1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

ホスピス

2009-01-16 11:36:36 | Weblog
2年前の今頃。
先生から「もって、あと1ヶ月です。」というお話があった。
ある朝、病院について娘の顔を見ると、こめかみが異様に落ち込んでいる。昨日の夜、帰るときには気付かなかったのに。いつもポーカーフェイスの私もこのときばかりは目に涙がにじむのを隠せなかった。急いで「ちょっとトイレ」と席を立った。
娘は恐ろしい勢いで衰弱していた。
顔や上半身はやせ衰えているのに、下半身はパンパンに腫れている。
手術の傷跡がはち切れんばかりだった。もう少し生きていたらきっと傷口が開いていたと思う。

このころホスピスのことを考えていた。
今の病院ではナースコールを押しても直ぐには来てもらえない。苦しいときに直ぐに来て処置もしてもらえないだろう。すばやく痛みや息苦しさを取り除いてもらうにはホスピスに移るべきだろうか。そう考えていた。
看護婦さんの中にも、以前入院していた高校生がホスピスに移って随分楽に過ごせるようになったと話してくれる人がいた。
先生に相談して一度ホスピスを訪ねることにした。

そこは穏やかな山の中。
物音ひとつしない静かなところだった。
病室も広くて家族が寝泊りできた。ほかの子供たちもここから学校に通えばいい。
主人と話して、ここに移ろうかと考えていた。
見学が終ってホスピスの看護婦長さんと面会した。
婦長さんは「お話を伺いましたが、私はここが娘さんに合っているとは思いません。ここは死を受け入れ静かに死を待つ人がくるところです。お嬢さんはまだ闘っておられます。
リハビリを頑張っておられます。彼女からそれをとり上げてはいけません。」

そうでした。娘は生きようとしていたのです。
子供にホスピス、終末医療はいりません。
以前、情報を集めるために伺った小児病棟の先生に「ホスピスについてどう思われますか?」と訊ねたことがあります。
先生は即答で「彼らは最後の最後まであきらめません。生きようとしています。
そんな彼らにもうあきらめなさい。なんて言えません。子供に終末医療はない。」

あれで良かったのか。今でも答えは出ない。
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本当は甘えたかった

2009-01-16 08:48:32 | Weblog
今日の中日新聞の記事。
生まれつき体の弱い妹を持った女性Aさんの話である。
彼女の妹は小さい頃から入退院を繰り返していた。
Aさんは「お姉ちゃんだから」「お姉ちゃんのくせに」と言われて育った。
小学生の頃、いつか本当のお母さんが迎えに来てくれるのを夢見ていた。

以前、このブログでも触れた事がある。
病児の兄弟の心のケアの問題である。病児の年上の兄弟でさえそうであるなら、年下の兄弟ならなおさらである。
病気の子供は病気との闘いに必死で頑張っている。でもその陰でその兄弟も同じくらいつらい気持ちを抱えている。しかも兄弟の心境は複雑で、自分の兄弟が病気で苦しんでいるのを知って、自分の寂しさを我慢してしまう。わがままを言えば親を失望させたり、嫌われてしまうのではないかと恐れ、今以上に「良い子」を演じてしまう。
親は精神的にも物理的にもいっぱいいっぱいです。
特に、あとわずかしか生きられない子のためなら敢えて他の子を犠牲にせざるをえません。
娘には4歳上の姉、5歳下の弟がいます。
姉は高校生でしたので、病気が切迫していることも知っていました。頭で理解してくれてはいましたが、受験の時期と重なっていたこともあって、精神的には追い詰められていたと思います。
弟は小学校2年生。まだまだ甘えたい盛りでした。学校から帰っても上の子が戻るまでは一人でお留守番。
私は、消灯まで病院にいて家に帰ります。
とにかく寝るときだけは一緒にいてやろうと決めていました。お布団に入って今日一日の話をします。それだけは欠かさないようにしていました。
でもこれも病院が付き添いのできない病院だったからできたことです。
不安げな娘を一人病室に残して帰るのは辛いことです。病院が許可してくれていたらきっと泊まっていたでしょう。娘にはかわいそうな事をしましたが、2年という長丁場を他の兄弟が乗り越えられたのも、娘の我慢があったからこそだと思います。

いま下の息子は言います。
「おらは一人で寂しかったんだから。」
コメント (2)
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