阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ブログのご紹介。病弱で、極端な薬物過敏症のために、薬での治療が難しく、逆に副作用でいろいろと経験値を重ねているブロガーのブログ。

2018年11月26日 | ゲストルーム

Well being lab

昔から病弱で、極端な薬物過敏症のために、薬での治療が難しく、逆に副作用でいろいろと経験値を重ねている私ですが、せっかくだから、この長期にわたる豊富な患者経験値と、分子生物学の知識を融合させて、病気を持っていろいろと困っている人向けの情報を発信し、シェアしようと立ち上げました。

健康を扱うサイトは多くありますが、その多くは、健常者を相手にして構成されていますよね。病気を抱え、薬を服用していたり、ちょっと気になる症状が出てきた場合、「これって私に当てはまるの?」とか「私の場合はどうしたらいいの?」とか、思ったことありませんか?

私は、外科的手術を複数回受けています。ずっと昔から、病気そのものによる症状や、薬物過敏症からくる副作用など、いろいろと悩み、試行錯誤してきました。

だからこのたび、「一病息災」から考える健康について語り合える、相談し合えるサイトを目指そう、そういう思いで立ち上げました。

趣味の家庭菜園・ガーデニングの情報も掲載中です。」

 

ブログはこちら阿智胡地亭は早速お気に入りに入れていつでもアクセスできるようにしました。

  花いちもんめで月1回の「健康トーク」を行っている もとしろ けいこさん

本名:本庄(ほんじょう)圭子 綾西在住

 

専門知識を地元に還元

 ○…バザール商店街の花いちもんめで毎月第1水曜、健康トークを行っている。体が弱く自分の身を自分で守るため身に付けた知識を、より多くの人に知ってもらおうと今年6月から行っている。専門家として本来ならそれなりの講演料を要するが、「地域に恩返ししたい」という思いから費用は資料代5百円のみ。骨粗鬆症や認知症、栄養、口腔疾患など日常で役立つ身近な知識を伝える。

 ○…祖父は電子工学エンジニアで父はその研究者。妹もITエンジニア。子どもの頃、友人宅の最新掃除機が羨ましくて自宅の古いものを壊そうと妹と分解したら、父に直されたというのはエンジニア一家らしいエピソード。1歳半から綾瀬で育ち、父の転勤で中3で渡米。アラバマ大学でサイエンスの学位を取得し、帰国後は糖尿病専門の研究所に。研究を深めるためカリフォルニア州立大学に入り直し、基礎医学となる分子生物学を学ぶ。遺伝子スクリーニングで身に付けた論文を読む知識が今、役立っている。

 ○…現在はパートとして研究所に勤める傍ら、企業でのセミナーや講演を行っている。体が弱いため収入が途切れないよう、サプリメントの代理店も務めている。趣味はガーデニングと家庭菜園。育てるのが好きで、「新しい肥料の配合を見つけては試している」と研究者らしい発言。「収穫は母の担当で、父が食べる担当なんです」とはにかむ。

 ○…「昔の常識が、最新の研究で違うと判明することは多い。最新の論文を読めるから知れる知識を伝えたい」と話す。その背景にあるのは、米国での生活。「高齢化が進むことで、もし日本が米国と同じ医療制度になったら大変なことになる。自分の身を守るために個々がもっと知識をつけないと。この活動が一助になれば」と思いを語った。

タウンニュース 綾瀬版 人物風土記から引用。

 

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中川船番所資料館で伊能忠敬特別展を見たあと小名木川沿いを歩いた。昼食は老舗の「平太」でビフテキを。

2018年11月26日 | 東京あちこち

江戸幕府の人口運河「小名木川」は真っすぐ隅田川まで続く。運河の両側には多様な集合住宅が並んでいる。

時分時になったのでそろそろ西大島あたりと見当をつけて運河の側道から上へあがると正解だった。

古い洋食屋風の店があったがいったん通り過ぎた。しかし美味いもんスキのセンサーが頭の中で鳴って「入れ入れ」という。
戻って店に入ると年配の夫婦者がやっているとんかつ・ステーキ屋だった。



メニューの一番頭にあるビーフステーキを頼んだ。店としても仕入れの一番多いウリもののはずだ。旨かった。



オーナーに話を聞くとここで店を開いて23年。前は深川の方でやっていたと。客あしらいの丁寧な年の頃65歳くらいのよき御仁だった。
店を出てまた小名木川の方に戻った。さすがインド人のIT技術者が家族で多く住むという西大島。インド人学校の建物があった。

そして古い鉄道線と架橋も。



橋が4面かかっている場所に出た。





4方向を見た。







運河の中には大きな魚が泳いでいた。





見た瞬間は精巧な彫刻だなと思ったら動いた(笑)。しらさぎだった。よく人に慣れていて動じない。ロンドンの公園のようで嬉しくなった。



葦が美しい。



扇橋閘門の所で工事をやっていた。

側道から上がった。隅田川までは次回機会があれば歩こう。



ここから北へ行くと錦糸町になることがわかった。二駅分あるいたことになる。よく歩いたものだ。

交差点のすぐ向こうにバス停があった。見ると東京駅前の丸の内北口から錦糸町を結んでいる路線で以前全線乗ったバスだった。

途中の住吉で降りて都営新宿線に乗り東大島駅まで戻り、折よく5分待ちできたバスで帰り、幼稚園の迎えもして帰った。

この日の歩数:14574歩











 

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1966 昭和東京、過去の日々の中の日常生活。   動画

2018年11月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事
Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966 昭和東京。

この年阿智胡地亭の新入社員生活が四国愛媛県の工場で始まった。
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