阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

昭和60年頃の首都高速都心環状線一周 (車載カメラ)  1985

2018年11月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事

昭和60年頃の首都高速都心環状線一周 (車載カメラ) Shuto Expressway C1 Loop 1985

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元特捜検事の弁護士「郷原信郎」さんのブログから。     「ゴーン氏逮捕事実の“唖然”」

2018年11月27日 | ゲストルーム


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ブログのご紹介。病弱で、極端な薬物過敏症のために、薬での治療が難しく、逆に副作用でいろいろと経験値を重ねているブロガーのブログ。

2018年11月26日 | ゲストルーム

Well being lab

昔から病弱で、極端な薬物過敏症のために、薬での治療が難しく、逆に副作用でいろいろと経験値を重ねている私ですが、せっかくだから、この長期にわたる豊富な患者経験値と、分子生物学の知識を融合させて、病気を持っていろいろと困っている人向けの情報を発信し、シェアしようと立ち上げました。

健康を扱うサイトは多くありますが、その多くは、健常者を相手にして構成されていますよね。病気を抱え、薬を服用していたり、ちょっと気になる症状が出てきた場合、「これって私に当てはまるの?」とか「私の場合はどうしたらいいの?」とか、思ったことありませんか?

私は、外科的手術を複数回受けています。ずっと昔から、病気そのものによる症状や、薬物過敏症からくる副作用など、いろいろと悩み、試行錯誤してきました。

だからこのたび、「一病息災」から考える健康について語り合える、相談し合えるサイトを目指そう、そういう思いで立ち上げました。

趣味の家庭菜園・ガーデニングの情報も掲載中です。」

 

ブログはこちら阿智胡地亭は早速お気に入りに入れていつでもアクセスできるようにしました。

  花いちもんめで月1回の「健康トーク」を行っている もとしろ けいこさん

本名:本庄(ほんじょう)圭子 綾西在住

 

専門知識を地元に還元

 ○…バザール商店街の花いちもんめで毎月第1水曜、健康トークを行っている。体が弱く自分の身を自分で守るため身に付けた知識を、より多くの人に知ってもらおうと今年6月から行っている。専門家として本来ならそれなりの講演料を要するが、「地域に恩返ししたい」という思いから費用は資料代5百円のみ。骨粗鬆症や認知症、栄養、口腔疾患など日常で役立つ身近な知識を伝える。

 ○…祖父は電子工学エンジニアで父はその研究者。妹もITエンジニア。子どもの頃、友人宅の最新掃除機が羨ましくて自宅の古いものを壊そうと妹と分解したら、父に直されたというのはエンジニア一家らしいエピソード。1歳半から綾瀬で育ち、父の転勤で中3で渡米。アラバマ大学でサイエンスの学位を取得し、帰国後は糖尿病専門の研究所に。研究を深めるためカリフォルニア州立大学に入り直し、基礎医学となる分子生物学を学ぶ。遺伝子スクリーニングで身に付けた論文を読む知識が今、役立っている。

 ○…現在はパートとして研究所に勤める傍ら、企業でのセミナーや講演を行っている。体が弱いため収入が途切れないよう、サプリメントの代理店も務めている。趣味はガーデニングと家庭菜園。育てるのが好きで、「新しい肥料の配合を見つけては試している」と研究者らしい発言。「収穫は母の担当で、父が食べる担当なんです」とはにかむ。

 ○…「昔の常識が、最新の研究で違うと判明することは多い。最新の論文を読めるから知れる知識を伝えたい」と話す。その背景にあるのは、米国での生活。「高齢化が進むことで、もし日本が米国と同じ医療制度になったら大変なことになる。自分の身を守るために個々がもっと知識をつけないと。この活動が一助になれば」と思いを語った。

タウンニュース 綾瀬版 人物風土記から引用。

 

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中川船番所資料館で伊能忠敬特別展を見たあと小名木川沿いを歩いた。昼食は老舗の「平太」でビフテキを。

2018年11月26日 | 東京あちこち

江戸幕府の人口運河「小名木川」は真っすぐ隅田川まで続く。運河の両側には多様な集合住宅が並んでいる。

時分時になったのでそろそろ西大島あたりと見当をつけて運河の側道から上へあがると正解だった。

古い洋食屋風の店があったがいったん通り過ぎた。しかし美味いもんスキのセンサーが頭の中で鳴って「入れ入れ」という。
戻って店に入ると年配の夫婦者がやっているとんかつ・ステーキ屋だった。



メニューの一番頭にあるビーフステーキを頼んだ。店としても仕入れの一番多いウリもののはずだ。旨かった。



オーナーに話を聞くとここで店を開いて23年。前は深川の方でやっていたと。客あしらいの丁寧な年の頃65歳くらいのよき御仁だった。
店を出てまた小名木川の方に戻った。さすがインド人のIT技術者が家族で多く住むという西大島。インド人学校の建物があった。

そして古い鉄道線と架橋も。



橋が4面かかっている場所に出た。





4方向を見た。







運河の中には大きな魚が泳いでいた。





見た瞬間は精巧な彫刻だなと思ったら動いた(笑)。しらさぎだった。よく人に慣れていて動じない。ロンドンの公園のようで嬉しくなった。



葦が美しい。



扇橋閘門の所で工事をやっていた。

側道から上がった。隅田川までは次回機会があれば歩こう。



ここから北へ行くと錦糸町になることがわかった。二駅分あるいたことになる。よく歩いたものだ。

交差点のすぐ向こうにバス停があった。見ると東京駅前の丸の内北口から錦糸町を結んでいる路線で以前全線乗ったバスだった。

途中の住吉で降りて都営新宿線に乗り東大島駅まで戻り、折よく5分待ちできたバスで帰り、幼稚園の迎えもして帰った。

この日の歩数:14574歩











 

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1966 昭和東京、過去の日々の中の日常生活。   動画

2018年11月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事
Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966 昭和東京。

この年阿智胡地亭の新入社員生活が四国愛媛県の工場で始まった。
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日本武道館に「第2回 都道府県対抗弓道大会」を見に行く    その1

2018年11月25日 | 東京あちこち
ときどき弓を引く人をみたくなる。神戸にいた時は労災病院の帰りに王子弓道場で弓をひく姿を見ることが出来たが、東京では住まいの近辺に弓道場はない。
尊敬する「井上ひさし」さんが卒業した大学の弓道部師範を友人がしているので、メールでどこか試合を見ることが出来る機会と場所を教えてほしいと問い合わせた。
返事をすぐもらった。大学はいまリーグ戦の最中だが一般人が学生の試合を見るのは難しい。11月24日に日本武道館で都道府県弓道大会がありますよと教えてもらった。
日本武道館ならまだ行ったことがないのでいいチャンスだと思いでかけた。

北の丸公園の中に入るのも初めてだ。













大きな銀杏の葉は今年はあまり美しいとは言えない。



館内は誰でも入館できたが人は選手と関係者だけで、いい緊張感が流れていた。都道府県対抗での大会はまだ2回目というのに少し驚いた。

ああこういう姿を観たかったんだと思った。矢音も聞こえるような気がするが定かではない。的を射抜いた時の乾いたズんという音が気持ちがいい。
これは弓を引いたことがある人間には嬉しい音色だ。射場は4面拵えてあるから、同じ時間帯に4チームが立つ。
ほんの短い時間だが、的を外した土の鈍い音と射抜いた和紙の乾いた音が切れ目なく、ほぼ同時に館内に響くのは、まるで不思議な曲を聴いているようだった。





私が見ているときは女子選手は誰も的を外さなかった。










予選試合は13中どうしの同中競射が3回くりかえされた。弓道にも技と長期戦に耐える体力が必要だ。

さすが選ばれた社会人主体の選手の皆さんは射形が揃って美しい。見た目に剛さが出てしまう大学弓道とは違いがあるような気がした。
皆さんの弓を引く姿をみて、ああ自分は学生時代に「臍下丹田」ということが出来ていなかったなあと突然思った。
弓を引いてきた人、武道の心得のある人には共通のものがあるような気がする。それは気がせかないということだ。
間というものがあって、機が熟すまであせらないというようなことかも知れない。


この日の歩数:3778歩








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アメリカもゴーン事件の当事者である。「ゴーン事件、現時点での仮説」冷泉彰彦:作家(アメリカ在住)

2018年11月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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1963年の 東京のある日  動画

2018年11月25日 | びっくり画像・映像

A day in Tokyo, Japan, in 1963 東京

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江東区の中川船番所資料館に行ったら伊能忠敬展をやっていた。

2018年11月24日 | 東京あちこち
幼稚園に送って近くをぶらぶらしたら東大島駅行きのバス停に出た。バスの終点の近くの中川船番所跡に資料館があることを思い出して行くことにした。
都営新宿線東大島駅は旧中川の真上にあり、東口と西口のバス亭では区も違うしバスの発着の行先も違う面白い駅だ。☝





















江戸幕府が人工的に作った運河「小名木川」と旧中川の分岐点



小名木川沿いに歩いてみることにした。



小名木川の両側は資料館で見た写真によれば戦前は工場が並んでいたようだ。今は集合住宅が切れめなく続く。






















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天下りの行先を作るのが幹部官僚の仕事か? 経営陣に高額報酬の官民ファンド「産業革新投資機構」

2018年11月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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下町の家々の前は花ざかり その10

2018年11月23日 | 花・草・木・生き物
10年ほど前から通って来て、結局住むようになった当地は、最初から 家の前でプランターに花を咲かせている家が多いなあと感じていた。住むようになってますますそう思う。
下町では家の前で草花を育てている方が多いのだ。駅から家までの道すがら、幼稚園の送り迎えの途上など地域の用途が準工業地域だから第一種低層住居地域から来たら環境は
天と地ほど違う。町工場ありの印刷所ありの小住宅ありのお寺ありの文化アパート・大小マンションありの銭湯ありのといういわゆる東京の下町だ。
その中でいろんな草花が生き生きと咲いている。神戸にいた時テレビドラマで東京の下町を舞台にしたドラマを見ると、必ず花のある場面が映った。いまその場所に住んでいるのも
人生の巡り合わせだ。






















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近ごろこんなアテで飲んでます。  最近の家の酒肴。

2018年11月23日 | ある日の肴/夕食












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日仏交流160周年の節目に起きた大事件    「ゴーン逮捕」にフランス動揺

2018年11月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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ゴーン容疑者の異例の逮捕劇に残る疑問点 - 弁護士落合洋司  検察は年内の再逮捕を狙う?

2018年11月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事



 

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神田駅から秋葉原駅まで歩いた。途中「まつや」でザルそばを一枚。

2018年11月22日 | 東京あちこち
豊洲市場見学後の一杯会を新橋でやったあとみんなと別れて電車に乗ったが、腹が減っていたので神田駅西口で降りた。
その昔昭和50年代に金曜の夜から時々徹夜麻雀をやったビルに、もうその麻雀店の看板はなかった。当時のメンバーのうち
二人は亡くなっている。

この角の建物は30年前は医院だったがそのまま残っていた。

ホテルもラーメン屋も当時そのままに営業している。

2回ほど三人会のMさんに連れていてもらったこの居酒屋は夜になるとまだ営業しているのだろう。

この建物は今回初めて気が付いた。ビル街の中の木造のしもたやはよく目立つ。



この伝統的な和の仕様の壁は懐かしい。

もう一枚撮ってしまった。

このミルクホールの店は前はきがつかなかった(笑)

そういえばと見て思い出した。この弓道具の店は30数年前の神田勤務時代からあった。





三時半ごろのまつやは比較的空いているが、夕方から蕎麦屋で一杯の客でいつも満席だ。常連客・池波正太郎さんの席は決まっていたらしい。



まつやを出て秋葉原までは10分ほどだ。近くの神田藪そばは一回入っただけでそのコスパに仰天して以来近寄ったことはない。
昔ここに万世橋駅があった名残り。



もう秋葉原駅はすぐそこだ。








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