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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

「授業でいえない世界史」 44話 現代 第一次世界大戦後の西アジア・東アジア

2019-05-16 12:00:00 | 旧世界史12 20C前半
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 第一次世界大戦後の世界です。第一次世界大戦が終わったのが1918年です。それから約20年でまた第二次世界大戦が起こる。20世紀は一番多くの人が戦争で死んだ世紀です。

 第一次大戦が終わったあとの日本は、1920年代、大正時代です。ロシア革命の影響で日本でも、給料上げろ、労働時間短縮しろ、という労働運動が盛んになります。社会主義運動が盛んになる時代です。


 このあと、いろんな地域を1920年代を中心に見ていきます。まずは西アジア。次に東アジアに行きます。


【西アジア】
【旧オスマン帝国領】 西アジアはアラブ人の地域です。このアラブ人の地域に約500年間、何という国があったか。それがオスマン帝国です。

 第一次世界大戦で負けた国は一番にはドイツですが、大きな隠し味として、オスマン帝国がドイツの味方だった。そのオスマン帝国が潰れたんです。500年続いた国が潰れるというのは、世界史的にも大きな出来事です。ちょっと教科書の扱いが小さいんですが・・・小さいからよけい分かりにくくなってると思いますが・・・この国、こんなに大きい。今こんな大帝国はないです。ローマ帝国と変わらないぐらい大きい。
 今やってる時代より70~80年前からヨーロッパが強くなって、どんどん侵略されていきます。オスマン帝国のヨーロッパ側は独立したし、エジプトもイギリスによって半分植民地にされてる。

 2019年の今でもミサイルがよく飛んでいるのが、イスラエルという国です。今ここにユダヤ人国家があります。私は世界のヘソといってますけど。列強は、イギリスを中心に、こういったところを、オスマン帝国が潰れたあと、どんどん植民地にしていく。フランスも虎視眈々と狙っています。ドイツは戦争に負けたから、枠外です。

 それともう一つ言っておかないといけないことが・・・どっちみ言わないといけないから・・・オスマン帝国というのはトルコ人なんです。オスマン・トルコ帝国とも言う。トルコは今ここにある。アラブというのはその南のこのあたりで、民族が違う。だから中心はここのトルコ人なんですけれども、その南に住んでるアラブ人は、オレたちはトルコから独立したいと思っている。


 イギリスはドイツと戦っていて、ドイツの味方がトルコなんです。だからイギリスはトルコとも戦っている。アラブ人から見たら、イギリスはオスマン帝国という敵の敵です。敵の敵というのは味方になる。
 トルコを潰すために・・・今まで言ってないけど・・・イギリスがやることは、アラブに対して、オレに味方してくれたら、おまえたちをオスマン帝国から独立させてやるぞ、だからいっしょにトルコを潰そう、と言う。


 しかしイギリスにはお金がない。戦争には金がかかる。イギリスはそのお金が欲しい。お金を持っているのは、アメリカのニューヨーク・ウォール街のユダヤ人たちです。イギリスは、彼ら豊かなユダヤ人にお金を貸してほしいんです。イギリスは、お金を貸してくれたら・・・あなたたちは国もたないでしょう・・・この戦争に勝てば、ここに2000年ぶりにあなたたちの国を作ってあげますよ、と言う。これが今のイスラエルです。

 ここまで行くには、第二次世界大戦後までいかないといけない。


【エジプト】 そのアラブです。アラブはエジプトも含めます。エジプトも含め、ここらへんは全部オスマン帝国の領土であった。約400年間。これを頭の奥に入れていてください。その後、19世紀半ばからイギリスがエジプトを欲しがって、半植民地状態にした。しかしそういうイギリス支配に対して、エジプト人が反発した。これをエジプトのワフド党という。これがイギリスに反発する。反英運動が起こる。
 第一次大戦後、1922年にエジプトは一応の独立を勝ち取る。これがエジプト王国です。しかしこれは一応であって、メインの動脈のスエズ運河はイギリスは手放さない。イギリスはインドに行きたいから、ここを通るか通らないかで、経費が全然違う。だからここだけは手放さない。だから半独立状態です。それでは満足できないと言って、エジプトは反英運動をして完全独立を目指していく。
 
▼第一次世界大戦後の西アジア

【パレスチナ】 次は、さっきいった世界のヘソのパレスチナ地方です。今イスラエルがあるところです。ここでパレスチナ問題というのが発生します。これは今でも続いてる。原因はというと、ここはもともとはオスマン帝国の領土です。
 ここには2000年前にユダヤ人の王国があった。ユダヤ人は国を持たないから、国が欲しいとずっと思っていた。それで、ここがご先祖様の土地だということで、ここに移住するユダヤ人が増えていた。
 しかしこの2000年の間にすでにアラブ人が住んでる。この地域に住むアラブ人のことを別名パレスチナ人という。時々ニュースで、パレスチナ・ゲリラとかいう人は、2000年住んでいたアラブ人が、この後ユダヤ人がイスラエルという国を建国したから、土地を追われた人々です。住むところがなくなってゲリラ活動していく。つまり難民です。
 このユダヤ人は、このあとの第二次世界大戦が終わった後、イスラエルという国を建国します。その代わり今まで住んでいたアラブ人は、そこから追い出されることになって、戦後70年経っても血はいまだに流れている。

 なぜこんなことになったのか。これがイギリスの二枚舌外交といわれるものです。絶対両立しえない事を、アラブ人とユダヤ人の双方に約束するんです。


 一つ目は第一次世界大戦中の1915年フサイン・マクマホン協定です。フサインというのはアラブ人のリーダーです。マクマホンというのはイギリスの政治家です。今いったようにアラブ人はこの段階ではトルコ人に支配されてるから、独立したいと思ってる。イギリスは、オスマン・トルコ帝国と戦っているから、敵の敵のアラブ人は味方になる。イギリスは、オレたちに味方したら、君たちにアラブ人の独立国家を作ってやるぞと約束した。


 しかしその一方で、イギリスにはお金がなかった。イギリスの外務大臣のバルフォアという人が1917年に宣言を出したんです。バルフォア宣言と言います。お金を借りた相手は、イギリスのロスチャイルドという大財閥なんですけど、このロスチャイルドというのはユダヤ人なんです。お金を貸してくれたら、パレスチナに、ユダヤ人の国家を建設しますと約束した。

 これ絶対に両立しませんよね。同じパレスチナという地域に、アラブ人が住んでいて、そこにアラブ人の国をつくってやる。そこにユダヤ人が引っ越しをし始めている。そこにユダヤ人の国をつくってやる。一つの地域に二つの国をつくることはできません。これは両立しない。

 しかしこれを約束した。そして第二次世界大戦後にユダヤ人のイスラエルという国ができた。バカを見たのはだったのはアラブ人です。信じた私がバカだった。こんな事が許されていいのか、というのがアラブ人のパレスチナ・ゲリラなんです。それがいまだに続いている。
 さらにイギリスだけではなくて、これは半分わかりながら、その中間、1916年にはフランスも、オスマン帝国がつぶれたら分割しようね、そのオスマンの領土を分割しようね、と言う。これがサイクス・ピコ協定です。
 だからもともとアラブ人を独立させるつもりはないんです。ただユダヤ人はお金持っているから、ユダヤ人との約束だけは聞いてやらないといけない。アラブ人との約束は、どうせこいつらは貧乏人だから、放っておけと。それでアラブ地域を植民地にしていく。これは今でも世界の大問題です。


【シリア・レバノン】 それで1920年代、イギリスが勝った後は、旧オスマン帝国は分割される。今のシリア・レバノン、ここはフランスの植民地になる。ただ植民地というと人聞きが悪いから、言い方を変えようという。フランスの委任統治領となる。これ実態は植民地です。独立させないずに、フランスの支配権が及ぶ。
 その南東のパレスチナ・ヨルダン・イラク、これはイギリスの委任統治領です。そしてここのパレスチナに、このあと30年後にユダヤ人のイスラエルという国をつくっていく。代わりにアラブ人は追い出される。こんなことをやるんです。


【アラビア半島】 アラビア半島に行きます。ここは、もともとイスラーム教の力が強いところで、イスラームの教えの原点に立ち帰ろうという運動、ワッハーブ派というのが起こっていた。100年以上前に、ここにワッハーブ王国ができた。この国は長く続かなかった。しかし、こういうイスラームの教えに立ち帰ろうという運動自体は続いて、それに地元の豪族サウード家が加わっていく。サウード家はこの運動で力をつけていく。


 そのイスラーム教を始めたのは7世紀のムハンマドです。ムハンマドの子孫は実は今でもいて、今のアラビア半島で王様になっていた。これをヒジャーズ王国といいます。これは由緒正しいムハンマドの子孫なんですね。これをサウード家が滅ぼして、自分の国として乗っ取るんです。これが今のサウジアラビア王国です。ちょっと後の1932年にできる。今もあります。今もあるどころか、日本はこの国から石油の大半を輸入しています。


 昨年この国は、王様に反対するジャーナリストを大使館内で殺した、という疑惑をもたれています。すごいことやっている。王様を批判したら、新聞記者は殺される。しかも国の公の施設の大使館で。オレはそんなことはしてないと、いっているけど。
 ただ日本政府は、このことを強く非難していない。さっきも言ったように、日本の石油の最大輸入国はここです。日本はこの国と喧嘩できない。
 日本人を殺すのはミサイルじゃない。一に石油です。タンカーがストップしたらもう日本はダメです。二に食料輸入です。日本の食糧自給率は極端に低い。食料を切れば日本人はミサイルを使わなくても食い物がなくて死ぬんです。日本の豊かさは意外ともろい。


 ヒジャーズ王国というのは、ムハンマドの子孫です。滅ぼされてどうなったか。今のヨルダンという国、今はそこの王様です。

その隣のイラクは、最近アメリカによって空爆されて、今は混乱の極みです。
さらにその東のイランとアメリカの関係は、最近悪化する一方です。

以上が西アジアです。



【大戦後のアジア】
 次に第一次世界大戦後のアジアに行きます。その中心はインドです。インドはイギリスの植民地です。イギリスは植民地のインド人に第一次世界大戦中に何と言ったか。兵隊に来てくれ、戦争に協力してドイツと戦ってくれ、勝てば独立させてやると言った。しかしウソです。独立させません。独立を約束したのに独立させません。

 第一次世界大戦後、何が決まったか。民族自決をアメリカは唱えた。しかしこれが適用されたのはヨーロッパの国々だけです。アジア諸国は無視です。インドは独立できない。なんだこれは、独立させると約束したじゃないか。イギリスは、エッ、そんなこと言ったかな、と知らんふりです。ふざけるなという感じです。こういうことが決まったのがパリ講和会議です。


 その後、アメリカを中心に2回戦のワシントン会議をやって、世界体制としてはワシントン体制を築いた。これは前回話しました。


【トルコ共和国】

 では次の負けたオスマン帝国です。500年間の帝国が潰れたから、あとは大変です。その後できた国が今のトルコ共和国です。
 まずここは敗戦国です。オスマン・トルコ帝国は潰れたんです。領土は大幅に削られた。今は出ベソのような形のトルコ半島のみです。それを決めたのが、第一次世界大戦が終わった次の年1920年の条約、セーブル条約といいます。国際条約で決められ削減されたんです。このままではトルコの国も危ない。そこで、アラブ人のことはもういいから、トルコ人だけの国を作ろう。地域を限定して小さくなってもいいから、トルコ人だけの国をつくろうとなる。その運動の中心がケマル・パシャという軍人です。


 でもこの人はヨーロッパ流が大好きです。イスラーム教は捨てていいという。ヨーロッパ流でやろうという。徹底したヨーロッパ化政策をとります。文字もアラビア文字だったけれども、この時からABCのアルファベットに変えます。文字から変える。
 日本語の漢字とひらがなを廃止して、全部ローマ字で書くようなものです。これと同じことを、日本に原爆が落ちて戦争に負けた次の年にアメリカ軍がやろうとした。そういう計画を聞きつけた重光葵という時の外務大臣が、それだけはやめてくれ、と言って取り下げられた。それがなかったら、君たちは漢字を知らなかったかも知れない。


 アンカラという首都・・・もともとは地方都市です・・・そこに新政府を樹立したのが1920年です。戦争に負けると文字を奪われます。次に言葉が奪われます。教科書も当然変わる。特に国語、社会、歴史などは。

 そして新しい国をつくろうとして、オスマン帝国を潰して革命が起こる。1922年に。これがトルコ革命です。ここでスルタンは廃止される。これで正式にオスマン帝国はつぶれた。500年続いたオスマン帝国は滅亡です。あの広大な領土を持っていた帝国です。そして新しいトルコという国を認めてくれという条約が、次の1923年のローザンヌ条約です。国際条約で認められた国がトルコ共和国だということです。

 インドは独立を認められない。しかしトルコは認められた。不平等じゃないか。インドは伝統を大切にしている。インド人の文化を守るぞ。ケマル・パシャはヨーロッパ大好きです。イスラーム教は、もうしなくていい。政治と宗教は別だ。ヨーロッパ流の考え方を取り入れる。さっき言ったように、アラビア文字は捨てますよ。これからはアルファベットで、ABCでやりますよ。そこまでやればヨーロッパが反対する理由はない。

 結局、近代化というのは西洋化のことです。西洋を真似することなんです。西洋のルールに従うことなんです。日本もあまり大きなことは言えない。日本は早々と明治維新でそれをやりましたから。


 政治と宗教切り離す。イスラーム教と政治を切り離す。政教分離です。そのケマル・パシャは初代大統領になる。今でもその墓地は壮大な公園になっている。そこで今でも年に一回、ケマル・パシャを祭る祭典をやっている。ただ今の大統領はエルドアンというけれども・・・ここからもう100年経ってます・・・これだけ言っておくと、トルコで初めて、オレたちはイスラーム教徒じゃないか、と言い始めた。どうなるか。普通こうなるとイギリスやアメリカは嫌います。今必死でアメリカがやっていることはイスラーム叩きです。ケマル・パシャは、ヨーロッパ流、西洋流に変えた。文字もアルファベットに変えたけど、オレたちはイスラーム教徒じゃないか、とやっと今の大統領は言い始めた。さてこれからどうなるか。
 ことの重大さを分かるためには、歴史が分からないと、何が変わったのかが分からない。歴史を知らなかったら分からない。へえーと、鼻くそほじくりながら、何も分からないまま、テレビを見るだけで終わってしまいます。


【イラン】

 次はイランです。これも今アメリカが目の敵にしている。大統領のブッシュなどは「悪の枢軸」とまで言った。彼に名指しされたのが、北朝鮮、イラク、イランです。北朝鮮とはまだ交渉中ですが、まずはイラクが狙われました。この国は2003年のイラク戦争で、アメリカの集中砲火を浴びてもう潰れました。

 ではその東隣のイラン。この時代に、ここはどこが狙っていたか。西からはイギリスです。イランとイラク、一文字違いですけど、全然違う国です。
 このイランに、西からはイギリスが攻めてくる。ソビエトと国境を接しているから、北からはロシアが攻めてくる。イギリスとロシアが奪い合う格好になっていく。でもロシアは、第一次世界大戦中にロシア革命が起こって潰れたんです。そしてソ連になった。そしてイランから撤退する。自動的にイギリス軍がイラン全土を支配する。イギリスはしめしめです。

 今は「悪の枢軸」と言ったアメリカがここを潰そうとしていますが、この時には・・・トルコのケマル・パシャと同じように・・・もうヨーロッパにすり寄るしかないという軍人が出てくる。トルコのケマル・パシャも軍人ですけど、これがレザー・ハーンというイランの軍人です。イギリスにすり寄って認められるんです。おまえを王様にしてやるといわれて王朝をひらく。これがパフレヴィー朝です。イギリスはこれを支援する。
 トルコでも、いまのエルドアン大統領がイスラーム寄りのことを言っているけど、このイランはその後イスラーム復興の運動が起こって、1979年のイラン革命で潰れる。そんなにアメリカのいうことばかり聞いていられるか、オレたちイスラーム教徒じゃないかと。それで国は潰れてパフレビー朝は消滅する。これが今のイランです。だから今もアメリカが目の敵にしている。


【アフガニスタン】

 もう一つ、ここ20年でアメリカが叩いたのが、アフガニスタンです。あの2001年の9.11事件の首謀者、ビンラディンが隠れ住んでいたのはここだとされています。ここはもともとイギリスの植民地だったところで、イギリスの影響が強いところです。一応独立は勝ち取ったけど、その独立に対してイギリスがこのヤローと思っている。
 こういうふうに西アジアは、ヨーロッパ勢力に分割されていたんです。
 分割されて、新しい国としてできたところ、完全独立ではないけれども、エジプトですね。ただスエズ運河はイギリスが握っているままです。
それからトルコは、ヨーロッパにすり寄って独立しました。
それからサウジアラビアもできた。
それからイラクもできた。しかし半独立状態ですよ。ここらへんはイギリスの委任統治国です。完全独立ではない。

 分割した地域で、イギリス領になったのが、このパレスチナとヨルダンです。まだイスラエルという国はない。20年後、第二次世界大戦でイギリスが勝った後に、ここにユダヤ人国家としてイスラエルという国ができる。世界のヘソ、ここがイスラエルです。

 ではフランスはというと、その北東がフランス領シリアです。シリアはフランス領です。
 ここらへんは今も紛争地域です。



【インド】
 次はインドです。インド人は独立を約束したじゃないかという。しかしイギリスは知らんふりをする。そのまま植民地状態が続く。インド人は、このヤローと腹を立てる。反英運動です。反英は反イギリスです。イギリスは第一次大戦中に独立させると言った。だからインド人が約束守って独立させろと言うと、イギリスがやったことは、ローラット法といって、捜査令状なしでインド人を勝手に逮捕できるようにする。手のひら返しもいいとこです。民衆運動をこうやって弾圧する。

 そこでもともとは穏健派だったけれど、これはあんまりだなと、ガンディーが独立運動をはじめる。ただ武力で勝てない。だから非暴力です。ハイと言って従わない。不服従です。非暴力・不服従。こういう運動を展開する。しかしどうも決定打に欠ける。インドはイギリスの植民地はそのままの状態で、また第二次世界大戦に突入です。

 ガンディーの相棒で主導権を握ったもう1人の人物がネルーです。この人はもうちょっと過激です。完全独立のために戦おうとする。

 ガンディーの動きとしては・・・塩は貴重品だった・・・これをイギリスが独占していたから、塩を取りに行く。この意味は反英運動の象徴なんです。これがだんだんと何千人という人が集まって、海までいっしょに塩を取りに行く。塩の行進という象徴的な行動を取る。これを見て意味が分かる人は、反英運動に参加する。しかしイヤ顔を背けようとする人もいる。この二つに分かれる。


【インドネシア】 今度は東南アジアです。東南アジアもヨーロッパ列強の植民地ばかりです。あまり目立たない小国オランダも、東南アジアに広い植民地を持っている。蘭領東インド、蘭はオランダです。今のインドネシアです。しかしここにも、独立運動が起こる。指導者はスカルノです。今の日本では、この人の奥さんがよくテレビに出てますね。毒舌ですね。誰ですか。この人の奥さんは。戦後、銀座で見初められて、第三婦人になって、インドネシアに行って、失脚して、夫は亡くなって、また日本に戻って、テレビ出演しています。今はタレントみたいです。デヴィ夫人ですね。あの人はこのスカルノの奥さんです。一夫多妻だったから、第三婦人です。
 それでそのスカルノです。別にデヴィ夫人の話をしたいわけじゃない。インドネシア国民党1927年につくる。独立できるのは第二次世界大戦後です。あと20年ぐらいかかります。


【ベトナム】 今度はフランスの植民地です。ベトナムです。ここにも独立運動が起こる。中心人物はホー・チ・ミン。この人は独立のために共産党の力を、社会主義の力を借りようとした。ベトナム共産党です。反仏運動、反フランス運動を展開する。


【ミャンマー】 次は今のミャンマーです。今のアウンサン・スー・チー女史のお父さんです。アウンサン将軍です。当時はイギリスの植民地のビルマです。これが今のミャンマーです。タキン党の独立運動が起こります。引っ張ったのは、アウンサンです。殺されますけど、その娘がアンンサン・スー・チーです。今もニュースでよくでてくる。


【タイ】 唯一独立していたのがタイです。これは別に強かったからじゃなくて、東にはフランス、西にはイギリスに囲まれて、最後に一つ残った饅頭を取るとケンカになるから、どちらも手を出さなかった。

 それ以外の東南アジアは全部植民地です。


【朝鮮】

 こんどは朝鮮です。ここは日本が絡む。日本の領土になってる。そこに日本からの独立を求める三・一独立運動1919年に起こる。第一次世界大戦が終わった年、1919年の3月1日が三一になる。
 この余波は今も続いています。徴用工問題、反日運動です。いくら、1960年代の日韓基本条約を結んだと言っても、まだ賠償しろと言う。結局お金ですよ。国家賠償という日本からお金は、我々の税金だということは分かりますか。空から降っては来ません。



【中国】

【五・四運動】 それと同じように日本が中国に21カ条要求をつきつけている。そこでも反日運動が起こる。五・四運動、朝鮮の運動から二ヶ月遅れの1919年5月4日から起こったから五・四運動です。なぜ日本が槍玉に挙げられたかというと、日本は中国に対して、時の袁世凱政府に、対華21カ条要求というものを突きつけていたからです。これに中国は腹を立てた。最初は北京のエリート学生による抗議運動だった。これが全土に広まる。
 こういう運動はすぐには成功はしないけれども、これに刺激されて孫文が・・・もともとは日本で学んだりして日本とは仲良かったんだけれど・・・政党をつくって独立を目指す。中国国民党を結成する。そして反日に傾く。日本とは手を組まずに、逆に中国はイギリスと手を組んでいく。孫文自体はお金持ちではないけど、嫁さんが浙江財閥の娘で億万長者です。この資金が孫文のバックにはある。宋美麗という嫁さんです。


【国民党と共産党】 ではこの後の中国の動きです。中国は辛亥革命のあとは、軍閥割拠の状態です。日本の戦国時代のようになって、どれが中心なのかよくわからない。その中で二つの勢力がだんだんと頭角を現す。一つが孫文の中国国民党です。1919年、第一次世界大戦が終わってすぐ結成されます。


 もう一つが・・・第一次大戦中にソ連という社会主義国家ができた・・・中国を共産主義国家にしようという動きです。中国共産党です。この決着がつくのはまだまだ30年近くあとです。結果的にどっちが勝ったか。今の中国は表看板は、共産主義国家です。これが勝つことになる。それまでに30年の歴史がある。主導しているのはソ連の国際組織コミンテルンです。社会主義は世界革命論が理想ですから。


 この国民党と共産党は水と油で、本来は手を組むはずはなんだけれども、なぜか手を組む。その一致点が反日です。協力して日本と戦おう。そこで一致していくんです。手を組まないはずの二つの政党が手を組んだ。これが1924年です。これを第一次国共合作といいます。第二次もあります。国共とは、国民党と共産党という意味です。国は国民党、共は共産党です。思想も政治思想も、ぜんぜん違うこの二つの政党が手を組んだ。


 次の年の1925年に孫文は死んでまた混乱する。孫文が死んで、その後を受け継いだのが、孫文の後継者を自称する蒋介石です。軍人です。若い頃、彼に軍隊の作法を教えたのは日本陸軍です。日本陸軍の兵隊として学んでいる。この人の嫁さんも、孫文の嫁さんの妹なんです。同じ浙江財閥のお金持ちの娘と結婚して、お金持ちと結婚したあとは徹底した反日活動家になっていく。
 今でも日本と中国とは仲悪い。韓国ともそうです。アメリカにとっては、仲良くなってもらったら困るというのもある。アジアは「分割して統治せよ」。ヨーロッパはローマ帝国の時代からそうです。敵は分断したほうがいい。アジアは分断していないと困る、というのがヨーロッパの一貫した立場です。だから中国と日本と韓国が喧嘩しても、アメリカは何も手を貸しません。逆にまとまってもらっては困る。ホンネは決して言いませんけどね。


 それで1926年から国共合作軍は北伐をはじめる。北伐というのは・・・他にも中国にはいっぱい戦国大名みたいな軍閥がいる・・・そこで国民党が共産党と手を握って、他はぜんぶ潰していこうという北方軍閥征伐です。略して北伐。6文字を2文字に短縮しているから、多少無理のある言い方ですが、北伐、北伐といいます。これで北方軍閥打倒を目指す。
 
▼北伐と長征

 一応この北伐が成功して国民党政権を作るんですが、蒋介石の政治思想は、ホンネでは共産主義なんか大嫌いなんです。仮の姿で握手しているだけです。一旦政権はつくると、共産党なんか顔を見るのもイヤだ、という。共産党員を逮捕していく。裏切るわけです。


 それでもともと国民党と共産党は、水と油の関係であったから分裂する。分裂して、蒋介石は今度は南京に自分の政府を作る。これを国民政府といいます。1927年です。この味方についているのは日本じゃない。アメリカ・イギリスです。中国はここではっきり米英側につく。日本は逆に敵です。「分割して統治せよ」が効いています。


 その蒋介石の大金持ちの嫁さんの親は浙江財閥で、これは上海に拠点がある。上海は中国最大の都市です。イギリスの租界つまり植民地として発展したところです。その財閥がバックにある。

 これで終わります。ではまた。




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