結局、有田に引っ越してきても、生活費は屋久杉土産品のこれらが頼みの綱となっている。
ありがたいことに、受け入れてくれるうちは作らせていただきます。
長年作ってきただけあって、作り始めれば結構手早く作れる。
手早く数作れて売れるから仕事として成り立つのだ。
いつも錬金術だと茶化しているが、そんなに楽な仕事ではない。最後のパッケージまでの工程は全て自分の手作業だ。働いた分だけしか収入はない。当たり前だがそんな暮らし。
今日は朝から焼きペンで猿の顔を描き、金具を取り付けて、淡々と内職作業をしていたら色んなことを思い出した。そういや、夏のハイシーズンは毎晩ストラップを編んだり、常に内職しながらテレビ見てたっけ。店に並べるモノが足りなくなって必死で明けても暮れても作り続けて生きてきた。多品種少量生産だったけど年間何百個も世の中に送り出してきた。今はペースダウンしてしまったが、今でもどこかの誰かの手元に届いている。
作りたいモノを作る為、やりたいことをやる為には、多少の犠牲は必要で、どんな仕事も楽な仕事なんてないのだ。陶芸ではまだまだ仕事としては成り立たないので、今は木工細工で生活費を稼ぐしかない。でも、あれ?と、今日は気がついたのだ。木工でも自分の作品とか作りたいモノとかって、仕事として成り立ってなかったじゃないか?と。ウチのおっさんもそうだろ?はっきりいって、木工のカトラリーとか値段次第では完全に赤字だった。手間暇かけて作れば作るほど儲からない。いわゆる世間一般の人がイメージする木工品の品揃えだけで利益をあげていくには困難な業界なのだ。かといって、誰が作っても同じというわけでもなく、やはりそれなりの出来不出来もある。センスもある。難しいね。こういうことって。
職人が暮らしていくには今の日本は厳しい現実だ。陶芸も同じ。腕がいいのに生かせない人も多いだろう。毎年何人も職人養成所から卒業してきて、一体何人が残るのだろう?・・・おっと、話がそれてしまった。
やっぱ、今までだって、このチマチマとした土産品を日々作ることで我が家は暮らしてきたんじゃないか?そうか。これが柱だったのか。大黒柱は、この小さなモノたちだったのだ。そう気がついたら妙に愛おしくなってきた。
どうか、買ってくれた人に福が来ますように〜!
ありがたいことに、受け入れてくれるうちは作らせていただきます。
長年作ってきただけあって、作り始めれば結構手早く作れる。
手早く数作れて売れるから仕事として成り立つのだ。
いつも錬金術だと茶化しているが、そんなに楽な仕事ではない。最後のパッケージまでの工程は全て自分の手作業だ。働いた分だけしか収入はない。当たり前だがそんな暮らし。
今日は朝から焼きペンで猿の顔を描き、金具を取り付けて、淡々と内職作業をしていたら色んなことを思い出した。そういや、夏のハイシーズンは毎晩ストラップを編んだり、常に内職しながらテレビ見てたっけ。店に並べるモノが足りなくなって必死で明けても暮れても作り続けて生きてきた。多品種少量生産だったけど年間何百個も世の中に送り出してきた。今はペースダウンしてしまったが、今でもどこかの誰かの手元に届いている。
作りたいモノを作る為、やりたいことをやる為には、多少の犠牲は必要で、どんな仕事も楽な仕事なんてないのだ。陶芸ではまだまだ仕事としては成り立たないので、今は木工細工で生活費を稼ぐしかない。でも、あれ?と、今日は気がついたのだ。木工でも自分の作品とか作りたいモノとかって、仕事として成り立ってなかったじゃないか?と。ウチのおっさんもそうだろ?はっきりいって、木工のカトラリーとか値段次第では完全に赤字だった。手間暇かけて作れば作るほど儲からない。いわゆる世間一般の人がイメージする木工品の品揃えだけで利益をあげていくには困難な業界なのだ。かといって、誰が作っても同じというわけでもなく、やはりそれなりの出来不出来もある。センスもある。難しいね。こういうことって。
職人が暮らしていくには今の日本は厳しい現実だ。陶芸も同じ。腕がいいのに生かせない人も多いだろう。毎年何人も職人養成所から卒業してきて、一体何人が残るのだろう?・・・おっと、話がそれてしまった。
やっぱ、今までだって、このチマチマとした土産品を日々作ることで我が家は暮らしてきたんじゃないか?そうか。これが柱だったのか。大黒柱は、この小さなモノたちだったのだ。そう気がついたら妙に愛おしくなってきた。
どうか、買ってくれた人に福が来ますように〜!