娘が亡くなる数時間前、突然、目をカッと見開いて、看護婦さんの呼びかけに「はい!」と答えた。
その時の顔は、恐怖におびえる悲しげな顔だった…らしい。
その時、私はその場にいなかった。
姉と弟、そして友人が居合わせた。
眠り続ける娘の目は半開きで、角膜は乾き剥がれそうだった。濡らしたガーゼをかぶせて乾くのを防いでいたが、娘の目は死んだ魚の目のようだった。
その目が、その瞬間、生気を取り戻し輝いていたらしい。
一瞬の出来事だった。
私が呼び戻された時には、娘はもう眠っていた。
筋肉の委縮によるもので、単なる生体反応で意識はない。そう思うことで、その場にいなかったことの悔しさを紛らわしていた。
1年くらい前に見たドキュメンタリー。
20代の韓国人夫婦。妻が妊娠した後、つわりがひどく出産まじかになっても吐き気が治まらなかった。
妻は妊娠と同時に胃癌を発症していたのに、つわりと診断され癌が見逃されていた。
あまりにも吐き気が止まらないため、検査をしたところ、すでに手遅れだった。
無事出産が終わっても、退院することもなく、抗がん剤の治療が始まった。
余命3か月の宣告を受けた母の願いは「子供のトルチャンチを祝うこと」だった。
子供の1歳の誕生日を盛大に祝う「トルチャンチ」。そのために、母は癌と戦った。カメラは病床で苦しむ母の姿を包み隠さず撮っていた。
画面が切り替わると、トルチャンチの準備をする親子の幸せそうな姿が映ってた。母もきれいに正装し、幸せそうだった。
その後、画面はまた病院に戻った。
母は危篤状態で、昏々と眠り続けていた。
突然、母が目を見開き、起き上がった。もう起き上がる力などなかったはずなのに…。
韓国語なので意味はわからなかったけど、はっきりした言葉で付き添いの母親に何かしゃべっていた。
そのあと、彼女は静かに息を引き取った。
私は、それを見て確信した。
あれは単なる生体反応なんかじゃない。意志をもった行動だった。最後の力を振り絞った別れだった。
その場に居合わせることができなかった事を、私はずっと悔やんでいる。
病室を離れた理由を考えるとき、私の心は闇に囚われる。