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新「授業でいえない世界史」 3話の1 古代中国 春秋戦国時代

2019-08-26 09:03:44 | 新世界史2 古代中国

【春秋時代】
 そのあとの約300年間を春秋時代といいます。東周が成立した紀元前770年から紀元前403年までです。この時代は周王は滅びはしませんが、王の家来たちがだんだん強くなってくる時代です。最終的に五人が強くなるから春秋の五覇といいます。全国制覇の「覇」です。
 春秋の五覇という5つの国、5つの家来たちの国が強くなった。5つの国というのは、斉・秦・楚・呉・越という国です。それでも周の王室の家来という考えは維持されていた。

 この時代に鉄製農具が使われ出し、農地の深耕が可能になります。それによって農業生産力が高まります。それを支えるのが村々の小農です。小農というのは小規模な自作農のことです。「なんだ小農か」ではなくて、自立できる農民が生まれたことが大事なのです。しっかりした家族制度ができて、しっかりした農業ができるようになります。農業は技術です。そういう技術を持った家族というのは、家族のレベルの高さを示します。

 決して大土地所有制度が中国の農業生産力の向上を生んだのではありません。各地で自立した小農たちが中国の農業生産の室の高さを生んだのです。中国の家族制度の裏には強い父系血縁で結びついた宗族があります。ここで中国はそのような血縁組織を背景に、小農を基礎とする社会が成立したのです。
 だから彼らを怒らせると国が潰れます。中国で国が潰れるとき何が起こるか。決まって農民反乱が起こります。本当にこれが何回も起こります。


※ 小農民が多いことは、古代から中国史を通ずる特性です。古代の自作小農民は村落内の共同体規制を受けながら生活していました。はじめその共同体規制は豪族によって左右された場合が多かったようですが、北朝・隋唐では均田制が施行され、共同体の機能が国家の手にわたり、小農民は国家の保護をうけるようになりました。(中国通史 堀敏一 講談社学術文庫 P230)



【戦国時代】
 次は戦国時代です。名前からして物々しい。この時代になると、「王なんか知ったことか」という感じです。力で争う時代になる。彼らを戦国の七雄という。紀元前403年から200年ぐらい続きます。紀元前221年までです。
 中国には国の名前は1文字で書く慣例があります。そのなかではじめて中国を統一していくのは、一番西のはずれにあったです。一番弱小だったんですけどね。





【天命】 秦に行く前に戦国時代のことを見ていきます。戦国時代にはどういった王権の考え方があったか。
 王となるには「天が認めた」という形を取ります。「なんだあいつ、ヤクザみたいだ」、そんな人は王にはなれない。人間的に立派でないと天は認めない。武力だけではダメなんです。日本にもこの考え方があって、お天道様というのはこの天命に近い。「お天道様が見てるぞ」とか言うでしょう。
 その天命を受けたものが天子です。武力にまかせて、または金の力だけで成り上がりであっても王ではない。それは「単なる成り上がりだ」という考え方です。

※ 戦国時代には、伝統的血統をほこった一族にかわって、成り上がり者が台頭し、王を称するにいたった。王は、従来血統をほこる頂点であった。ところが、彼ら成り上がり者は血統をほこることができない。このいかんともしがたい弱みを抱えつつ、当時の政権を支える世論を納得させるには、「正統とはなにか」について、新たな理論を用意する必要に迫られたのであった。
 彼らは、みずからに王たるの徳が備わっている、ということを示すことで、王としての正統化をはたそうとした。 (世界の歴史2 中華文明の誕生 尾形勇・平勢隆郎 中央公論社 P28)



 王になるためには、権力プラスが必要です。「徳」という考えかたが出てきます。「人徳がある」とか聞いたことないですか。「徳のある人だ」とか、「あの人は人徳がある」とか言われるのはものすごい褒め言葉です。
 それが備わって初めて天命を受けたということが認められていく社会です。日本もその影響を受けています。


※ 郊祀宗廟。この二つは後漢以後の歴代王朝でも王権を支える二つの儀礼として特別に重んじられることになる。(世界史リブレット68 東アジアの儒教と礼 小島毅 山川出版社 P21)

※ 新しく皇帝が即位すると、郊祀宗廟で自ら天帝祖先との双方に、挨拶の祭祀を執りおこなう。この二つは質的に異なるもので、皇帝権威の二重性を示していた。すなわち、天帝は彼に天子として地上統治の正当性を賦与する存在であり、祖先は家産的に君子としての地位を彼に嗣がせた存在であった。(世界史リブレット68 東アジアの儒教と礼 小島毅 山川出版社 P29)
(●筆者注) 宗廟が先にあった。新の王莽のときに郊祀が加わる。




【貨幣】 中国では、すでにこの時代お金なるものが出てきます。それまで各地方がバラバラに発行していたものを最初に統一しようとした国が、戦国の七雄の中では一番西のはずれにあった田舎の国、です。これが最初の統一国家をつくっていきます。
 お金を統一しようとして、秦が決めたお金を半両銭という。ここからお金の統一事業がまず始まっていく。その結果、その国の国家の統一事業に成功していきます。ただこのあたりの因果関係はまだよく分かっていなません。ただお金は要注意です。

 コインは、小アジアで生み出された「刻印貨幣」と、中国で生み出された「鋳造貨幣」の二つのグループに大別される。前者は金または銀という貴金属の価値を保証する刻印を支配者が刻んだお金であり、多くの文明がそうした立場に立つ。後者は青銅、銅などを地金とし、さほど価値を持たない素材を、神の代理人とされる皇帝の権威によって価値づけたお金であり、抽象度が高い。前者は交易の中で作られたお金、後者は政治的に作られたお金とみなされる。中国のお金は、統治者の信用に依存する。(知っておきたいお金の世界史 宮崎正勝 角川ソフィア文庫 P26)


 この時代の中国を支配したのが戦国の七雄です。斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙の七雄です。七雄の一番西のはずれ、これがです。一番はずれの一番勝ちそうにない国が勝っていく。その秦がいち早くやっていたのが通貨の統一です。
 中国は西に行くほど雨が降らずに乾いていきます。農耕には適さないのです。ということは牧畜の要素が強くなります。この秦もそういう国だったと考えられます。

※ 春秋戦国時代に都市が成長して商業が盛んになると、各都市の商人が取引を円滑にするために地方ごとに刀、クワなどの形の異なる青銅製のお金を発行し、秦の統一とともに皇帝の権威・権力とお金が結びつけられた。中国ではお金の価値については政府が責任を持ったが、実際にコインを鋳造したのは地方であり、時代によっては有力な私人だった。そのために偽造されたお金が多く出回ることになった。(知っておきたいお金の世界史 宮崎正勝 角川ソフィア文庫 P28)


▼戦国時代の中国

 


【万里の長城】 中国は農耕民ですけれど、その北方には遊牧民がいます。この時代は匈奴ですけど、これが名前をコロコロ変えていきます。遊牧民という実体は変わらないけど、時代によって部族の名前がコロコロ変わっていきます。

 中国史は、実はこの遊牧民と農耕民の争いなんです。それでグジャグジャになっていく。彼らの侵入をどうにか防ごうとした痕跡が、人工衛星から唯一肉眼で見える建造物です。これが万里の長城です。この時代にはまだ各地の国ごとにつくっています。今の万里の長城のルーツはこの時代にあります。目的は一貫している。匈奴対策つまり遊牧民対策です。
 そういう中国で戦国時代から現れてくるのが、国家を統一するためには同じ考えで国を統一するという作業です。



【諸子百家】 思想なんて役に立たないではない。ある考え方をみんな共有できた時に国が固まっていく。この時代にはいろんな考え方が出てくる。その中でナンバーワン思想になっていくのが儒教です。仏教ではありません。
 勘違いの1点目、「日本の仏教は日本思想である」、これは基本的な間違いです。
 次の勘違い。「仏教は中国思想だ」、これも間違いです。仏教はインド思想です。儒教と仏教は中国では対立する思想です。



【儒教】 中国思想は儒教です。国語の漢文で扱う「論語」は孔子という人の教えです。ここに国の統一につながる考え方が現れます。
 1番わかりやすいのが、天下を平和にするためには、まず「修身」です。これは各人が努力して身を修め、一人前になるということです。
 次は「家」です。「身を修め、家をととのえ、国を治めれば、おのずから、天下は平らになる」。「修身、斉家、治国、平天下」という考え方です。ポイントは家です。

 儒教の核には「」があります。親孝行の「孝」です。これは日本にも定着しています。「親を敬う。生きている親だけではなく、死んだ親まで敬う」。そうすると何になるか。これが祖先崇拝です。
 この考え方は日本人にも非常に近い。一回忌、三回忌、7回忌、13回忌、25回忌、33回忌、50回忌で「弔い上げ」とか日本人は祖先の供養をします。50回忌まで行うのは、すでに孫の代です。私も何度か親戚の法事の50回忌に出席したことがあるけど、少なくとも50歳以上でないと故人のことは知らないんです。40代ではまだ生まれてないから。
 親を大切にして「生きている親だけではなく、親が死んでもその親を敬う」。それが「孝」です。これが家族道徳の基本になる。「家族がしっかりしていれば、国がしっかりし、天下は平和になる」という考え方です。ここでは社会の核は家です。

※ 孔子は、親に対する「孝」といったもっとも身近な家族道徳を社会秩序の基本においた。(高校教科書 詳説世界史B 木村靖二他 山川出版社 P70)


 ヨーロッパではちょっと違う。中国に比べればヨーロッパの家族関係は希薄です。逆に個人重視です。
 中国では「家族」が「国」までつながっていく、という考え方があります。
 儒教の底には、「親が死んだ後まで敬う」という宗教観があります。だから祖先崇拝が強いのです。それがさっき言った、家族意識、血縁意識、一族意識を生んでいきます。

 祖先崇拝は日本人にもわかりやすい。簡単にいうと墓参りですよ。これをもっと大々的に行うのです。父方の一族で構成される「宗族」というのがあって、50~60人、場合によっては100人超えて盛大に祖先の法事を行う。
 ただこの祖先崇拝をするときの条件は、赤の他人がやってはダメなんです。これは血を受け継いだ直系の子孫の仕事なんです。それも男の子孫でなければならない。娘はダメです。男の仕事です。そうでないと祖先の御霊は喜ばない。祖先の霊を呼び戻すことができない。
 「ホントですか」と聞かないでください。「ホントかどうか」という話をしていません。「中国人はそう信じてきた。そしてこれが社会を動かすエネルギーにまで高まってきた」ということを言っています。

※ 祖先の魂を呼び戻す行為の主催者は子孫 中国人は、生きて在る親に対してだけではなくて、死せる親に対してつくすことをも孝としたのである。すなわち具体的には、親の命日に、親の魂を霊界から呼び戻す行為を行う。いわゆる招魂儀礼である。これを職業的に行っていたのが、原儒というシャーマン集団であり、孔子の母は、この集団の出身であると考えられる。そうなると、このように祖先の魂を呼び戻す行為の主催者が必要となる。誰がそれを担当するのかといえば、子孫以外にしてくれる者はいない。(「論語」を読む 加地伸行 講談社現代新書 p77)


 「このことを守っていれば、自分もいずれは死んでご先祖様になっても、ちゃんと祀ってもらえる」という安心感になる。これが「死に対する不安」を解消してくれる。「ちゃんと祀ってもらえる」という安心感につながります。「祀られない魂は成仏できない。祀られて初めて、あの世へ行ける」という信仰です。
 現代人はそうは思わないかも知れないけれど、昔はそうではない。そのことを軽く見ると歴史は分かりません。歴史は小説と同じです。登場人物の気持ちにならないと面白くない。



【霊魂】 エジプトの古代人を見ても、死んだあとの世界のためにどれだけのエネルギーを費やしたか。そのことを示すのがピラミッドです。
 今のブルドーザーやトラックを持ってきても、あれだけのものはつくれない。日本の大手の建設会社でも、「あんなものをどうやって作ったのかわからない」とサジを投げる。そんなものを何千年も前に作っている。あれは死後の世界とつながっています。そのことが分からないと、なぜ古代人がこれほどのエネルギーを注ぎ込んだのか分かりません。

 死後の世界のためにエネルギーを費やすのは、古代人にとっては何の不思議もないことです。考え方としては、生きているのは一瞬だけで、死んだ後こそあの世で永遠に生きるわけです。
 我々は「死ねば終わりで、あとどうなってかまわない」と思うかも知れませんが、彼らはそうは考えない。というよりも、何万年もの間、人間はそうは思ってこなかったのです。人生のメインは生きたあとの後生です。そうでないとピラミッドを作った発想は理解できない。
 だから、中国ではその祖先崇拝の儀式を行うための神主・・・・・・これをシャーマンといって霊を呼ぶ人です・・・・・・そういう技術を持った人たちの力を借りながら祖先の霊を呼びます。
 宗教も一つの技術です。そういう技術を持った人の存在が、もともと儒教の核にあります。

※ 招魂再生の儀礼ーーこれは古今東西にある、ごく平均的な死生観である。まず霊の存在を認め、その霊を招き呼んで、現世に再生させる。そうした仕事をする宗教者がいわゆるシャマンである。儒とはもともとこうしたシャマンであった。(儒教とは何か 加地伸行 中公新書 P18)

※ 招魂再生というシャマニズムは中国においてはもちろんのこと、朝鮮半島にも日本列島にも広く存在していた。だいたいシャマニズムということば自身が、ツングース族(シベリア東部や中国東北部に住む民族、たとえば満州族)の宗教者を表わすサマン(シャマン)から来たことばであることは周知のことである。・・・・・・シャマニズムの大半は、単にシャマニズムのレベルにとどまった、あるいはとどまっているのに対して、儒教は後に天才孔子の手を経て家族道徳につながり、さらに中国に皇帝制が確立した前漢王朝時代に政治理論を作るまでに大成して、以後、内部発展を続けながら、中国を支える大文化として存続した。このように、シャマニズムを基礎にして歴史を動かす大理論体系を作ったのは、世界においておそらく儒教だけであろう。(沈黙の宗教ーー儒教 加地伸行 ちくまライブラリー  P44)

※ 儒家の学者は、王の権力は、すなわち上帝から与えられたものと考えた。(早わかり東洋史 宮崎正勝 日本実業出版社 P27)

※ 招魂を行うためには、二つの条件が必要である。まず第一は、死者の招魂儀礼を行おうとする遺族、子孫が存在する必要がある。第二には、その魂降ろしをする主祭者(シャーマン)が必要である。・・・・そしてこの招魂儀礼をきちんと行うことを、(中国人は)孝の中に含めたのである。父母亡き後も、祭祀する事を賢明に行うことは、実は自分の死後の霊魂に対するあり方のモデルなのである。自分が死せる父母を祭祀して亡き父母がこのなつかしい現世に再び帰ってくることができるようにそのように、自分の死後、子孫が自分に対して招魂してくれれば、再び自分もこのなつかしい現世に帰ってくることができることを期待するのである。 父母の招魂も、あるいはその鎮魂も、ともに実は、自分の死にたいする恐怖や不安を解消する方法なのである。 (「論語」を読む 加地伸行 講談社現代新書 P116)

※ 「夷狄(いてき)」のなかには、中国文明に部分的ないしは全面的に同化されたり、文化的に中国文明に統合されてしまった民族もすくなくない。ひとつだけ、楚の場合を例にあげよう。この国はすでに前1100年頃確立されていた。周の文化を同化した楚はモンゴル起源であり、その宗教はシャーマニズムとエクスタシーの技法を特徴としていた。漢のもとでの中国の統一は、その文化を破壊することになったが、中国全土にその宗教的信仰と宗教的実践とを浸透させることになった(世界宗教史3 ミルチア・エリアーデ ちくま学芸文庫 P26)

※(●筆者注) 農耕民の信仰が女性的な大地への信仰であるのに対して、シャーマニズム男性的な天への信仰である。それは農耕以前の狩猟社会にも見られるものである。シャーマニズムには狩猟社会から遊牧社会へと続く男性的な信仰の系譜が見られる。中国の歴史において、祖先崇拝南方的・農耕的・女性的な文化だとすれば、シャーマニズム北方的・遊牧的・男性的な文化である。このあとも、南方の農耕民と北方の遊牧民との接触と融合は、中国の歴史を貫く大きな柱となる。



【法家】 その孔子の教えを請いに弟子たちが集まって来ます。この弟子が大きく二つに分かれます。一人は孟子。彼は「人間は善だ」という。  
 徳という考え方があります。徳そのものが何なのか、これは説明しにくいですが、人徳という言葉があります。人柄がみたいなものです。
 「人間が善だとすれば、人間は修行を積んで努力をすれば、天から与えられた徳を持つことができる。人格を高めることができるんだ」、そういう発想です。こう考えた人が孟子です。

 しかしもう一つの考え方があって、それが人間はもともと悪だという考え方です。これは荀子という人です。「人間は悪だ。ほっておけば悪いことをする。だから礼儀作法を教えないと、とんでもないやつになる」、そういう考えです。
 この二つのうち、中国に根付くのは人間は善だという性善説です。これは徳を大事にし、徳治主義の考え方を生みます。

 しかし、中国初の統一国家である秦は、逆に「人間は悪だ」という性悪説を採用します。「人間は悪だから、厳しく礼を教えなければならない」と。
 これが発展して、秦では法家というのが力をもちます。決まりをつくって、それを守らせる。礼は自発的なものですが、これが発展していくと、こうしなければならないという決まりになる。それを国が制定する。それに違反したら厳しく処罰をする。
 これを大成した人物が、秦の家来であった商鞅という人、それともう1人は韓非という人です。
 国を治めるには、礼から発展した礼儀作法をしっかり教えて、その決まりつまり法をきちんと理解させて、それにしたがって人を動かすことだ。この考えを、中国初の統一国家の秦が採用する。
 このように中国という国は性悪説で完成しますが、庶民が求めるロマンは性善説です。その食い違いがずっと残ります。



【易姓革命】 この法家思想の一方で「人は善だ」とする性善説はどう考えたか。
 「人間は徳がないといけない。徳は努力して得ることができる。皇帝であればなおさらだ。徳のない人間が皇帝になっても国が治まるわけがない。そんな人間つまり徳のない人間は絶対に王になるべきではないんだ」と考えた。
 もっと言うと「そんな人間が王になったら潰していい。殺していい。国を潰していい」と考えた。

 これが中国の革命思想です。易姓革命(えきせいかくめい)と言います。「姓が易(かわ)って、天命が革(あらた)まる」という考え方です。
 だから革命が起こります。こうやって中国は、このあと何度も王朝が崩壊しては、そのあと新しい王朝が出現します。


※ (封建制度は)春秋戦国時代の主従関係が、主人の恩恵と臣下の奉仕という相互的な関係にあり、いわゆる専制君主制の絶対的な君主権に到達していなかったことをしめしています。・・・・・・儒家は君主が仁義や徳をもつことによって、臣下や人民の支持をえることが重要だということを説いたのですが、そうでなければ革命が起こるとまで言ったのは孟子です。・・・・・・たとい専制君主といえども、その対極に臣下と人民がいて、その支持をえる必要があることは変わらないのです。(中国通史 堀敏一 講談社学術文庫 P82)


 だから王朝がいくつも分立して中国がバラバラになっていきます。しかし中国がすごいのは長い動乱のあとには、必ず国が統一されるということです。
 このことはヨーロッパとは対照的です。ヨーロッパはローマ帝国の崩壊のあと、それに変わる帝国は登場しません。今に至るまでそうです。逆に今でも小さく分裂していく傾向が見られます。

 今のドイツを中心とするヨーロッパ連合(EU)は、この動きに歯止めをかけて、再度ヨーロッパを統一しようという試みかも知れません。この試みが成功するかどうかは未知数です。今も揺れています。ドイツに対するアメリカの動きも不透明です。そんな中でイギリスはEUから離脱しようとしています。

 日本は儒教によってこの易姓革命の考えを知っていましたが、それを受け入れませんでした。それと違って、独自に万世一系の天皇によって国を維持するという方法を選びます。万世一系の天皇と易姓革命は両立しません。
 よく武家政権である鎌倉幕府樹立によって天皇は滅んだと思っている人がいますが、そんなことはありません。天皇家はその間もずっと続いています。天皇家は世界最長の王権です。
続く。


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