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この場合の「ゆるし」は、「赦し」です。
それでは、「許し」と「赦し」はどう違うのでしょうか。上手に説明されている方があったので引用させていただきました。
「許し」は、「許可する」というような意味合いがあり、行為や行動の前段階でのこと。
「赦し」は、すでに起こってしまった出来事や過ちに対して、「恩赦」をしたり、裁かずに受け入れることを指す。
愛することが十分にできない人とは、全ての人間のことです。好きな人を愛することはいくらでもできますが、嫌いな人憎い人を好きになるには、赦すという過程を通らなければいけません。その為に実践されるのが愛だと言っています。
憎しみや復讐心を原動力にする人もいるかもしれませんが、赦さないと思うことで、その人自身の心も縛られていく気がします。
嫌な人を遠ざけて離れることは一つの解決法です。
それでも心にひっかかるものを抱えているのであれば、赦すことで、心の重荷は軽くなると思います。
ただ、ヘンリー・ナウエンがここで言いたかったのは、赦すために「がんばれ!」ということではないと思います。
愛の足りない人間には、それほど簡単に人を赦すことはできない、それによって双方が苦しんでいる現実がある。神に頼りなさい、助けを求めなさい、努力によってできることには限界があるから「愛である神」の元で重荷を下ろし、神の豊かな愛をいただきなさい、裁きは神がされる、赦す力は神がくださると言っている気がしました。
私の場合、幸い、相手を赦す、赦さないと言った出来事には余り遭ったことがなく、どちらかと言えば、自分の言動などを思い返して、「あの時のことを赦してください」という思いになることが多いなあと反省することしきりです。で、一度、友人に、「あの時、私が言ったこと、きつかったと思うわ。ほんま、赦してな」と言ったことがありますが、「えっ、何のこと?一つも覚えてないわ」と言われたことがあります。まあ、たわいのないことの方が多いと言うことかもわかりませんが、自分が気づかないまま、相手を傷つけていたことが沢山あるだろうなあと思うばかりです。
おしゃべり花さんの言われていることは、そのようなレベルではなく、もっと深刻な場合を指しているのだと思います。ホント、相手を赦す、赦さないという思いに捕らわれてしまう出来事などに出遭わない方が、絶対に良いに決まっているし、最初から、そんな出来事を作らないようにすべきなのですが、中々、そうは行かないのが常ですよね。人間のサガを感じてしまいます。でも、赦せないという現実に陥っても、そこから立ち上がり、前向きに進むべき道を開き、状況を好転させていく人もいるのも事実です。素晴らしいなと思うことがあります。
「赦せない」という縛りを解き放つことの大事さを考えさせられました。
心の問題は、簡単には解決できません。自分で切り替えることや解決することが難しい場合が多いです。ヘンリ・ナウエンは、それでも私たちの中には、「愛がある」だからできると言っています。十分にはできないけれど、あるという所にフォーカスして歩みたいと思います。