ひょうきちの疑問

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新「授業でいえない世界史」 6話の2 古代中国 モンゴル帝国

2019-08-26 08:57:26 | 新世界史2 古代中国

【12世紀のアジア大陸】 ところで、この12世紀をアジア大陸全体で見ると、どういう事が起こってるか。
 宋は軍事は弱いけれども、経済は強い。だからモノを交換したい。
 ではこの時代の西のヨーロッパはどうかというと、これもあとでいいますが、十字軍という遠征軍を東のイスラーム世界に差し向けて戦っている。
 それで人が何万人と移動したついでに、貿易が活発化していく。これで西と東が通じる。

 その取引の中心で、ヨーロッパ人が一番欲しがったものが何か。ヨーロッパは絶体つくれなかったもの、それは「蚕」です。何と読みますか。昔テントウムシと読んだ人がいたことは言いましたね。「カイコ」です。蚕が口から吐いた糸を紡いで生糸になる。この生糸を織ると絹になる。絹は今でも高級繊維です。
 絹の背広とか着ている老紳士をタマに見ますが、やっぱりきれいですね。私は買ったことがないけど、一度は着てみたいです。でもお金がないから絹のパンツぐらいかな。
  絹は英語でシルクといいます。その交易路は。シルクロードですね。こうやってシルクロードが活発化していく。

 そして中国の南宋が潰れると、ユーラシア全体を配下に治めた者がシルクロードの支配者になる。これがモンゴルなんです。チンギス=ハーンです。大世界帝国、面積は過去最大です。
 今でもモンゴル帝国以上に大きい国はない。チンギスハーンのモンゴル帝国が成立していく。



【モンゴル帝国】
 国を作ったのは1206年です。モンゴル帝国という。もともとモンゴル高原の弱小グループだったけれども、偉大なリーダーが出ると急速に戦争に強くなる。リーダー次第です。
 そのリーダーとして選ばれたのがチンギス=ハーン。誤ってジンギスカンとか、焼肉料理の名前になっていたりするけど、もとは人の名前です。

 この騎馬民族はどこか民主的で、リーダーを話し合いで決めるという風習がある。モンゴル語で会議または集会を開く。これをクリルタイといいます。ここで重要事項を決定する。
 今の日本の政治でも国会が一番重要で、まずここで行うことは内閣総理大臣を決めることです。この会議でモンゴル帝国のリーダーにチンギスが選ばれます。
 そしたら周辺の部族をあっという間に統一し、2000キロ先まで行く。大遠征です。

 まず西にいたさっき出てきた西夏、これを1211年に潰す。
 さらに1231年にホラズムを潰す。次々に潰していく。向かうところ敵なし。今度は北に行く。
 宋よりも強かったも1234年に潰していく。金のことを女真族といいますが、要注意はこの女真族が、忘れた頃の400年後、また復活して中国に大帝国つくります。これがです。400年間、鳴りを潜めて生き残っている。
 この清は何かというと、日本が1894年に戦った国です。この戦争を日清戦争という。そのときの清です。これは強い国家です。300年ぐらい中国を支配する。ここではちょい役だった女真族。それがこうしてまたあとで出てきます。400年後に。覚えていてください。
 こういうグループが万里の長城の北にいっぱいいる。

 ここではモンゴルの話、チンギス=ハーンの子孫、バトゥ。彼は西へ西へと行ってヨーロッパまで攻める。ヨーロッパのドイツまでは行かなかったけれど、その直前まで行く。そしてこのあとロシアを支配する。
 世界史というのは、戦争のことを2回言うことがある。勝った国を説明してたあと、別の地域を説明するときに負けた国を説明して、2回同じことを説明する構造がある。地域ごとにやると日清戦争でも、日本のことをやるときに1回出てきて、中国のことをやるときに1回出てきて、同じ日清戦争でも2回説明するということがよく起こる。説明の仕方として。
 ロシア側からはまだ見てないけれども、ロシアが誕生するご先祖の国がある。これをキエフ公国という。キエフは地名です。これがロシアのもとです。
 1240年キエフ公国は滅ぼされる。だからロシア人はこのあと200年間、誰に支配されたか。モンゴル人です。
 今と逆です。モンゴルが強かった。ロシア人はこのことを「タタールのくびき」といって怨んでいます。


Siege Battle | Mongol siege Russian fort


 
 モンゴルはさらにロシアからドイツまで攻めようとして、ドイツの手前のポーランドで戦う。これがワールシュタットの戦い1241年です。この戦いでモンゴルがまた勝利する。しかしモンゴルは勝ったところで引き返す。ここから西には行かなかった。だからドイツは助かった。

 今度は南西地方、今のイスラーム圏、今のイラクあたりです。そこには、これもまだ言ってないけど、イスラム国家でアッバース朝というのがあった。1258年、これにも勝つ。


Fall of Baghdad (Mongol Invasion)



 地理的にはアジア大陸総ナメです。しかしあまり広すぎて、中国本土をボスとして、国が分裂していくんです。ただ親戚づき合いみたいな微妙な繋がりがある分裂の仕方ですけどね。
 中国の本家はという国号に変える。これが日本にも攻めてくる。鎌倉時代に。元寇といって。福岡県の西よりの玄界灘沿いに行くと、このときの防塁の跡、つまり元の大軍を防ぐための石がゴロゴロ残っているところがあります。

▼モンゴル帝国の発展




【フビライ】 この元の初代皇帝がチンギス=ハーン、2代はオゴタイ=ハーン、3代、4代を飛ばして、有名なのは5代フビライ=ハーン。これが元気者で暴れ回る。日本に攻めてきたのはこの5代フビライです。

 広すぎて国が3つに分裂します。
 ロシア地方でキプチャク=ハン国
 西アジア地方ではイル=ハン国
 中央アジアではチャガタイ=ハン国
 もう一つオゴタイ=ハン国というのがあったといわれていましたが、最近これは国ではなかったとされています。
 そのボスにがいる。それらが緩やかな連合をする。

▼モンゴル帝国の系図


 これを人の系図でみると、国が●印です。これは親戚の国なのだという事がわかればいいです。その本家が中国の元です。

 西アジアはイル=ハン国です。中央アジアはチャガタイ=ハン国です。これがぜんぶ連合しているとみれば、これだけ大きな国はここでしか出てこない。いくらロシアが大きいといってもこれにはかなわない。史上最大国家です。
 モンゴル人は気性が荒い。横綱の朝青龍、白鵬を見ていても相撲が荒い。モンゴル人の相撲は「喧嘩させたら強かっただろう」という相撲をとる。朝青龍とか気性が荒くて、そのイメージが重なります。
 でも「それが好きか」と言われると、そうでもないですけど。



【元寇】 中国本土はです。モンゴル高原にカラコルムという都市がある。パオというテントがある首都だった。しかし中国に首都を移した。これを大都という。のちに名前を変えて、これが今の中国の首都北京です。北京はモンゴル人がつくったんです。中国人ではなく、モンゴル人ですよ。

 そして南の南宋も滅ぼす。1276年です。ベトナムも攻める。日本も攻める。これを日本では元寇という。元寇の寇は難しい字ですけど。悪者という意味です。日本人がこう呼んだんです。2回来る。とても勝てない。なのになぜ勝てたか。台風が来たから。2回とも。でも1回目は台風の時期ではないから「違う」とも言われています。日本人はこの台風を神風と呼んだ。「日本は神に守られてる国だ」という神国思想が出てきたりする。これで日本の神様のカブが上がった。
 モンゴルは最初に言ったシルクロードを支配するんです。シルクロードは延々と続きます。山越え、谷越え、砂漠越え、ラクダを使いながら、何年もかかって行く。

※ モンゴルはシルクロードを完全支配し、それがもたらす富を背景に急成長します。(世界史は99%経済でつくられる 宇山卓栄 育鵬社 P93)


▼13世紀の世界



【交鈔】 この元は宋の真似をして紙幣を発行する。この紙幣を宋では交子と呼んだ。元では交鈔(こうしょう)という。
 なぜこれが価値があるのか。これは国の信用なんです。紙幣がここで登場する。国の信用力としては中国が高かったということです。ヨーロッパの中世はまだ混乱しています。中国にはすでに紙がある。これは当たり前ではない。ヨーロッパではないんですよ。印刷技術があるということ。これも当たり前じゃない。ヨーロッパではないんですよ。
 交鈔、これが1万円札のルーツです。もともとお金は、金か、銀か、銅か、そういう貴金属だったけれど、紙幣を発行した。前の宋の時代からです。


※ 元朝の経済政策としていちじるしい特徴をもつのは商業を重視したことです。まず通貨としては紙幣の使用を強制し、民間の金・銀を政府に提出して紙幣と交換するように命じました。・・・・・・モンゴル貴族たちは色目人の援助をえて、入手した金・銀を貿易に投資しました。・・・・・・クビライ一族やモンゴル貴族に資金を出させ、海外貿易にも乗り出しました。その資金を集めるのに、紙幣の強制による金・銀の吸い上げが役立っていると思われるのです。(中国通史 堀敏一 講談社学術文庫 P277)


 ヨーロッパ人がこれを見て、紙切れがなぜ1万円の価値があるのか、非常に不思議がったという記録があります。今ではあたりまえですが、紙幣というのは難しい。お金は、考えるとよく分からない現代のブラックボックスです。


※ 政府に多大の収益をもたらす紙幣の発行は、北宋から南宋、金、そしてモンゴル人が支配する元へと引き継がれました。元になると、一歩進んで金・銀と銅銭の使用が全面的に禁止され、「交鈔」という不換紙幣に一元化されます。・・・・・・征服者のモンゴル人が中国から富を奪取するには、必要に応じて簡単に発行できる紙幣の方が都合がよかったのです。(ユダヤ商人と貨幣・金融の世界史 宮崎正勝 原書房 P75)

※ マルコ・ポーロを驚かせたのは、フビライが発行する紙幣、つまり交鈔だった。イタリア商人のマルコ・ポーロには、紙切れが金、銀と同等に扱われることが信じられなかったのである。(知っておきたいお金の世界史 宮崎正勝 角川ソフィア文庫 P45)


※ 清王朝は紙幣を発行しない。(世界史は99%経済でつくられる 宇山卓栄 育鵬社 P97)



【紅巾の乱】 元は漢民族ではない。漢民族の学問である儒学、これは軽視する。
 お役人を試験する、これを科挙といいますが、これも元の時代には中止される。もうちょっと言うと、中国と北方騎馬民族の境界を分ける万里の長城は、モンゴル自体が北方騎馬民族であって中国に押し寄せて来ているわけですから、いったん破壊される。自分たちを通らせない障害物は破壊します。  
 それをこの次の明王朝が再度構築して、今の大々的な万里の長城を作っていきます。

 1351年になると宗教反乱です。基本は農民反乱と思ってください。それでつぶれる。この反乱は宗教がらみで、白蓮教徒という民間宗教です。階層からいうと農民です。中国は農民によって王朝が滅ぶ国です。

 日本の百姓一揆は逆につぶされますが、私は今でもこういう農民反乱を動かしていくその原動力というか、その組織力というか、それが不思議でならない。こんな力を持つ農民がたびたび歴史に登場するというのは他の国にはないことです。これを紅巾の乱といいます。赤い頭巾をかぶるから、紅巾の乱です。



【イスラーム化】 これによって一気にモンゴル大帝国は瓦解していきます。このモンゴル大帝国の地図を見ると、こんな大きい。そんな国は、あとにも先にもないです。
 西アジアにイル=ハン国があります。ここはイスラーム教国になります。ここにはすでにイスラーム教が広まっています。モンゴル人によって、このイスラーム教がつぶされていったかというと、逆にここに来たモンゴル人たちがイスラーム教に染まっていくんです。自分たちが、征服された側の宗教に馴染んでいきます。イル=ハン国はイスラーム教国になります。今もここがイスラーム圏であることには変わりがありません。
 そうやってイル=ハン国は逆にイスラーム化していく。そしてその東の中央アジアにあったチャガタイ=ハン国もイスラーム化していく。こうやって西に移動したモンゴル人たちはイスラーム教徒になっていくんです。

 彼らがイスラーム教徒になったあとに、チャガタイ=ハン国のあと、彼らの子孫でまた国を建てる人物、ティムールが出てくる。この国をティムール帝国といいます。この国はモンゴル人の国ですけど、すでにイスラーム国家です。




【東西交流】 このユーラシア全体にまたがるモンゴル帝国によって何が盛んになるか。東西交易です。
 ヨーロッパと中国との間にはシルクロードつまり絹の道というのがあって、そこに何千キロにもわたって、ラクダの商隊を組む。リレー式でものを運んで行くんですが、そういう商人たちが交易をして非常に大きな利益を上げていく。そうやって交易が盛んになるということです。
 西の人間が、東の中国の商品を欲しがるんです。絹も中国産ですよ。ヨーロッパに絹があるわけじゃない。ヨーロッパが進んでいるのでもない。中国が進んでいます。ヨーロッパ人がその中国のモノを欲しいんです。

 それで中国にヨーロッパ人が来ます。この代表格がマルコ=ポーロです。ベネチアの商人、イタリア人です。
ベネチアは不思議な都で、海の中に浮かぶ都市です。それで有名です。人工の島が100ぐらいあって、小さな島の中にまたいくつもの小さな島、その島と島とを結ぶ橋が何百とある。そこの商人です。「世界の記述」(東方見聞録)というのをあとで書きます。

 それからムスリムも来ます。ムスリムとはイスラーム教徒のことです。イブン=バトゥータというアラビア人も来ます。中国の元にはそういったイスラーム教徒も来ます。彼はいろんな国を旅して「三大陸周遊記」を書きます。
 一旦13世紀の中国はここまでにします。世界史はあっちに行ったり、こっちにいったりしないと世界史にならないからね。中国は一気に千年以上行きました。
これで終わります。ではまた。


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