたくてお見舞いに行ったがついに云えなかった。挨拶して病室を辞す後ろで、「永田くん、有難う」と驚くような大声がした。翌日死去された。

 ○妻・河野裕子の往き方
   平成二十二年闘病の末乳がんで死去六十四才。宮中歌会始選者、毎日新聞選者、家族四人とも歌人。私は妻ながら現代歌人のトップだったと思う。がん告知を受け頃、妻に対して努めて冷静なポーズをとったことは彼女の精神的不安定をもたらした。家族とも嵐の五年間で、時に包丁を研いでいる姿も見た。再発が見つかった際は妻のほうが平静に受け入れていた。
   妻が自分を歌った相聞歌は約五百首、私も五百首あるのが分かった。互いにおもしろい人間だと思っていた。妻はおしゃべりでよく話をした夫婦だった。五七五七七の歌の形式と言葉の力が普通では照れて言えない夫婦間の綾、気持ちを伝え得るのだ。子供よりも学者バカな私を残してゆくことが心配でたまらない風でした。枕元の薬袋やティシュなどに歌が書き散らしてあり、最後には家族で口述筆記をした。死ぬまで歌を作るのが真の歌人だと思う。講演の後半はご夫婦の短歌やエッセーを読みあげられ、時に涙ぐまれて退場されました。私もひからびた俳句よりも相聞の句を創ろうと思います。

 手をのべてあなたとあなたに触れたきに
           息が足りないこの世の息が    河野裕子
 歌は遺り歌に私は泣くだらう
           いつか来る日のいつかを怖る   永田和宏

 いち人(にん)の多き不在か
           俳壇に歌壇に河野裕子しのぶ歌  美智子皇后


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