2015年4月1日、友人が亡くなった。
あかねが骨肉種を発症して、病気と闘っていたころ。
「乳がん検診でひっかかって、再検査なんだ。」
「再検査したけど、何でもなかった。」ってよく聞くから、大丈夫だよ。
「やっぱり乳がんだった。」
あかねの時も、判定はどんどん悪い方に転がっていった。
普通なら、「やっぱり大丈夫だったね。」で終わるのに。
彼女は手術を受け、抗がん剤治療を始めた。
壮絶な闘いだった。
彼女とあかねは、ともに癌と闘う同志だった。
母親の私でさえ、理解してやることのできない恐怖、抗がん剤治療のつらさ。
手術から3年後、肺に影がみつかる。
PET検査を受けに病院へ。その日は彼女の息子の大学院の合格発表の日。
PETの検査室では携帯電話を切らなくてはいけないので、「その間に連絡がきたらどうしよう」と
自分の事より、心配していた。
再発するたびに新しい治療に挑んでいった彼女。
「余命6か月」の宣告を受けてからもうすぐ2年になる。
入院して、「在宅は無理だろう」と言われてからも、信じられない回復力で、帰宅。
愛娘の手厚い看護を受け、家族に見守られながら、彼女は、眠るように息をひきとった。
おつかれさま。よく頑張ったね。
むこうで、あかねに会えるといいな。
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