会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

登米市登米町へ

2015-11-06 18:42:30 | 旅行
2015年11月6日(金)晴 17.1℃~4.5℃
「みやぎの明治村を散策」

 南三陸沿岸から国道45号を南下し内陸部へ移動し「道の駅もくもくランド」へ着いた。あちこちに道の駅があるが、最近の道の駅のはいろいろな施設があって広い。





「もくもくハウス」へ入り、手作りの木工品のすばらしさに感動した。木のぬくもりはいい。


次は昼時だったのでお食事処「木里口」へ。市内産の食材を使って作られる「地元の味」が手軽に味わえるレストラン。ご当地料理の「はっと鍋」の他、B級グルメとして有名になった登米市の名物「油麩丼」などが特に人気です。各人それぞれ好きな物を食べた。
 
 雨がひどくなり急いで車に乗り、「みやぎの明治村」へ。
 ゆっくりと散策する予定だったが、最初に見学した教育施設の木造建築小学校で時間を取りすぎたため予定を変更して警察署の見学をして帰路に着いた。




※教育施設 小学校:
 明治二十一年(1888)の建築で、山添喜三郎建築技師の設計による和洋折衷の意匠です。
100年を経た今日まで寸分の狂いも生じないため、建築界の話題となりました。
明治期の洋風建築として名高く、国の重要文化財に指定されており、教科書などを展示する「教育資料館」として1989年に保存修復作業が行われ復元され、一般に公開されています。

木造2階建、素木造、瓦葺屋根造りの建築面積845㎡、延べ床面積1607㎡の校舎です。
東西に長さ41・8mを保ち、両翼に長さ20mを配置した凹型の平面形です。正面校舎中央1階にはギリシャ風のペディメントをつけた擬洋風建築で吹抜式玄関が突出し、2階は吹き抜けのバルコニーになっています。また、両翼校舎の先端には六角形を半分にした形の生徒用の出入口があります。明治の学校建築の特色を残している校舎です。
 
※「みやぎの明治村」:
北上川西側の城下町、登米(とよま)町には、明治時代に建造された小学校、県庁、警察署などのハイカラな洋風建築物が残り当時の面影を今に伝えています。また重厚な蔵造りの商家や鈎型小路、藩政時代の武家屋敷や史跡など、江戸や明治を思わせる建物も数多く現存しており、その町並みから「みやぎの明治村」と呼ばれ親しまれています。





二日間 ジャンボタクシーでの旅行だったが、非常に実り多く所期の目的を達することができた。
 12月の味覚会例会は「新蕎麦と天ぷら」。仲間と料理を楽しむことができて生きがいを感じる。
 

南三陸の復旧・復興

2015-11-05 18:06:03 | 旅行
2015年11月5日(木)晴 17.0℃~4.4℃
「大島・気仙沼港・南三陸市をめぐって」

 気仙沼市 大島一泊研修旅行の二日目(11月2日)は、前日とは一転して雨。民宿石田屋の車で大島浦の浜港へ。
 昨日は急いで車に乗り周辺の様子を見る時間もなかったが、定期船出港まで若干時間があったので周辺を散策した。約1メートルのかさ上げ復旧工事が続いていた。たった1メートルでは、今回のような津波が来れば災害は防げないと思うのだが、漁師にとってはこの1mが大変な高さ、満潮の時はよいが干潮の時は船からの荷揚げは2m以上になり梯子が必要となるそうだ。
 仮設住宅などは16m以上の高台に建てられていたので防災対策はなさているので安心した。



 定期船で気仙沼港に着き復興応援のために”気仙沼お魚いちば”で海産物などのお土産を買った。近くには”復興屋台村”があったが、朝が早かったので開店していなかった。この港の周辺もいまだ復旧工事中。







 国道45号を南下し南三陸市へ。雨が降っているので車窓から沿岸を眺めた。ブルトーザー・トラックなどの工事車両、かさ上げの土盛り工事が延々と続いている。かなり走ったが、3月14日、震災直後から約4年8月が経過した津波で損傷した建物やガレキの山は消え、高さ約10mほどの盛り土が、平野を埋め尽くす万里の長城のようにまだまだ連なっていた。津波に耐える新しい市街地を、この上に建設するためだ。今後2年後あたりに完成予定。



 この盛り土の谷間に、赤い骨組みだけの建物が見えてきた。旧南三陸町役場の防災対策庁舎だ。この庁舎をめぐり「保存」か「解体」かで、町が真っ二つに割れている。「被害を伝えるために震災遺構として残すべきだ」という声もあれば、「震災を思い出してしまう」という声もある。津波被害のシンボルをどうすべきか、人口1万4000人の小さな町が揺れている現場を訪ねた。



「津波が襲来しています。高台に避難してください」。町職員遠藤未希さん(24)は放送室に駆け込み、防災無線で懸命にアナウンスしていた現場。
この建物の前に立って、観光地の物見のような気持になれなかった。心からの哀悼の気持ちを込めて合掌した。

宮城県の三陸海岸の一部を視察したが、東日本大震災の復興はまだまだ途半ばだと思った。この震災と東電の原発事故に遇った福島県の復興は気の遠くなる時間がかるのだろ。








三陸復興国立公園 

2015-11-05 17:43:29 | 旅行
2015年11月4日(水)晴後雨 15.8℃~5.2℃
「大島一周 漁師の宿 民宿石田屋」

 14時20分大島裏の浜に着いた。予約していた民宿石田の主人が出迎えてくれた。車に乗り三陸復興国立公園となった大島を視察。
(大島は周囲22km、人口5,000人の三陸沿岸最大の島で周辺はノリ、牡蠣、ウニ等の魚介類に恵まれている。また、気仙沼港に漁場より毎日新鮮な魚介類が水揚げされている)
 はじめに大島の北側に位置する標高235mの亀山へ。山頂からは唐桑瀬戸や浦の浜、田中浜・小田の浜(海浜水浴場)を一望し、リアス式海岸の美しいパノラマが広がっている。亀山の中腹には、古い歴史を誇る大島神社がある。
 眼下に見える場所で4年8ヶ月前に16M以上の津波が襲い、家屋が倒壊、養殖いかだや漁船が流され、34名がなくなられたのである。
 亀山を後にして大島の最南端にある龍舞埼へ(ここから望む太平洋には海蝕による岩礁の景観がある)。約2時間の島めぐりを終えて宿へ。








民宿石田屋は、遠洋マグロ漁船の漁師の宿主が退職して開業した宿である。
「自ら漁に出て水揚げするヒラメやアイナメ、クロソイなどの季節の魚介と自家養殖している鮮度が命のホタテ、自家栽培の野菜など地場の食材をメインにした海鮮料理。漁師の宿ならではの素材を活かした海の幸を自信を持って皆様にご提供しています。
お膳の内容はその日の漁で変わりますが、できるだけお客様のご希望にお応えできるよう事前にご予算をお伺いしています。6月から8月までの殻付ウニ、11月からのアワビもご用意できますのでお気軽にお問い合わせください。」





 宿泊者は我々だけであったので、宿主が遠洋漁業にでていたこと、宿泊者のために、ホタテ、牡蠣、ワカメなどを養殖していること、体験宿泊で中学生や、高校生がやってくること、震災時のことや復興のことなど話してくれた。
アイナメ、ヒラメ、ホタテなどの刺身船盛、カニ、イカ、マグロ、サンマの刺身、牡蠣、ほやの酢の物など食べきれないほど海のものが出た。
写真を撮り忘れたので、投稿されている写真をお借りしました。

東日本大震災の復興は?

2015-11-03 18:05:21 | 旅行
2015年11月3日(火)晴後雨 16.0℃~8.5℃
「気仙沼市 大島一泊旅行」

 男の料理「味覚会」では、毎月講師を頼み、チャーハン、餃子、天ぷら、丼もの、肉料理、旬の魚をさばく・包丁を研ぐ、蕎麦・うどん、寿司などの料理を学んでいる。また、研修と称して美味しいものを食べる旅をしている。昨年は日帰りで新潟県村上市へ鮭漁見学や鮭の料理を食べに行った。今年は1泊2日の年。会津盆地に住んでいいるので、海があるところへという意見が出た。それでは、東日本大震災の被災地の復興の現状を視察し、応援の気持ちを込めて 宿泊、食事、お土産などでいくらかでも消費しようと「宮城県気仙沼市大島、南三陸方面」に計画しジャンボタクシー(参加者7名)で旅行を実施した。
気仙沼港の現状は湾内に多くの漁船などが停泊し震災の跡は?と思ったが、フェリーの乗り場はプレハブ。港湾周辺はまだまだ復旧していず工事中である。約20分のフェリーの船旅で大島へ。



<旅行日程>
 11月1日(日)
   6時50分集合 会津若松駅前ロータリー
   7:00発 会津若松駅前 ⇒会津若松IC(磐越道)(東北道) ⇒一関IC
  11:00発 一関IC ⇒R284 ⇒気仙沼港 着   
  12:45 昼食(気仙沼港 おさかな市場)
  13:40発 定期線 ⇒大島浦の浜港 着
  14:20発 島内視察 ⇒ 民宿送迎バス(1~1.5時間)
  15:45着 民宿「石田」 

 11月2日(月)
   8:00発 民宿「石田」
   8:40発 定期線 ⇒気仙沼港 着
   9:30発 気仙沼港 ⇒R45 ⇒南三陸町
  11:15発 南三陸町 ⇒R45 ⇒登米町 明治村
  12:15  昼食(明治村 とよま観光物産センター内)
         =昼食後 明治村施設観光=
  15:00発 登米町明治村 ⇒桃生津山IC(三陸自動車道)(東北道)
         ⇒会津若松IC
  18:40着 会津若松駅前ロータリー  解散