『元来議会なるものは、言論を戦わし事実と道理の有無を対照し、正邪曲直の区別を明らかにし、もって国家民衆の福利を計るがために開くのである。
しかして投票の結果がいかに多数でも、邪を転じて正となし、曲を変じて直となす事はできない。故に事実と道理の前には、いかなる多数党といえども屈従せざるを得ないのが議会本来の面目であって、議院政治が国家人民の福利を増進する大根本は、実にこの一事にあるのだ。しかるに・・・表決において多数さえ得ていればそれで満足する傾きがある。
すなわち議事堂は名ばかりで実は表決堂である。』
「憲政の神様」と言われた尾崎行雄、咢堂の言葉です。日本の国政は半世紀前から国会審議がいっこうに変わらない体たらくです。議論して「融合させる智慧」が出ないのでしょうか。なんでも多数決で押し切るのなら代議士はロボットでいいのだ。総理大臣と桜を見る会の税金にたかる公私混同は幼稚で情けない。人格、こころざしが問われます。
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