1)イクナアトンの一神教(エジプト)

 先に簡単に触れましたが、ギリシアの暗黒時代と同時に起こっていることが、地中海の東側・オリエント地域での「一神教の誕生」です。

 最初の一神教はヘブライ人によるユダヤ教だと思われがちですが、実は初の一神教は前14世紀のエジプトのイクナアトン王の時代にさかのぼります。 エジプトはもともと太陽神ラーを中心とする多神教の世界です。そして王は太陽神ラーの子どもまたは化身と見なされます。そういう意味では、神と人との血がつながっていました。

 そういう多神教の世界のなかでも、神々の間には人気の違いがあって、イクナアトンの宮廷ではアメン神が1番の人気であり、アメン神を祭るアメン神官団は政治的にも強い力をもっていました。 しかしその人気が高まり過ぎるとアメン神を祭るアメン神官団が政治に介入するようになり、ついには王と対立することになります。

 そういう時期、前14世紀にイクナアトン王はアメンホーテプ4世という名前で最初は即位します。 しかし彼は強い力をもつアメン神官団と対立します。 アメンホーテプという意味は「アメン神」に仕える王という意味です。 この名前を嫌って、この若い王はイクナアトンと名前を変えます。

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                アメンホーテプ4世(イクナアトン)

 そしてアメン信仰を禁止するのです。 その代わりに「アトン神」という新しい神を打ち立て、その神だけへの信仰を強要していくことになります。イクナアトンというのはイクナ・アトンであって「アトン神に仕える王」という意味です。 このイクナアトンはアトン神以外の信仰を認めず、他の神々への信仰を禁止しました。 それが一神教のはじまりです。彼はアトン神以外への信仰を否定していったのです。

 ちなみにエジプトのピラミッドは、その時代よりも1000年以上昔のエジプト古王国時代の建造物であって、そこには王の死後の世界が存在していたのですが、イクナアトンはそういった死後の世界を否定していきます。 エジプト人は死後の世界を本気で信じ、生命の再生を願ってさかんにミイラ作りを行っていたのですが、これはミイラという体がないと霊魂だけでは復活できないと信じられていたためです。その背景には、死の世界を支配するオシリス神への信仰がありました。 このイクナアトンはそのオシリス神への信仰も否定していくのです。そのことは死後の生命の否定につながります。 ですからイクナアトンのアトン神は民衆からも不人気で、その後、度重なる外交の失敗や、テーベからアマルナへの急な遷都などによってギクシャクした政治が続きます。そして彼は志半ばで若くして死にます。

 その次の王が彼の弟で黄金のマスクで有名なツタンカアメン王です。 ツタンカアメンは、「ツタンカ・アメン」であって、ここで以前の「アメン神」が復活しています。

 このように、イクナアトンアトン信仰というのは世界史上の突起物にすぎない、一種の瞬間風速だと思われてきたのですが、最近どうも違うんではないか、これはユダヤ教という一神教の成立と関係があるのではないかという考え方が出てきています。


2)ユダヤ教

  a)下層の宗教
 ユダヤ教の成立は前1250年ごろの「出エジプトという事件に始まるといわれます。これはエジプトにいたユダヤ人たちがモーセという指揮者のもと、エジプトから脱出し、目的とするカナンの地、つまり今「イスラエル」のあるパレスチナ地方に侵入していった話です。 その過程でモーセが「十戒」を授かったと伝えられるシナイ山は荒涼たる砂漠地帯です。今そこにはキリスト教の聖エカテリニ修道院が建っています。

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               シナイ山と聖エカテリニ修道院

 そこでモーセは神からの十の戒めである「十戒」を授かったとされています。 その十戒の最初には「オレ以外の神を拝むなと書いてあります。 これが一神教であるユダヤ教の成立なのです。

 エジプト人は一神教を受け入れませんでしたが、ユダヤ人がこれを受け入れたのはなぜなのでしょうか。その違いをマックス・ウェーバーは、「古代ユダヤ教」のなかで「ユダヤ人はパーリヤ民族である」といっています。 パーリア民族というのは賤民と訳されます。ユダヤ人はエジプトから脱出する前は、エジプトの奴隷として暮らしていた人々です。

 ユダヤ人またはヘブライ人は、民族的にはセム族に属し、国を持たず、またどこの国にも所属していない、この地方をさまよっている民族であって、ある時は砂漠の隊商となり、ある時は定住地に侵入する盗賊になる、またある時はエジプトのブドウ園の収穫人として現れたり、またある時はエジプトの傭兵隊となって現れたりしています。

 彼らユダヤ人はエジプトで暮らしていたときに、イクナアトンのアトン信仰、つまり一神教の思想に触れていた、そういう考え方があるのです。 イクナアトンの死後、一神教と多神教との対立が深まり、一神教の信徒は国外に追放された、そしてその一つがモーセの「出エジプト」であったというものです。

 一神教は社会の底辺であえぐ人々に光をもたらすものであって、彼らは現状に対して絶えず不満を抱いているわけですから、その宗教は現状打破を求める宗教に変わっていきます。 こういう考え方を唱えたのは、先ほど「エディプス・コンプレックス」で触れたユダヤ人の精神分析学者フロイトです。それについて書かれた本が最近何冊か出ています。

 そう考えた方が、突然ヤーヴェという神がモーセの前に現れ、「十戒」を授けたとするよりも、うまく説明がつくのです。そうでないと、我々日本人にはモーセの前になぜ突然神が現れ、なぜ十戒を授けなければならないのかがよくわかりません。そしてなぜ「オレ以外の神を拝むな」と命令するのかわかりません。彼らはそれ以前に一神教に触れていた可能性が高いのです。

 旧約聖書では、ヤーヴェはシナイ半島の神ということになっていますが、その信仰の中身は外国の神、つまりエジプトの神であったのです。つまりユダヤ人と血のつながりのない神であって、ユダヤ人の祖先神ではありません。 このような変化は先に見たギリシア・ローマ世界と同様のことが起こっていると言えるのであって、ギリシア・ローマの神々も祖先神ではありません。ギリシア・ローマにも一神教を受け入れる下地があったのです。 このような共通の地盤がやがてユダヤ教がキリスト教に変化すると、宗教的渇望の中にあったローマ人の間に急速に広まり、多くの人々がそれを受け入れていくのです。

 よくユダヤ教は民族宗教で、キリスト教は世界宗教だと言われますが、確かに現象面はそうですが、中身は同じ構造を持っています。それらは民族の祖先神ではありません。 血のつながった神は、その血を共有する民族だけの神になりますが、血のつながらない神は誰でも拝める神様ですので、そういう意味ですべての民族に受け入れやすい世界宗教になりやすいのです。 ユダヤ人と血のつながらない神であれば、ユダヤ人だけを救う民族宗教である必要もないわけです。そこに疑問を抱いたのが、のちのイエス・キリストでした。

 b)戦争神
 「出エジプト」以後、現状に不満を持つユダヤ人のなかにいっそう一神教が入ってきます。 この宗教は強い信念のもと、現状打破を目指し、カナンの地(今のパレスチナ)を手に入れるための戦争の宗教に変化していきます。 社会学者のマックス・ウェーバーはヤーヴェというユダヤ教の神のことを、「戦争神」あるいは「軍神」であると述べています。 戦争神は日本人になじみの少ないものですが、他の地域にも存在し、ギリシアでも戦争神アレスがそうであったということを述べました。

 実は日本にも戦争神はあります。八幡神というのは武門の神様であり、いくさの神様です。八幡宮はその八幡神を祭る神社です。 鎌倉の鶴岡八幡宮は鎌倉将軍家源氏一族の守り神で、源頼朝の崇敬の厚かった神社です。

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                 鎌倉の鶴岡八幡宮

 しかし、この鶴岡八幡宮は多神教の日本の中で、まだ八百万(やおよろず)の神の一つにすぎず、ユダヤ教のような戦争神を唯一の神とする一神教にはなりません。そこが大きく違う点です。

 旧約聖書は読み方によっては戦争の記録とも読めるもので、それは指導者モーセに率いられたイスラエル軍が、ヤーヴェ神の守護のもとにカナン(パレスチナ)の都市を殲滅していく記録だとも言えます。 そして悲しいことに3000年以上たった今も、パレスチナの現状は変わっていません。(これは近代以降のヨーロッパによるユダヤ人政策が原因になっています) このような状況から、旧約聖書の人間観、つまり「人間は罪に落ちた存在であるという人間観も出てきます。

 旧約聖書創世記の冒頭にはアダムとイブの楽園追放の話が出てきますが、これはよく絵画に描かれるテーマであって、マザッチョの描いた「楽園追放」のイブの表情は、この世の悲しみでこれ以上の悲しみの表情はないといわれます。

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                「楽園追放」 マザッチョ 1425年頃

 アダムはこのとき、ヤーヴェからこう言われます。 「あれほど私が食べるなと言っていた、りんごの木の実を、お前の妻が食べたから、おまえのためにこの土地は呪われる」(旧約聖書 創世記) つまりこの2人は神から呪われた人なのです。こういう人を祖先とするのがユダヤ人であることになります。これが旧約聖書の底辺を流れる思想です。

 これは、日本でいえば、日本の国土を作ったイザナギとイザナミの命が呪われた神であるとするのと同じことであり、もしそうであれば我々がそういう神々を今のように親しみを込めて拝めるかどうかは、かなり疑問だと思います。

 このように西洋の強い自己主張の裏には深刻な自己否定感があります。 これが「原罪」の意識です。 ヨーロッパ近代では、この自己否定感の反動としてプロテスタンティズムが生まれ、表面上は強い自己主張の世界に変わりますが、その底流にあるのはこのような自己否定感です。 つまり一神教が生まれる背景には、危機的な戦争、そして抑圧的な奴隷制があり、「危機」と「抑圧」が根底に存在しています。

  c)一神教の成立
 このような一神教がモーセの「十戒」によって、はっきりとした形をとります。 モーセの十戒の最初の第1条には、 「あなたは私の他に何ものをも神としてはならない」、 つまり「オレ以外の神を拝むなと書いてあります。 ここでは従来の神の性質が大きく変わっています。 我々日本人にとって神様は普通、願い事をする神様です。しかし、このユダヤ教の神は逆に「命令する神」に変わっています。 それと同時に人間は「神様にお願いをする存在」から「神への義務を果たすべき存在」に変わっているのです。

 さらにそこに戦争という状況が加わります。 戦争は今も昔も一つのことに人々を団結させる力を持ちます。 その結果は民族の結束が強まり、前1020年ごろにユダヤ人によるヘブライ王国が建国されます。その詳しい史実は旧約聖書には書かれていません。サウルという無名の若者が神から選ばれて初代の王になる話や、羊飼いの少年ダビデが神の加護のもといくさで手柄をたて2代目の王になる話があるだけです。

 ダビデ王の時期はユダヤ人はまだ民族的な結束そして国家的統一を進めていく時期ですが、 その息子で次のソロモン王の時代になると安定と繁栄が訪れ、国内の先住民や外国の諸勢力との共存の道が模索されていきます。 まだこの時期は一神教は十分に強固な一神教に固まっていませんので、多神教との共存が図られていきます。 そうした中でヘブライ王国が前922年に分裂し、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂します。 北のイスラエル王国ではヤーヴェ以外の神(特にバアル神という先住民の神)への崇拝が行われ、他民族との共存が図られていきます。 しかし先に滅んだのはこのイスラエル王国であって、前722年のことです。アッシリアによって滅ぼされました。 イスラエル王国の多神教崇拝に反対していた南のユダ王国はその後も100年以上存続します。

 その100年間の間に生き残ったユダ王国が、同胞のイスラエル王国の滅亡後、それをどう解釈したかといえば、 従来のように「ヤーヴェは自分たちの仲間を救ってくれなかったダメな神だ」とはならずに、 逆に「彼らはヤーヴェ神の掟に背いたから滅んだんだということになってしまうのです。 それは一神教の契約概念の論理構造から導かれる結論です。 ユダ王国では異教との共存が否定され、神々の世界でのシンクレティズム、つまり宗教融合が否定され、一神教の契約の概念がますます強化されていきます。

 このことによってヤーヴェはダメな神だとする事態を回避できます。 これを商売に例えるならば、「買い手が義務として100円を出さないならば、売り手は恩恵としてリンゴを渡さないのは当然だ」という契約論理です。 人間の世界の契約論理が、人間と神の間にも適用されます。日本人のように「苦しいときの神頼み」という存在ではなくなります。神頼みをする以上、義務を果たすことが要求されます。ヨーロッパが厳しい契約社会であるのは、こういう観念が発達するからです。

 その後、前586年にユダ王国も新バビロニアによって滅ぼされ、ユダヤ人がバビロンに強制的に移住させられるという「バビロン捕囚」の時代を迎えます。 そのバビロン捕囚の数十年間にユダヤ人たちの宗教的結束はより強まり、契約のルールもさらに固まっていきます。

 d)契約の発生
 この契約という概念がいかに大事かということは、新約聖書という名前にも表れていて、新約聖書の約は、翻訳の「訳」ではなく契約の「約」です。今でも「新『訳』聖書」とついうっかり間違って書く人がいます。 この契約の概念が固まってくると、さらに神々の変化が現れて、最初、契約が守られることによって動くとされた神ですが、実は我々人間は間違いの多い存在で神との契約を100%守ることはできないのですから、契約を完全に果たさなかった人間に対して、神は「動かなくてよい神」になります。 そしてついには「動かしてはならない神」に変わっていくのです。

 e)動かない神
 それがモーセの「十戒」の第3条です。 「あなたはあなたの神の名をみだりに唱えてはならない」。

 日本人から見るとオレだけを拝めと言ったり、オレの名を唱えるなと言ったり、一体どっちなのか迷ってしまうのですが、 一神教から見れば、神の名を唱えることは「人が神を動かす」ことであって、これはあってはならないことなのです。 これが一神教の側からは、言葉の呪術的価値の否定とか、御利益宗教からの脱却とかいわれるものです。 しかし我々日本人にとっては、神様に願い事をするということは当たり前であって、 通常「神様・仏様・観音様」というふうに複数の神の名を唱えますし、または「アブラカタブラ」「チチンプイプイ」、ハリーポッターの呪文でもいいのですが、そういう言葉を唱えながらいろいろな願い事をするわけです。 「商売繁盛・無病息災・家内安全・合格祈願」、こういう日本では当たり前の願い事がユダヤ教ではすべてダメになるのです。それは「人が神を動かす」ことになるからです。 つまり一神教世界というのは、日本人が行っているほとんどの宗教活動を禁止することになります。 そこには日本人の宗教観と鋭く対立するものがあります。

 一神教では「神は人間によって動かされてはならない」のです。 逆に「人間が神によって動かされなければならない」のです。 人は神のいうことには従わなければ救われないし、逆に言えば、従がってはじめて救われるのです。 いわば神の命令に従わなかった人間は自業自得で神の罰を受けるということです。そう考えていくと、このことは今はやりの自己責任論に似てきます。

 余談ですが、私は、一人前ではない子どもにあまり強くこれをいうと、子どもの心は育たないのではないかと思っています。西洋では子どもの自立尊重が謳われますが、それはこういう契約の概念の強い一神教の信仰から出てくることです。そういう文化的地盤のないところでこれを子どもに押しつけると子どもの心は壊れてしまうのではないかという疑問をもっています。このことが日本人にはよく理解できないから、ヨーロッパ流のさまざまな論理に押し流されてしまうのです。 日本人は自分たちの宗教観をもっと自覚し、それをはっきり説明すべきではないでしょうか。

 日本人の宗教観は、現在でも最も多い檀家数を抱える浄土真宗を例に取ると、悪人でも阿弥陀仏の慈悲によって救われる、という考え方があります。 親鸞の言葉として「歎異抄」に「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(善人だって極楽往生できるのだから、ましていわんや悪人が極楽往生できないわけがない)という言葉があります。これを悪人正機説といいますが、これはヨーロッパ流の契約の観念とは対極にあるものです。なぜなら神との契約を守らない悪人が救われるのなら、神の存在は必要ないからです。 こういう宗教観をもつ日本に、16世紀にキリスト教が入ってきたとき、日本人は日本で布教活動を始めたザビエルに向かって、 「あなたのいうことはわかるが、では洗礼を受けていない我々のご祖先様は地獄に行ったのか」と質問するのです。 ザビエルはこれに困ってしまいます。論理的には地獄に行くしかないのですから。 すると日本人は、 「自分たちのご先祖様を見捨てて自分だけ救われて、それが一体何になるのかと言ったといいます。

 ザビエルはこれを聞いて、本国への手紙に「もう精根尽き果てた」と書いています。 そして、「日本をキリスト教化するためにはよほど優秀な宣教師でないとできない」ということを言っています。 当時の日本人は、キリスト教という一神教が日本の宗教観と鋭く対立することを肌で直感的に理解していたのです。

 このように一神教では慈悲の心を排除していくのですが、日本人から見るとそれではどうも収まらないのです。この事は単に日本人だけでの問題ではなくて、慈悲の心をどうするかという問題は宗教的に非常に重要な問題です。

 同じユダヤ教を母体とするイスラーム教はどうかというと、慈悲の心を尊重しています。 イスラーム教のコーランの冒頭には、「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において」という言葉が必ず書かれてます。 それは章が変わるごとに必ず書かれてある決まり文句です。 つまりイスラーム教では、神は人間の責任を問い過ぎない。神は、かわいそうな人間を救ってやることがあるのです。 しかし神との契約で成り立っているユダヤ教には、このような慈悲の心が入り込む余地がありません。

 f)厳しい弾圧
 こういうユダヤ教の厳しい神の要素を受け継ぐキリスト教は、ローマ社会で勢力を拡大したあと、ついに国教となります。紀元後392年、テオドシウス帝の時です。 国教の立場をえたこの一神教は他の宗教を認めないものになっていきます。そしてそれまでローマ社会の至る所で行われていた異教の信仰が禁止されます。 古代ギリシアの時代から続いていたオリンピックの祭典はこのとき異教の祭典として禁止されますし、それまでエジプトのアレクサンドリアで書かれていた神聖文字であるヒエログリフも異教の文字として禁止されます。 また有名なミロのヴィーナスも異教の女神として打ち捨てられて土に埋もれたまま、1000年以上もの間、眠り続けていくわけです。 このような事態は実は日本では現在起こりつつあることであって、 宮崎駿監督のアニメは「滅びゆく神々の姿」を親しみを込めて描き、それを一貫してテーマにしています。そして多くの人々の共感を呼んだわけです。

 またヨーロッパのアルプスの北でも強引な改宗が行われていて、そこに住むゲルマン人は「粗末に改宗」させられていきます。もし嫌だといえば、血が流れていくような事態になります。 例えば紀元後693年イングランドでは、子どもが生まれると30日以内に洗礼を受けさせることを強制し、そうしなければ全財産を没収するという法令が出されています。

 このような強引な布教活動は異教の世界との対立を生むのであって、ヨーロッパにはキリスト教徒によって辺境に追い詰められた民族がいます。 それがケルト人です。 ケルト人はもともとフランスとドイツの国境ラインに住んでいたのですが、現在ではヨーロッパの辺境に押しやられ、今見られるのはイギリスのウェールズ地方・スコットランド地方・アイルランド地方、それからフランスのブリターニュ地方、こういったヨーロッパの辺境にしか住んでいません。

 映画「ハリーポッター」の人気はそのことと関係しているのであって、「ハリーポッター」はキリスト教を描いた映画かというと全くそうではなく、逆にキリスト教徒によって魔界に落とされた魔法使いたちの世界が舞台なのです。 著者のJ・K・ローリングは、生まれはウェールズ地方、住まいはスコットランドです。そしてそのスコットランドの州都エジンバラで書かれたのがハリーポッターです。この地域はアングロサクソンによって迫害を受けてきた地域で、ケルトの伝統の強い地域です。 こういう地域で書かれたハリーポッターがヨーロッパでも人気を博すことは、ヨーロッパの人々がキリスト教以前の古来の神々対して今も親しみをもっていることを感じます。 そこにはグリム童話以来の、キリスト教以前のヨーロッパの土着文化を大切に維持しようとする伝統があるように思います。 スコットランドはローマ帝国やローマの影響を受けたイングランドに抵抗を続けてきた地域です。 ローマ帝国の国境には、ハドリアヌスの長城と言われるものがありますが、これは大陸から海を隔てて、イングランドとスコットランドの国境近くにあります。

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              ハドリアヌスの長城  イギリス

 スコットランドにはケルト人が住んでいます。つまりこの長城の奥にはケルト人が追いつめられていたのです。


3)キリスト教
 キリスト教がなぜ発生したのでしょうか。一言でいえばユダヤ教のもつ厳しい契約概念や自己責任論に対して、「それではあんまりだ」と思うところから発生したように思えます。

 前60年、パレスチナはローマに征服され、その属州になります。今イスラエルのあるパレスチナ地域はすっぽりとローマ領内に収まります。 そこに反ローマの独立運動が起こるのですが、ユダヤ人イエス(のちのキリスト)はこの潮流の中からユダヤ教への批判者として現れます。

 そして紀元後30年、イエスはユダヤ教徒によって告発され、反ローマ的な言動を行ったという罪でゴルゴダの丘(場所は未特定)で処刑されます。しかし3日後に処刑されたイエスが復活したという信仰が生まれます。 復活したイエスの姿を最初に見たのはマグダラのマリアという女性です。このことはあとで触れます。 イエスの復活という信仰によりイエスの教えは新しい宗教になります。 そしてイエスの教えは救世主(キリスト)の教えとして、貧しい人々に広まっていきます。 この教えを自分流に解釈して広めたのが使徒パウロであって、パウロによればイエスの死は神による「人類の罪のあがない」である、ということになります。


 つまりここでの問題は、イエスは神か、人間かということなのですが、キリスト教はイエスを人間ではなく神とします。神だからこそ全人類の罪を救ってくれたのです。 それまでのユダヤ教の神はヤーヴェという強力な戦争神でした。 ではキリスト教によってヤーヴェは否定されたのかというと、そうではありません。 つまりヤーヴェとイエス・キリスト(救世主)という二つの神が発生し、それを両方とも認めてしまうのです。 このままでは二神教になってしまいそうですが、それをどうにか一神教であるとするために、この二つの神を合体させていく努力がなされます。 それがヤーヴェとイエス・キリストは本来一体であるとする考え方です。さらにものにはついでです。父なる神ヤーヴェと子である神イエス、おまけに聖霊まで加え、三つで一つの神とします。これが三位一体論といわれるものです。 これは日本の神仏習合と似ています。そういう意味で、キリスト教は多神教的要素をもっています。

 三位一体論は、どうかすると神が三つあるという多神教的要素を持つことになります。キリスト教はさらにそれに加え、マリア崇拝というものも発生します。こうなると四神教になります。 ピエタの像を見てもマリアが中心であって、この彫刻がキリスト教カトリックの総本山バチカンにあるということも我々を驚かせます。

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               「ピエタ」 ミケランジェロ 1499年

 ちなみにこの「ピエタ」というイエスを抱くマリアの像は古代エジプトの女神であるイシス女神とその子であるホルスの像の影響を受けていると言われます。先に古代ローマでは様々な東方系のオリエント宗教がさかんに流入しその一つがキリスト教であったことを述べましたが、このイシス崇拝は、当時のローマではキリスト教と肩を並べる外来宗教の双璧でした。 キリスト教はこのような外来宗教の要素も取り入れていくのです。

 

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                ホルスに乳を与えるイシス女神

 さらに先に見た一神教色の強いプロテスタンティズム国家であるアメリカの窓口には、リバティー島に自由の女神が立っています。こうなると五神教になります。 そのほかに聖者崇拝というものもあって、キリスト教にはいろいろな多神教的要素が混じり合っています。

 ところで一頃はやったた映画「ダヴィンチ・コード」は、このようなキリスト教に対する「反」三位一体論の立場だと思います。

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           「最後の晩餐」 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1495年頃

 この絵は「最後の晩餐」ですが、イエスの左隣にいるのは通常はヨハネだといわれますが、実はこの映画によればイエスの左隣の人物は、マグダラのマリアであり、彼女は聖書では卑しい女だとされて、次のようなあらわな姿で描かれたりもしますが、 実はこの女性とイエスとは男女の関係にあり、そして子どもまでなしていた、というのが「ダヴィンチ・コード」のストーリーなのです。

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            「悔悛するマグダラのマリア」 ティツィアーノ 1533年頃

 つまりイエスは男である、つまり人間である、つまり神ではないというのが「ダヴィンチ・コード」の主題になっているのです。 そういう意味ではキリスト教を否定する映画なのですが、それはどうもキリスト教のもつ多神教的要素の否定であって、この映画はより強い一神教への回帰を志向しているように思われます。

 このようにキリスト教は時々一神教への回帰を起こすのであって、歴史的に見れば、16世紀のルターやカルヴァンの宗教改革にそれは典型的に現れています。 特にカルヴァンの予定説などはまさにそれであって、恐ろしいほどの一神教的決定論をとっています。 一つの原理からすべてのものが発生するという発想はこういうところから出てきます。 カルヴァンによれば、すべてのことは太古の昔から神によって決められていて、その決定は人間の力ではどうすることもできない、ことになっています。 これが予定説です。 人が死んだあと天国に行くのか、地獄に堕ちるかは太古の昔からすでに決まっていることなのです。 このような考えが急速にヨーロッパに広がっていきます。

 そしてそのカルヴァン主義が近代資本主義の発展につながったとするのがドイツの社会学者マックス・ウェーバーの説であり、この説は戦後定説化された感があります。 しかしこれには異論もあり、ユダヤ人やユダヤ教に焦点をあて、彼らユダヤ教徒の金融活動が近代資本主義を発生させたとするのが同時代のドイツの社会学者のヴェルナー・ゾンバルトの説です。 いずれにしろカルヴァン主義やユダヤ教という一神教の考え方が、近代資本主義の成立に強い影響を与えたとする点は一致しています。 ゾンバルトは「カルヴァン主義はユダヤ教という強い一神教への先祖帰りだ」といっています。

 残念なのはそのゾンバルトの主著「ユダヤ人と経済生活」が現在絶版になっていることです。 ゾンバルトの本の多くは日本でも出版されていますが、主著であるこの本はユダヤ人について触れているためか、需要が高いにもかかわらず多くの出版社が二の足を踏んでいると思われます。 戦前の日本では、ヴェーバーとゾンバルトは社会学の双璧でした。 私はこの「ユダヤ人と経済生活」というゾンバルトの本は、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と同等かそれ以上に必読の本だと思っています。 現在マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」ばかりが読まれ、ゾンバルトの「ユダヤ人と経済生活」が読まれないのは、資本主義の理解が一方に偏向する恐れがあります。

 2008年のリーマンショックを見ても、その約80年前の世界恐慌を見ても、現在の世界経済の変動は、マックスウェーバーが論じた産業資本によるよりも、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ人を中心とする金融資本によるところが大きいのは事実です。金融資本が資本主義の成立にいかに大きな影響を与えたかを説いたのがゾンバルトです。

 現在世界中を覆いつつある「新自由主義」という経済思想は、自由競争や規制緩和そして自己責任をその思想の中核とするものであり、アメリカシカゴ学派のミルトン・フリードマンというユダヤ人経済学者の思想ですが、そのことと一神教思想は非常に似通ったものがあるように思います。 自由競争の結果が、神の予定調和の世界に至るという発想はカルヴァンの予定説そのものです。 宗教はたんに宗教界だけにとどまるものではありません。我々の日常まで作り変える力をもっています。