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alternativemedicine

Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

鍼灸最前線:シンガポール

2018-04-27 | world
2017年2月1日シンガポールの新聞『ストレイツ・タイムズ』
「鍼は、4つの公立病院の疼痛外来で提供されている」
Acupuncture offered for pain management at four public hospitals

以下、引用。
「鍼治療は、疼痛の管理に病院患者に提供されている」
Acupuncture treatment is provided to hospital patients mainly as a way to manage pain.

「今日では、4つの公立病院が鍼を提供している。
シンガポール総合病院(SGH)、
シンガポール国立大学病院(NUH)、
タントクセン病院(陳篤生医院:Tan Tock Seng Hospital)、
クー・テクバ病院(邱德拔医院:Khoo Teck Puat Hospital)」
Four public hospitals offer the service today - Singapore General Hospital (SGH), National University Hospital (NUH), Tan Tock Seng Hospital and Khoo Teck Puat Hospital.
以上、引用終わり。

シンガポール総合病院(SGH)』の創業は1821年です。
シンガポール国立大学病院(NUH:新加坡国立大学)』は1905年にイギリスの医学校として創設され、1920年代はラッフルズ・カレッジでした。現在は、世界大学ランキングで東大・京大を抜いてアジア1位となっています。
『タントクセン病院(陳篤生医院:Tan Tock Seng Hospital)』が1844年に創設された病院です。アヘン戦争(1840-1842)の終結2年後に、福建省から移民した陳篤生(タン・トクセン:Tan Tock Seng::陈笃生:Chén Dǔshēng:1798-1850)さんがシンガポールで大富豪になり、1844年に5,000ドルを寄付して、救貧病院として『タントクセン病院』を設立しました。1850年に52歳で陳篤生(タン・トクセン)さんは急死しました。
『クー・テクバ病院』 は、マレーシア生まれのシンガポール人、クー・テクバ(Khoo Teck Puat:邱德拔:qiū débá:1917-2004)さんの名前をつけて2000年代に出来た新しい病院です。マレーシア生まれでマレーシア・シンガポール・オーストラリアの国籍を持ち、マレーシア最大の銀行の創設者にして最大の株主であるクー・テクバさんの人生は調査して興味深かったです。

シンガポールの中医学の医学史を調べると、香港にものすごく似ています・・・。
ヒンドゥー教・仏教のインド文化圏シューリヴィジャヤ王国(Srivijaya:室利仏逝)から
モンゴル帝国・元朝のフビライ=ハンのジャワ侵攻(1293、Mongol invasion of Java)を経て、
ヒンドゥー教・イスラム教のマジャパピト王国(Kerajaan Majapahit)となり、
1511年には「ポルトガル領マラッカ(Portuguese Malacca)」となり、
1641年には「オランダ領マラッカ(Dutch Malacca)」となります。

1819年にイギリス東インド会社のトーマス・ラッフルズ卿(Sir Thomas Stamford Raffles:1781-1826)がイギリス領シンガポールを創ります。
1821年に『シンガポール総合病院(SGH)』の前身の医学校が創設されます。
1840年から1842年にアヘン戦争、1856-1860年にアロー戦争が起こります。それまで清国は鎖国していました。
アヘン戦争後に香港の割譲、上海の開港があり、アロー戦争後の1860年北京条約で「中国人の海外への渡航」が初めて認められました。

1844年に陳篤生(タン・トクセン:Tan Tock Seng::陈笃生:Chén Dǔshēng:1798-1850)さんがシンガポールに移住し、『タントクセン病院(陳篤生医院:Tan Tock Seng Hospital)』を創ります。

1860年にアロー戦争後の北京条約で、「中国人の海外への渡航」が初めて認められました。
1862年には、シンガポールで最古の中国伝統医学クリニックである「同济医院(Thong Chai Medical Institution)」が建てられます。
1879年に広東省の余廣培(Eu Kong Pai)がマレーシアのペナン島に移住し、マレーシア・香港・シンガポールの漢方薬局チェーン「余仁生(Eu Yan Sang:ユー・ヤン・サン)」を創業しています。

1942年には、日本軍がシンガポールを攻撃し、昭和に獲得した南の島という意味で「昭南島」と名づけました。日本は1942-1945年のわずかな期間、シンガポールを統治します。
1945年以降のシンガポールは再び、イギリス植民地となりますが、1959年にイギリス自治領シンガポールとなり、1964年にマレー人と華僑の衝突「シンガポール暴動(1964 race riots in Singapore)」を経て、1965年にマレーシア連邦からシンガポール共和国として独立しました。

1946年に「新加坡中国医学会」が創設されます。1938年に福建省の「廈門市(アモイ市:厦门市)」が日本軍に占領されたとき、福建省で7代を経た中医、吴瑞甫(1872~1952)などがシンガポールに移住しました。
1947年には「シンガポール中医師会(新加坡中医师公会:Singapore Chung Hwa Medical Institution)」を創設します。

1953年に「シンガポール中医師会(新加坡中医师公会)」は、1976年に「シンガポール中医学院」と改称される「中医专门学校」を創りました。

 1997年アメリカNIHが鍼の効果の科学的根拠を認めました。
 1997年7月1日にイギリス領・香港が中国に返還されました。
 1998年に香港浸会大学で正規の中医学教育が始まりました。
 1999年に香港中文大学、2000年に香港大学医学部で中医学教育が始まります。1999年以降、香港は中医を受けいれ、中国で教育を受けた大陸の中医師は試験を受けて合格すれば、香港で鍼灸の臨床ができるようになりました。

 2000年にはシンガポールで、「中医学法2000(Traditional Chinese Medicine Practitioners Act 2000)」が出来て、2001年からは登録すれば中医師が鍼灸臨床をできるようになりました。
シンガポールの中医学校の現状」
松岡 尚則et al.『日本東洋医学雑誌』Vol. 59 (2008) No. 3 P 507-510
 

 2011年には、中国政府とシンガポール政府が共同出資で、シンガポールに中医学を専門とする『福建シンガポール友好総合病院(Fujian-Singapore Friendship Polyclinic )』を設立しました。2012年以降、毎年、3百万シンガポールドルをシンガポール政府は中国伝統医学の研究に費やしています。
 2013年には、シンガポール保健省、国立依存症マネージメント・サービス(NAMS:National Addictions Management Service)に鍼クリニックができました。

 2017年には、シンガポール保健省は、500万シンガポールドルを中国伝統医学の研究助成金として拠出することを決定しました。
 
    シンガポールで中医学鍼灸は発展する可能性があると思いました。

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