はてなばばあ

気まぐれに自分メモ的に書いてます。

続きです。(長文)

2016年01月11日 | 旅行(帰省編)
在宅介護を始めた時には、容態が悪化しても救急車を呼ばず最期まで自宅で看とると決めていたけれど、次々に問題が発生する中で、これが一体いつまで続くのか?という言いようもない不安に苛まれ、病院に入院しても特別に治療できることはないけれど、一旦家族の体力と気力を回復させる為に入院してもらった。

入院時に色んな検査をされたので、現状の把握が医者はできたと思うのだが、本人はもちろん家族にもハッキリとは何も告げられず、あやふやなままでの入院生活が始まった。目が不自由な為、食事の介助など世話が必要だったので母が朝昼晩と病院に通ったが、母としては気が休まる時間が取れて夜も起こされずにぐっすり眠れるようになり、少し元気を取り戻した。

父は救急車で運ばれた後は、アチコチ検査されて点滴につながれベットも古いタイプの手動だったので自分ではベットを起こせず完全に自由が効かなくなった。
大部屋しか空いてなかったので窓のないカーテンで仕切られた暗い部屋での生活。夜なのか?昼なのか?すらわからない。ステロイドを大量に投与されると毎晩幻覚を見て不安が倍増、看護士さんに薬を飲ませてもらう時にも疑心暗鬼になって暴言を吐いたりしたらしい。

薬の影響もあり、しょっちゅう口が渇くのだが目が見えないので誰かに水を取ってもらわねばならず、夜はナースコールすらどこにあるのかわからなくなって混乱したらしい。時間もわからないので、視覚障害者用の音声で時間を告げる時計をベットの上に置いておくのだが、それも行方不明になり探しまくる。
自宅ではラジオをつけっぱなしにしていたので唯一の楽しみはラジオを聴くことだったのに、大部屋ではイヤホンを付けなくてはならず、それがまた行方不明になる。
慣れるまでは実に不便でかわいそうだった。全てのモノをベットの柵に縛り付けたり手に紐でくくったり、工夫をすればだんだん解決していったが、焦って動くたびにオムツが外れて朝まで濡れたままの状態で過ごした日々が辛かったと思う。

さて、治療の方は、ステロイド点滴の大量投与を3日続けると一旦回復して食欲が出て普通に会話をするようになる。すると、なんで入院してるのか?と疑問に思えるぐらい元気になる。とはいっても自分では立ち上がれないし歩けないんだけど。医者に「調子はどうですか?」と聞かれれば「まあまあです」と答えていた。後で本人に聞いたら「そう答えておけば問題ないだろ?」だって!まったく!

しかし、その回復も2日が限度で、すぐに具合が悪くなり熱を出す。すると点滴が始まり悪夢の繰り返し。もうステロイドが効かなくなってきたことを確信した。ジェットコースターみたいな体調に振り回されて、家族は気持ちのやり場がない。良くなることはないので、これを繰り返しながら徐々に悪くなり最期を迎えるだけの未来に呆然となった。
いつまで?この先どうなるのか?インターネットでひっきりなしに病状を照らし合わせてみたりしても不安は無くならず、本人が帰りたがったので、一か八かと医者に言われながらも退院させて自宅に戻した。

(つづく…)

突発性間質性肺炎の在宅介護を終えて(1)

2016年01月10日 | 旅行(帰省編)
ちょっと話がとんでしまいますが・・・

年末に亡くなった父の病気、突発性間質性肺炎というやっかいな病気のことについて少しメモしておこうと思います。

誰でも医者から病名を告げられると、まずはネットや本などで病気のあらましを調べるわけだが、この病気についての詳細な情報がなかなか手に入らなくて苦労した。同じ病気でも進行の度合いや症状には個人差があるけれど、今の時代は自力で情報を集めることができる。一つの例としてメモしておこうと思います。どこかで誰かの参考になれば幸いです。

父(享年82歳)の経緯について
数年前から緑内障他の目の疾患により視力がほとんどなくなっており、前立腺ガンも患っていたが手術や放射線治療はせずホルモン療法のみを続けていた矢先、どうも様子がおかしいと気が付き、初めて間質性肺炎という診断を受けたのが約1年半前。
本人にはこれが治らない難病であることは最後まで告げなかったが、本人の意思でガンのホルモン薬や痛風の薬など肺以外の薬は一切止めて肺の治療だけに専念することにした。治療といっても、まずは吸引のみを半年ほど続ける。が、去年5月頃急に具合が悪くなり、食事がとれなくなると体重が一気に20kgぐらい減って、みるみるうちに衰弱してしまった。通院もままならない状態になってしまったことと、その時の担当医への不信感もあり、母がネットで在宅医療を専門にしているクリニックを探し在宅介護を開始する。

延命治療は行わず苦しみだけを排除する内容を希望して、緑内障が酷くなる副作用を覚悟した上で大量のステロイド薬を飲み始める。ステロイド薬が効かない場合は打つ手がなかったのだが、父の場合とてもよく効き、少し食欲も出て、家の中をヨロヨロしながらでも歩けるようになった。

しかし、医者の話では長くて3ヶ月ぐらいで薬が効かなくなると聞いていたので家族はそれなりに覚悟した。基本母が一人で介護したのだが、なんとか薬が効いていた約5ヶ月間(今思えば、随分効いていたことになる)は、つきっきりで介護するというほどでもなく、介護する方も2時間ぐらいは1人で留守番させて外出したりする余裕もあった。おまけに父の場合は元々人並み以上の体力と肺活量があったので、リハビリも頑張り酸素吸入もせずに過ごせていた。意外と長生きするんじゃなの~?と、家族も錯覚してしまうぐらいになっていく。

だが、だんだん発作というか、ある日突然グッタリして動けなくなるようになることが多くなった。その度に先生を呼んでステロイド点滴を打つ。すると、また元気に回復して家族を驚かせる。その繰り返しが始まった。
これは、本当にやっかいなことで、嘘みたいに回復するわけです。食欲も。(本人的には、このまま元気になっていくと思いこんでしまうぐらいに!)しかし、具合が悪くなる時とステロイド点滴の間は副作用もあって、目が全く見えなくなるし、機嫌が悪くなり、幻覚も見て、人格すら変わり、介護していた母は気持ちのコントロールがうまくできなくなり寝不足が続き、目に見えて疲れがたまっていった。
私が本格的に実家に滞在して、母の手助けをし始めたのが11月。それからは、あっという間に悪くなっていき、熱が上がったのをきっかけに12月初めに病院に入院。

つづく…