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「室戸へ」 お遍路記 15日目 津照寺(25番) 金剛頂寺(26番)

2020-09-30 01:00:00 | お遍路記 「室戸へ」
【15日目】 晴れ
 【札所】津照寺(しんしょうじ)(25番) 金剛頂寺(26番)
 【地域】室戸市(室戸岬町 → 室津) → 行当岬
 【宿】 室戸岬最御崎寺へんろセンター → 金剛頂寺宿坊


 5時前に起きました。足のマメは痛いですが、室戸岬まで来たという安堵感があります。
 6時半から朝食をとりました。ジャンヌたちはいませんでした。

 今日は25番の津照寺を打って、26番の金剛頂寺まで行き、そこの宿坊に泊まります。金剛頂寺の岬の不動岩にも、ちょっと遠回りですけれども行きたいと思います。

 午前7時35分、朝、玄関前でタバコを吸っていると、昨日お風呂で会った75歳の八王子から来られた男性が、宿坊前の駐車場に停めてあった車のリフトバックを開けられるところが見えたのですが、バン型の車の後方には奥さんと2人で車で遍路をされているその道具がいっぱい積まれていました。かなり車遍路に手慣れた方のようで、ワゴン車の屋根には、上に荷物を載せるような荷台も取り付けてありました。

 8時ちょっと前に宿坊をチェックアウトしようとしたところ、カウンターの女性が自転車で遍路をしている若い男性を見送られていました。話を聞くと、その男性は自転車で1日120キロを行っているようです。約10日で四国一周の自転車遍路をする予定のようです。若い20代の男性で、多分大学生ではないかと思います。若い人たちは自転車での遍路も多いです。歩いている途中で何人かの自転車のお遍路さんを見かけました。自転車だと荷物も多く積めるので野宿されているのか、宿でいっしょになることはありません。自転車だと坂道はきついでしょう。それに昔ながらの山中の遍路道も無理です。でも10日で八十八ヵ所巡りができるのは魅力的です。かなりハードな日程でしょうけど、若い人には向いているのかも知れません。
 そのカウンターの女性は70歳近くで、私が玄関前の喫煙所で出発前のタバコを吸っていると、タバコのことに話が及んで、「1日に1箱というのは今めったにいませんよ、今せいぜい10本くらいですよ」と言われたので「病気をしたらやめます」と言うと、「それでは遅いですよ」と言われました。「自分の父も病気をしても酒を飲み続けて、それで死んでいいと言いながら、本当に亡くなった」という話をされました。「そんな気分ですね、私も」と言いました。
 おばさんは、「還暦をむかえ60代になると死ぬまでにどうしようかと考えますね。体が動かなくなってから100歳までも生きたくはないし、体が動くうちにと思っても仕事はなくなるし、どうやって仕事をしようか、生きていこうかと考えますね」と言われました。そういうまったく宿泊客と従業員らしくない話をしながら宿坊を後にしました。


●写真 8時15分 最御崎寺から下る道




●写真 8時19分 最御崎寺から下る道



●写真 8時25分 最御崎寺から下る道



●写真 8時29分 最御崎寺から下る道



●写真 8時32分 最御崎寺から下る道



 この町並みを奥に進んでいきます。国道を行くか、海側の歩道を行くか、町中の旧道を行くか、その時の気分で歩こうと思います。


●写真 8時38分 最御崎寺から下ってきた道を見上げる



●写真 8時41分 最御崎寺から下ってきた道を見上げる

見上げるとけっこう高い山でした。


●写真 8時38分 防波堤の歩道

向こうの岬の先端に目指す金剛頂寺があります。



●写真 8時58分 防波堤歩道の外側の海岸

海の様子が昨日までと違います。急に穏やかになったようです。


●写真 9時12分 室戸岬の漁港



●写真 9時13分 室戸岬の漁港

漁港の様子も穏やかです。


●写真 9時17分 室戸岬小学校



●写真 9時18分 室戸岬町の遍路道



●写真 9時25分 室戸岬の漁港



●写真 9時27分 室戸岬の漁港



●写真 9時32分 室戸岬町の診療所

医療体制の確保も、なかなか難しいようです。



●写真 9時33分 赤いだるまのポスト

赤いダルマのポストがまだ残っています。


●写真 9時46分 廃校になった中学校



 廃校が目立ちます。室戸岬の手前でも2校見かけました。人口減少は着々と地方で進んでいます。私の住む地域でも小学生の数はめっきり少なくなりました。多いときから見ると3分の1以下です。平成の30年間は地方が寂れた30年間でした。空き家も目立つようになりました。

 午前10時、天気は晴れ、快晴です。先ほど室戸岬町の街道を歩いていると、後ろから自転車に乗ったご婦人が「こんにちは」と、わざわざこちらを振り向いて声をかけてくれました。50メーター先の床屋さんに入られましたので、床屋の奥さんかと思います。日傘帽をかぶられていたので農家の奥さんかなと思っていたら、床屋さんの奥さんのようでした。その20mぐらい先で、70歳ぐらいの男性がまた「こんにちわ」と声をかけてくれました。
 民宿徳増のおばあさんが、昔のお遍路さんは門付けして歩いていた、と言わました。そう言えば私が子供の頃には自分が住んでいる地域にも、そういう方が門付けしに来られて、私のお袋が米一皿を前袋に入れていました。宿のおばあさんとそういう話をしたのを思い出します。
 それに比べれば四国の人々のお遍路さんを見る目はやさしい。お遍路を見る目がなぜこんなにやさしいのか。
 漂白に暮らすお遍路は、地域に住む人々にとっては、ちょっとありがた迷惑なところがあって微妙に敬遠されがちなものですが、この室戸岬町の人々にはお遍路を敬遠するところがなく、親しみをこめて挨拶をしてもらえます。
 この地域では24番の最御崎寺は「東寺」、26番の金剛頂寺は「西寺」と、セットで呼ばれているようです。地域の人々から別名で呼ばれるということは、この二つの札所がそれだけ地域に溶け込んでいるということでしょう。信仰心が根づいているようです。


●写真 10時19分 津照寺前の漁港



 11時頃に24番の津照寺を打ちました。


●写真 10時23分 津照寺の参道

正面奥、階段を登った高台にあります。


●写真 10時25分 津照寺の入り口



●写真 10時30分 津照寺の本堂



 12時ちょうどです。24番の津照寺の裏手の漁港の近くにある漁業協同組合の裏の日陰で休息しました。そこで昼食、そして靴を脱いでマッサージをしました。足のマメの具合がよくありません。右足の小指の先と、右足の親指の付け根にマメができています。押すとかなり痛みます。なぜ右足に負担がかかっているのかが分かりません。


●写真 10時56分 津照寺前の漁港



●写真 11時9分 津照寺前の漁港



●写真 11時44分 津照寺前の漁協の横で休憩



●写真 11時55分 とんびが舞う

休憩中、鳶が空を舞いました。


●写真 12時2分 津照寺横の漁港の作業

漁港では魚の水揚げが行われていました。


 休息中、和歌山県から来たという白衣を着た老夫婦に「歩いて回られてますか」と声をかけられました。ご夫婦は「和歌山県から初めて来て車で回っている」ということでした。

 休憩しながら、足のマメの具合も良くないので今日は早く宿に着こうと思いました。たぶん金剛頂寺の宿坊は、早く着けば中に入れてくれると思いますので、今日は不動岩を見ずに、明日見るということにして、12時過ぎに25番の金剛頂寺に向かいました。2時間ぐらいで着くと思います。


●写真 12時9分 津照寺を過ぎた街並



●写真 12時10分 津照寺過ぎの街並みで自撮り



●写真 12時30分 金剛頂寺の標示



●写真 12時38分 神社の鳥居



●写真 12時45分 小さな駄店



●写真 12時47分 金剛頂寺の標示

右に折れていくことが多いようですが、私は直進し行当岬に向かいます。


●写真 12時47分 金剛頂寺の岬の山



 右に折れて金剛頂寺へ直接向かう予定でしたが、不思議なことに歩き始めると足のマメはさほど気にならなくなって歩けるものです。「このぶんだと大丈夫かな」、そう思って当初の予定どおり遠回りをして行当岬の不動岩に向かいました。マメの傷みを別にすれば、この岬は歩いていて気持ちよかったです。でもここは弘法大師、空海の時代には道もなく歩きにくい所だったと思います。行当岬の「行当」は「行道」が訛ったもので、行道とは歩いて修行をすることのようです。その道が海岸沿いの「辺路」なのです。その字が変わっての「遍路」なのです。空海は、今日出発した最御崎寺と今向かっている金剛頂寺を何回も往復しながら修行をしたのでしょう。毎日往復していたとも言われています。


●写真 12時52分 行当岬へ向かう



●写真 13時4分 行当岬の海岸

対岸の先端が室戸岬。そこから歩いてきました。


 1時半ごろ、不動岩のお堂に着きました。


●写真 13時19分 不動岩の岩場へ



●写真 13時19分 不動岩の海岸



●写真 13時22分 不動岩の海岸



●写真 13時24分 不動岩の本堂が見えた



●写真 13時26分 不動岩の本堂



 そこで私が案内板を見ていると、そこにお坊さんらしき人が車を降りてきて、この不動岩について、「ここは空海の修行の場だったんですよ。岩を登ると奥に畳2畳ほどの修行した洞窟がありますから、見てこられたらいいですよ」と教えてもらいました。もしかしたら金剛頂寺の住職さんかなと思いましたが、よく分かりません。そこに登ってみました。

 その洞窟でお経を唱え、お堂に戻ってみると、近隣の人らしい人2人が来ていて、座りながらテーブルを囲んで話をしていました。どうもこの不動岩の再建計画のことを話し合っているようですが、よく分かりませんでした。


●写真 13時29分 岩陰の祠



●写真 13時31分 畳二畳の洞窟



●写真 13時31分 洞窟の内部




●写真 13時32分 洞窟の遠景



●写真 13時34分 不動岩からの海の眺め



 岸壁の途中に空海が修行した岩というのがあって、そこにやっと人が座れるぐらいの突き出た岩があって、そんな信じられないようなところにじっと座って修行したらしいです。足を滑らせれば間違いなく海に落ちます。命は助かるのだろうかと、疲れてぼんやりとした頭で考えました。しっかり見たはずなのに、なぜかそのイメージがぼんやりとしか浮かびません。岩の下は海だったような気がしますが、もし岩であれば助かりません。やはり「吹けば飛ぶような将棋のコマ」の気持ちでないとできません。「人の命は泰山より重く、鴻毛より軽し」というのは当たっていると思いました。しかし私は高い所から下を見ると、目がクラクラします。美を感じるよりも、その手前のところで、たじろいでしまいました。


●写真 13時42分 道路側から見た不動岩

不動岩は立派なお堂でした。ここはこれから向かう金剛頂寺が管理しているお堂です。


●写真 13時44分 金剛頂寺への登り口

まん中から左上に登る小さな坂道がそれ。こんな所から登ります。


 それから横の国道55号線をまたいでその脇の遍路道に入り、金剛頂寺の山を登り始めました。20分ほど汗だくになって遍路道の坂道を登りやっと林道にでました。坂道はかなりきついものでしたが、登ってみると山の上は思ったよりも平坦で、山の頂上に集落がありました。畑があり、一軒家があり、そして何軒かの集落があり、共同体が存在しています。


●写真 13時59分 金剛頂寺への急斜面を登ると



●写真 14時00分 畑が広がる



●写真 14時5分 山頂の遍路道

ここには意外にも集落がありました。山の上は平地になっています。こういう地形を初めて見ました。


グーグルで見るとこんな感じです。岬の上は平べったいです。

ついでに言うと、あとで知ったのですが、この行当岬から5~6キロ西の吉良川町にも似たような地形があって、

こんな感じです。海岸段丘です。知らずに下の海岸道路を歩いていると、まったく分かりませんでした。ここは、たぶん海岸段丘の上に人が住みついたのが早いのではないかと思います。段丘の上には行きませんでした。



●写真 14時21分 室戸岬が見えた



 向こうの室戸岬の先端からこの行当(行道)岬まで約10キロ。往復で20キロ。この海岸べたを毎日往復する行(行道)を空海はしていたとも言われます。ここは室戸岬に向かう東側の海岸に比べると湾状になっている穏やかな海で、歩きやすいと思います。
 つまり室戸岬と行当岬の厳しい行場とをこの海岸を通って行き来しながら、空海は修行を積んでいたのではないでしょうか。このような行道は空海が始めたものではなく、それ以前からあったものです。それにどういう意味があったのかは分かりませんが、陸と海の境という日常生活の境をきよめて浄化する意味があったのかも知れません。さらにそれは外部から来訪する異形の神様である「エビス」を迎える信仰とも結びついているような感じがします。数日前、日和佐の近くには「えびす洞」があったり、その前にはエビスさんが生まれた神社と称する神社があったりしました。私がやっているこのお遍路も、もとをたどればそういう所にまで行き着くものかも知れません。
 さらにそれは松尾芭蕉の「奥の細道」のような漂泊の感情にまで行き着くのかも知れません。俳句に信仰の匂いがするのは、私だけの感情でしょうか。

 お寺の裏から登ったので、金剛頂寺の山門の場所がわかりにくく、10分ほど周囲をウロウロしました。大回りして山門を見つけ、それからお参りをしました。ウロウロしているところで、何日か前、焼山寺を降りた次の日に大日寺の隣のかどや旅館で同じ宿に泊まったオランダ人男性とすれ違いました。彼は1日40キロ歩けるのに、なぜここにいるのか分かりませんでしたが、すれ違いざま私が「こんにちは」と声をかけると、「こんにちは」と返してくれました。彼は私の顔を見ながら「誰かな」という感じでした。

 2時半頃に26番の金剛頂寺に着いて、お参りをしたあと、3時に宿坊に入りました。ここは、昨日の最御崎寺が「東寺」、この金剛頂寺が「西寺」、この二つでセットです。お風呂のタオルも昨日の最御崎寺と同じ柄のタオルだったのが、おもしろかったです。


●写真 14時25分 金剛頂寺を裏から入る



●写真 14時27分 金剛頂寺の山門



●写真 14時44分 金剛頂寺の本堂



 部屋に入ると窓から海と山が見えます。昨日泊まった最御崎寺の半島も見えます。部屋の前は畑で、その向こうには海、その左手に山が連なり、今日歩いてきた街並みもその山の麓に見えます。防波堤も見えます。


●写真 15時3分 金剛頂寺の宿坊からの景色



●写真 16時38分 金剛頂寺の宿坊からの景色



●写真 21時7分 金剛頂寺宿坊の部屋



 やっとここまで来た、という感じです。家に帰りたいという気持ちと、今までの60年間がどこか遠い世界の出来事のように思える気持ちとが入り交じって、不思議な感じです。矛盾しているかというと、そうでもないような。


世間虚仮。色即是空。盛者必衰。諸法無我。しかし諸法実相。一切衆生悉有仏性。


なんとなく浮かんだ言葉で、合っているのか、間違っているのか自分でも自信がないので、一応ウィキペディアで調べてみます。

世間虚仮・・・・・・世間は仮うつろなものであるということ。
色即是空・・・・・・この世のすべてのものは恒常な実体はなく縁起によって存在するということ。
盛者必衰・・・・・・この世は無常であり、勢いの盛んな者もついには衰え滅びるということ。
諸法無我・・・・・・全てのものは縁起によって生じたものであって自分という実体はないということ。縁起というのは、「縁起が悪い」の縁起ではなくて、すべてのものの関係性を示す言葉です。「縁あって結ばれた」の縁です。
しかし
諸法実相・・・・・・全ての存在にはありのままの真実の姿があるということ。
一切衆生悉有仏性・・・・・・生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性 (仏性) をもっており、すべて悟りうるということ。

その他諸説あるようです。
分かったような、分からないような感じです。
たぶん分かっていないのでしょう。




                               「室戸へ」 終



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