2年前の今頃。
先生から「もって、あと1ヶ月です。」というお話があった。
ある朝、病院について娘の顔を見ると、こめかみが異様に落ち込んでいる。昨日の夜、帰るときには気付かなかったのに。いつもポーカーフェイスの私もこのときばかりは目に涙がにじむのを隠せなかった。急いで「ちょっとトイレ」と席を立った。
娘は恐ろしい勢いで衰弱していた。
顔や上半身はやせ衰えているのに、下半身はパンパンに腫れている。
手術の傷跡がはち切れんばかりだった。もう少し生きていたらきっと傷口が開いていたと思う。
このころホスピスのことを考えていた。
今の病院ではナースコールを押しても直ぐには来てもらえない。苦しいときに直ぐに来て処置もしてもらえないだろう。すばやく痛みや息苦しさを取り除いてもらうにはホスピスに移るべきだろうか。そう考えていた。
看護婦さんの中にも、以前入院していた高校生がホスピスに移って随分楽に過ごせるようになったと話してくれる人がいた。
先生に相談して一度ホスピスを訪ねることにした。
そこは穏やかな山の中。
物音ひとつしない静かなところだった。
病室も広くて家族が寝泊りできた。ほかの子供たちもここから学校に通えばいい。
主人と話して、ここに移ろうかと考えていた。
見学が終ってホスピスの看護婦長さんと面会した。
婦長さんは「お話を伺いましたが、私はここが娘さんに合っているとは思いません。ここは死を受け入れ静かに死を待つ人がくるところです。お嬢さんはまだ闘っておられます。
リハビリを頑張っておられます。彼女からそれをとり上げてはいけません。」
そうでした。娘は生きようとしていたのです。
子供にホスピス、終末医療はいりません。
以前、情報を集めるために伺った小児病棟の先生に「ホスピスについてどう思われますか?」と訊ねたことがあります。
先生は即答で「彼らは最後の最後まであきらめません。生きようとしています。
そんな彼らにもうあきらめなさい。なんて言えません。子供に終末医療はない。」
あれで良かったのか。今でも答えは出ない。
先生から「もって、あと1ヶ月です。」というお話があった。
ある朝、病院について娘の顔を見ると、こめかみが異様に落ち込んでいる。昨日の夜、帰るときには気付かなかったのに。いつもポーカーフェイスの私もこのときばかりは目に涙がにじむのを隠せなかった。急いで「ちょっとトイレ」と席を立った。
娘は恐ろしい勢いで衰弱していた。
顔や上半身はやせ衰えているのに、下半身はパンパンに腫れている。
手術の傷跡がはち切れんばかりだった。もう少し生きていたらきっと傷口が開いていたと思う。
このころホスピスのことを考えていた。
今の病院ではナースコールを押しても直ぐには来てもらえない。苦しいときに直ぐに来て処置もしてもらえないだろう。すばやく痛みや息苦しさを取り除いてもらうにはホスピスに移るべきだろうか。そう考えていた。
看護婦さんの中にも、以前入院していた高校生がホスピスに移って随分楽に過ごせるようになったと話してくれる人がいた。
先生に相談して一度ホスピスを訪ねることにした。
そこは穏やかな山の中。
物音ひとつしない静かなところだった。
病室も広くて家族が寝泊りできた。ほかの子供たちもここから学校に通えばいい。
主人と話して、ここに移ろうかと考えていた。
見学が終ってホスピスの看護婦長さんと面会した。
婦長さんは「お話を伺いましたが、私はここが娘さんに合っているとは思いません。ここは死を受け入れ静かに死を待つ人がくるところです。お嬢さんはまだ闘っておられます。
リハビリを頑張っておられます。彼女からそれをとり上げてはいけません。」
そうでした。娘は生きようとしていたのです。
子供にホスピス、終末医療はいりません。
以前、情報を集めるために伺った小児病棟の先生に「ホスピスについてどう思われますか?」と訊ねたことがあります。
先生は即答で「彼らは最後の最後まであきらめません。生きようとしています。
そんな彼らにもうあきらめなさい。なんて言えません。子供に終末医療はない。」
あれで良かったのか。今でも答えは出ない。