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その後(おしまい)

2016年02月12日 | 旅行(帰省編)
なんてまあ、タイミング良く旅立ったことでしょう!あと少し遅かったら除夜の鐘が鳴ってる時に医者呼んだり、お坊さん呼んだり、葬儀場に連絡したりしなくてはならなかった。
とはいえ、急いで医者を呼び、死亡診断書を書いてもらい、葬儀屋に来てもらい、火葬の日にちを決め、ほろ酔い気分の坊さんに来てもらい、気がついたら年が明けていた。年末年始に亡くなるといろいろ大変でした。葬儀場も空いてなくて火葬場も休みだし、結局2晩も自宅で安置することになり、やっぱり正月をみんなで迎えたのだった。喪中になってしまい、母などは世間のおめでたい場所には行きたくない。としばらく言っていた。

生前から家族葬と決めていたが、近くの親戚は呼んだほうがいいか?近所の連絡は?と、悩む必要もなく、ちょうど日にちが日にちなので、正月明けてから事後報告で済ませることができたのも父が日にちを選んで逝ったとしか思えない。兄も仕事が休みの年末年始だったし。私も暇なシーズンオフで自由に動けた。

去年の春からカウントダウンは始まっていたのに並々ならぬ頑丈な身体だったのだ。医者がいうには、絶対しんどかったはずなのに弱音を一度も吐かなかったですね。って。薬の影響でワガママ暴君にはなったけどね。しかし、病院で死を迎える場合と比べて自宅で看取るというのは、思っていたより大変なことだった。症状は刻一刻と変わるし、対処する家族も何もかも初めての経験で、本人の気持ちと家族の気持ちのギャップ。死を待つような複雑な心境。

1番困るのが、間質性肺炎の病気の症状の複雑さ。数時間前まで普通だったのが、いきなり全身の力が抜けて動かなくなること。ステロイドの薬が効くと魔法のように頭がハッキリして食欲がわくこと。緑内障の目が見えなくなったこと。そして、一体どうなったら終末なのか?その目印は何なのか?酸素は足りているのに悪いのか?血圧?脈?数値をネットで調べまくって状態を素人なりに確認する日々。個人差という難しさ。すべて終わった後では何だか遠いことのようだ。

しかし、今回肉親の死を間近で観察できたことは、ものすごく良かった。人間はこうやって枯れて死んでいくのか。そして灰になる。死生観というか、人間、身体、生きてること、死んでいくこと。みんないつかは死んでいく。さっきまで生きていた人も。自分も。死んだらおしまい。何もできない。生きてるだけで儲けもん。もうちょっと頑張って、やりたいと思うことがあるのならやりましょう。先のことは頑張った分だけは何か変わるはず。そう信じていくしかない。

そんなこと考える今日この頃です。

父の介護中の笑ネタを最後に。
ある日、兄に任せて母と二人で買い物に出かけていた時のことです。口が乾きやすいので唇や口腔内に塗るジェルがあるのですが、父が兄にそれを塗ってくれと頼んだら、不慣れな兄は、そのジェルがどれだか知らず、近くにあったジェルをみつけて「これか?」と、父に聞いたらしい。父は目が見えないので舐めさせたら「なんかいつもと味が違うけど、いいや、それで」と、それを口に塗ったそうだ。
私たちが帰ってみたら、それは座薬を入れる時に座薬の先に塗るものだったのだ~!!!!!
不謹慎ですが、もう、お腹抱えて笑った。笑った。看護師さんにも白状したけど、何度思い出しても笑えるので葬式中にも思い出して困った。知らぬは仏様だけ~
いやはや、ネタとして家族間では語り継がれることでしょう・・・


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