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会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

戊辰150年 その11

2018-06-08 19:22:02 | Weblog
2018年6月8日(金)晴 32.1℃~17.3℃
「会津戦争と鶴ヶ城籠城戦など」

 毎日暑い日が続き外での仕事は避けたかったが、どうしてもしなくてはならない野菜苗の植え付け、支柱、追肥、種蒔き、水やり、空き地の除草、植木棚の処分など無理した。熱中症には気をつけたが夕方には脱水状態になることがしばしばだった。少し先行きが見えて来たのでほっとしている。明日あたり近所の焼肉店「磐梯山」で、馬刺しを肴に生ビールでも飲んで元気をとりもどしたい。
会津で馬の肉は何時食べるようになったのでしょうか?

 会津戦争の傷病者を日新館の病院で世話するときに、体力を付けさせるために馬や牛の肉を煮て食べさせたのが始まり。
 太平洋戦争後、プロレス巡業で会津に来た力道山が馬の生肉を食べた(馬刺し)

ろうきん若松支店の講演を聴講して”会津戦争についていろいろと知ることができ、自分なりに振り返ってみた。
講師の石田明夫氏は、NHK大河ドラマ「天地人」や「八重の桜」で取材や撮影同行、民報局の放映に協力し活動されている。先日は”マツコ・デラックスの修学旅行(会津若松)でも協力された。今後も幾つかのテレビ出演がある。また、氏のホームページをみると講演等でスケジュールがいっぱい。
石田氏のご好意でいくつかの画像をお借り出来ましたのでみてください。

 会津戦争とはどのような戦争でしょうか?
 幕末の大きな世界情勢、中国大陸「清」が崩壊。植民地を広げるイギリス、フランス、ロシアなどの脅威、ペリー来航開国、対応できない幕府。
 国内的には、薩摩・長州・公家の討幕の動き。会津藩にとっては、辞退しきれなかった京都守護職の拝命。孝明天皇の急死。鳥羽伏見の戦いでの敗北。偽の勅命と錦の御旗を作成し使う西軍(南北朝時代のもの?)。尊王を第一にする諸藩の対応。15代将軍松平慶喜が松平容保を同行させて江戸に帰って恭順。江戸城無血開城。会津藩も幾度も恭順を嘆願するが受け入れられない。
 白河戦争で奥羽越連盟が乱れ敗れる。二本松藩、三春藩、棚倉藩なども落城。母成峠の戦いで敗れる。(福島へ向かうか?の判断ミスと守備兵の不足)
 会津へ一気に侵攻。猪苗代の亀ヶ城や土津神社を焼き、若松へ退去。間をおかず西軍は十六橋を突破。会津藩にとっては予想外の早さ。橋の爆破ができなかった。
 鶴ヶ城籠城。精鋭の武士が居なくても、老人、幼少の若者、婦人、志願した農民、町民などで1ヶ月籠城。鉄砲など武器の威力や飛距離が違うが、鶴ヶ城の天守閣は崩壊しなかった。名城と会津人の”義”の心がまとまって戦い抜いた。落城でなく開城である。
日新館の什の掟「うそをついてはなりません。 ならぬことはならぬものです。略」この教えが幕末の領民全部に浸透していたのだろう。
 
 昨今の政財界、運動系、文科系問わず、忖度しことをすすめる。記録がない。記憶がない。文書改ざんなど国会で平気でうそを言う。
見つからなかった文書が大量にみつかったり、会ったことのない人と言っていたのが実は会っていたなど素人でも明らかにわかることを答弁する。
日本国をリードすべき政治家や官僚がこのありさま。
会津の政治家「表紙が変わっても中身が変わらなければダメといって総理大臣にならなかった。このような政治家が輩出して来ない日本が嘆かわしい。
 政治家のみなさん、ダメなものはダメ。特に嘘はダメと声を上げて「もり、かけ」問題に向き合ってほしい。








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