今日はとくに公務もなく、市民相談1件だけだったので、
先週に訪れた田原小中学校の資料を整理したり、
小中一貫校に関しての資料を集めたり、目を通したり
していました。
図書館に行き、教育関係の資料tに目を通したりしたのですが。
「生きる力」とは??という疑問に突き当ってしまいました。。。
「生きる」より「生き抜く」力では?
たとえば・・・・
動物でも、弱い動物(アフリカのサバンナでの闘争!)で
「生きる!」より「生き抜いた」ものが結局は
「生きる」こができる。
私ごとで言わせていただけば。・・
弟は「生き抜く」ことができませんでした。
画家を目指していた彼は、自分を責めて
「生きる」ことはかろうじてできていたのですが、
「生き抜く」ことができなかった。
昨日の市民体育祭をみていていも、思ったのですが
「生き抜く」力を周りが「ケガをすると危ないから・・」と
排除しているような感があります。
町内方とも話したのですが、
昔は自分でケガして「ああ、こういうことをすると
危ないんだ!」と身を持って学んだ。。
だから、喧嘩しても
「これだけ殴ると、。危ない」とか力の「加減」が
自然と身についていたように思います。
「生きる力」より
「生き抜く力」
何があっても立ち向かう「力」(精神的な強さ)
(自分には他人にはない、これがある!)という
自信(別に評価されなくても、一人称の自信)が
あることが「大事」では??と。。
かつて私の会社の後輩だった内閣法制局長官のお嬢様は
「付属のころ、いじめにあったけど、別にね~。。
バイトで社会を知ったしね、いじめる相手が
バカじゃないか・・・と思ったしね。
関係ないの、周りは。私は自分が毎日が楽しければ
いいんだもの。と思ってたな~高校のときは。
人の評価より、自分だからね!!」
と。。。
彼女のような「たくましい」子供をつくることが
大事ではないのでしょうか・・・
ラジオを聞いていたら、あるメールでの投書が紹介されて
いました。
その方は小中といじめにあい、
学校が辛くて辛くてしかたなかったそうです。
そのときにマラソンの君原選手の
「あの電柱まで・・」と思いながら走り続けた。。という
言葉を聞き、「オリンピックに出た選手が・・・」と
泣けたそうです。
「あの電柱まで」が自分を救ったと。
それからその方は「あと一時間」と思い続け、
登校し、卒業までこぎつけたそうです。
いまは「普通のサラリーマン」で家族にも同僚にも
恵まれた生活をしているそうです。
「生き抜く」ことに囚われて
結局、「視察報告会」の準備はできませんでした。
先週に訪れた田原小中学校の資料を整理したり、
小中一貫校に関しての資料を集めたり、目を通したり
していました。
図書館に行き、教育関係の資料tに目を通したりしたのですが。
「生きる力」とは??という疑問に突き当ってしまいました。。。
「生きる」より「生き抜く」力では?
たとえば・・・・
動物でも、弱い動物(アフリカのサバンナでの闘争!)で
「生きる!」より「生き抜いた」ものが結局は
「生きる」こができる。
私ごとで言わせていただけば。・・
弟は「生き抜く」ことができませんでした。
画家を目指していた彼は、自分を責めて
「生きる」ことはかろうじてできていたのですが、
「生き抜く」ことができなかった。
昨日の市民体育祭をみていていも、思ったのですが
「生き抜く」力を周りが「ケガをすると危ないから・・」と
排除しているような感があります。
町内方とも話したのですが、
昔は自分でケガして「ああ、こういうことをすると
危ないんだ!」と身を持って学んだ。。
だから、喧嘩しても
「これだけ殴ると、。危ない」とか力の「加減」が
自然と身についていたように思います。
「生きる力」より
「生き抜く力」
何があっても立ち向かう「力」(精神的な強さ)
(自分には他人にはない、これがある!)という
自信(別に評価されなくても、一人称の自信)が
あることが「大事」では??と。。
かつて私の会社の後輩だった内閣法制局長官のお嬢様は
「付属のころ、いじめにあったけど、別にね~。。
バイトで社会を知ったしね、いじめる相手が
バカじゃないか・・・と思ったしね。
関係ないの、周りは。私は自分が毎日が楽しければ
いいんだもの。と思ってたな~高校のときは。
人の評価より、自分だからね!!」
と。。。
彼女のような「たくましい」子供をつくることが
大事ではないのでしょうか・・・
ラジオを聞いていたら、あるメールでの投書が紹介されて
いました。
その方は小中といじめにあい、
学校が辛くて辛くてしかたなかったそうです。
そのときにマラソンの君原選手の
「あの電柱まで・・」と思いながら走り続けた。。という
言葉を聞き、「オリンピックに出た選手が・・・」と
泣けたそうです。
「あの電柱まで」が自分を救ったと。
それからその方は「あと一時間」と思い続け、
登校し、卒業までこぎつけたそうです。
いまは「普通のサラリーマン」で家族にも同僚にも
恵まれた生活をしているそうです。
「生き抜く」ことに囚われて
結局、「視察報告会」の準備はできませんでした。